そういう作品もあったか、と石黒達昌「アブサルティに関する評伝」(『冬至草』所収)を読み返す。
アブサルティは優れた実験手腕を持つ若手研究者で、画期的な新理論を提唱し、優れた成果でノーベル賞も近いと思われていた。だがふとしたきっかけで、実験データはすべて捏造であるということが発覚する。
アブサルティは不思議な自信家で、捏造が露見しても、衆人環視の元では実験が再現できなくても、余裕は崩さない。
むしろ主人公に、「実験などということに意味はあるのか」と問いかける。真実こそが重要だったのではないか。実験は、正しさを説得するための余計な作業なのではないか……。
結果的にはアブサルティは経歴詐称も発覚し、研究室を追われる。天才と言われたことさえある彼の所業は業界に知れ渡る。
……だが、実験結果は捏造であったけれども、その結果から導いたとされる彼の提唱した理論じたいは正しかった(整合的な実験結果が出た)ことがのちに明らかになる。
もちろん、主人公への彼の問いかけは、自信過剰な狂人のたわごとだったのだろう。本人は再現に失敗したのだし。だが……。
本作は文学作品であり、アブサルティの言動もきわめて文学的だ。だが、創作だからこそありうる文学的な割り切れなさが素晴らしいと思う。現実の問題に向き合うのではなく、この種のテーマでモヤモヤしたいならおすすめの佳作だ。まったく不思議な、割り切れない結末になっている。
実際の世の中のふつうの捏造はもっとどうしようもないものなのだろう。複雑なプロットのコンゲームに対して現実の詐欺はもっとほんとしょーもないものだ、というのに、似ているのかもしれない。
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石黒達昌はアメリカで医療系機関で(たぶんいまでも)勤務しつつ小説を書いていた人で、本書『冬至草』は理系的なテーマの作品を集めた短篇集(これをSFと呼ぶかどうかは人によるかも)。渋い作家だが個人的には面白い作品を書いていたと思った。とはいえ、刊行当初はいまひとつピンときていなかったので、そこのところはどうなのか昔の自分。
たとえば表題作の「冬至草」は北海道の田舎にあった不思議な生態の絶滅した植物を追う物語、「希望ホヤ」は死に至る病に冒された娘を助けるために必死の努力をする弁護士の父が、結果的に生物一種を絶滅に追いやってしまうという話。など。
なお、「アブサルティに関する評伝」は2001年に小説すばるに発表された短編。
ところであとがきには Vertical から英訳の刊行が決まったとあるのだけど、探しても出てこない。どこにあるのだろう……。