ただ、極めて現代的なSF映画としてすべてが再構築されているので、旧作ファンやバーホーベンファンが見ると、これは違うな、ということで残念な気分になる点はあるかなと思います。
端的に言うと、旧作の良かったところというのは何一つ継承しておりません。そうした美点を期待すると、裏切られた、という気分になるかもしれません。「殉職した警官の体を使ったロボット警官」というコンセプトをもとに、いちから作りなおした映画だと理解するとよいのではないかなと。
以下ネタバレを多少ふくみつつ感想を書いておきますが――
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ロボコップをリメイクするにあたって、製作陣はすべての大前提を考えることにしたようです。というのは「なんでまたロボコップみたいな異様なモノを作らざるを得なかったのか?」という問題ですね。なんでまた、ギャングに殺された警官を改造してまでロボコップのようなグロテスクな存在を作ることになったのか?
これはバーホーベンの旧作では答えられていない疑問です。とくに説明がないということにこの設定のグロテスクさがあるとも言える。でも現代のSF映画としてリメイクするときに、それを語らないというのは映画としての強度を失ってしまう。少なくともリメイクの製作陣はそう考えたのではないか。
したがって本作のロボコップにはいろいろ重要な設定変更がなされています。ED209はすでに実用化され、米軍によって世界各地で運用されているわけです。ティンマンという人型のロボットも使われています。この技術を転用して、オムニ社は広大なマーケットでありながら進出できていない地域を目指したい。それは米国本土である、というのが本作の設定です。もちろん目的は軍ではなくて、警察の機械化を推進するということです。
ところが本作のアメリカは、海外の紛争地域ではロボットを運用しているものの、国内の警察力を機械化することについては強い感情的な反発があるとされています。反対論者のドレイファス上院議員によって警察の機械化を禁止する法案が提出されようとしていて、賛成派と反対派でやりあっているという設定です。機械はなにも感じることはない、被害者に共感することもない、それが問題だ、というのが反対派の論調です。
こうした状況を踏まえ、警察を機械化しつつ、人間らしさを残すという奇策というべきデモンストレーションプランが考案されます。それが、「重症を負った人間をサイボーグ化することで機械化警察の利点と人間らしさのハイブリッドを実現する」というプランであった……という設定です。
ですから、本作ではマーフィーは公式にも殉職していませんし、彼は機械によって強化されているけれども人間だということになっています。残された家族との関わりも大きな物語上のポイントとなります。オムニ社の人たちも、旧作みたいに権力争いに終始するろくでもない連中ばっかりというわけでもない。もちろんただの善人というわけではないけれども、自分たちの信じることのために最大限の努力をしている人たちだとは言えるかも。
その設定変更はどうなのか? という向きもあるでしょう。旧作らしさもない。でも、この「殉職した警官の体を使ったサイボーグ警官」というコンセプトとイメージから、いまこの時代に全く新しく再構築した映画としては、悪くない着地点なんじゃないでしょうか。そしてこの基本コンセプトとなるアメリカの設定は、極めて現代的であるなあ、と感心します。「なるほど、そういう映画にしたのね」と思った次第。
ちなみに映像もきちんとカッコイイので、その点も安心できます。