2015-11-21

ふたつのジョブズ映画と伝記映画のありかたについて


"Steve Jobs" を見てきた。2年前の "Jobs" と同じく、ウォルター・アイザックソンのジョブズの伝記をもとにした映画だ。

だが、映画としての方向性はかなり異なる。そして今回のほうが圧倒的に面白い。面白いのだが、批判も大きいみたいだ。

今回の映画では場面を極端に制限している。どれも製品発表のプレゼンテーションの直前。ひとつめはマッキントッシュ、ふたつめはNeXT、みっつめはiMac。こうしたプレゼン直前の準備の舞台裏で、いろんな人がジョブズに会いに来ていろんな話をする。マッキントッシュは予定していた音声合成ができず、ジョブズは開発チームのハーツフェルドにキレる。奥さんはジョブズが認知しない娘のリサの養育費で揉めるし、ウォズニアックがやってきてはしつこくApple IIの話を持ち出す(iMacでの発表会でも論点はApple IIだったけど、そこまで拘ってたっけ?)。スカリーはわざわざNeXTの発表会にやってきて、あと何分でプレゼン始まるから急いで、とか言われているのに「あの日、中国への出張にたつ直前に密告があった……」とか言い出す。こんなタイミングでそんな話すんのかよ!? ちょっと笑う。

言うまでもなくこういうのは演出なのであって、こんな話があるわけがない。それはさすがに見ればわかるとしても、では時と場所が違ったとしてもあのような会話がありえただろうか?というのは、よくわからないところで、「ジョブズ本人からはかけ離れている」という批判はそこを指している。

ウォズニアックに「君が何をしたっていうんだ? 君はエンジニアじゃないしデザイナーでもない。釘の一本打ち込んですらいないじゃないか」と問いつめられ「演奏家は楽器を演奏する。ぼくはオーケストラを演奏するのさ」と答えるジョブズ。4歳の娘にいきなり「偶然の一致なんだ。LISAってのはlocal integrated software architectureの略であって偶然の一致だから」となぜか説明しはじめるジョブズ(それにしてもひどいヤツだな)。ハーツフェルドにはとにかくマッキントッシュを直せとだけ詰め寄り、NeXTの発表会の段階ではぜんぜん完成していないのに平然としているジョブズ。

こうした物事が、かりに事実から再構成していたとしても、こんなのばっかりなこの映画は歪曲で満ちている、という主張に異論はない。

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いっぽうアシュトン・カッチャーの "Jobs" は、正直つまんない映画だった(わたしは飛行機の中で見た)。

この映画は、アイザックソンの伝記をかなりそのまま映画にしている。裸足で闊歩していた学生時代とか、インドを放浪していたとか、ウォズニアックに会って、アップルIを作りはじめて……というのを順番に、そのまま映像にしている。

でもまあ、だったら伝記を読めばいいよね、となってしまう。伝記も伝記で刊行当時は少し批判があったように記憶しているが、とはいえかなりの長さであり、とにかくいろんな要素がある。それを全部ちゃんとした深度で描いていたらとても2時間では収まりきらない。

結果として、詰め込みすぎてそれぞれが浅すぎることになる。そういう映画だったように記憶している。余談だけど個人的には "Jobs" のハイライトはエンディングクレジット(笑)。主なキャストは本人の写真とキャストの顔を並べて紹介していて、アシュトン・カッチャーだけじゃなくて誰も彼もみんなほんとうによく似ていた(それに比べて今回の映画では、見た目はまったく似てない。最初しばらく誰がジョブズなのかわからなかったぐらいだ)。

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「伝記映画」というものがあるとして、そのあり方を考えてみると、しかし、つまんなくても "Jobs" のほうが「正しい」とは思う。いろいろある要素をあまり削らず、手際よく紹介しているからだ。 "Steve Jobs" は映画としては面白いが、実際問題としては伝記でもなんでもないだろう。スティーブ・ジョブズという人間や、その人生や、その人が成し遂げたことについては、あまりフォーカスしない映画だ。

伝記映画であるには、まずおらくはジョブズという人間や、その人のやったことを紹介できてないといけないだろう。この映画は、映画として面白いエピソード(重役会で追い出された話とか娘との確執とか)を使うためにジョブズという題材をとっているが、それだけだ、とも言える。

ただここは瑕疵でもある。たとえばウォズニアックの指摘に対して「オーケストラを演奏する」と平然としていたり、ハーツフェルドに怒ってばかりのジョブズはむしろ、技術に興味はない詐欺師のようですらある。ジョブズ信者ではない自分でも、さすがにこれは偏ってるんでは、と思ったりもする。

それにたとえば、 "Steve Jobs" というタイトルではなく、あくまでも架空のキャラクターで話を作ったら良かったのではないか? 実在の人物を対象にした映画でこれはないんじゃないの? と言われると、それもそうではあるよなあ、とは思うわけですが……。

本作は残念ながら興行的にまったくふるわなかったらしく(私も日曜の午前中の回という人の少ないときに言ったというのはあるが、いたのは自分を含めて5人だけだった。そもそも私もつまんなそうだなと思ってて、 rebuild.fm で @chibicode さんが褒めていなかったら絶対に見に行かなかった)、早々に上映が終わりそうなのだけど、日本でもやったらいいんじゃないかなぁ。まあ面白いですよ。

あとそういえば個人的な感想だけど、のちのiPhoneに繋がりそうなセリフとのちのiPodにつながりそうなセリフが最後の方に出てくるんだけど、あれはちょっと興ざめだと思ったな。

2015-10-25

The Martian

映画版の The Martian 見てきた。原作(『火星の人』早川書房)も邦訳が出る前だったので原書にて既読。

宇宙開拓における植物学者の地位を高める名作でしたが、これをわりとそのまま映像化。ひとり火星に取り残された主人公のサバイバル、地球側の状況、火星ミッションチームなどを手際よく描いて、二転三転する展開もそのまま、とぼけたユーモアも健在。

原作にあったような細かい数値の計算や細部の設定はさすがに出てこないですし、細かい部分はスキップしているんだと思いますが(だいぶ前に読んだので覚えてない)、全体的にはたいへん良い映画化だと思いました。ただまあちょっと長いな。

わりとあっさり終わった原作だったのでラストは蛇足感があるかなぁ。Gravityみたいな感じで終わらせておけばよかった気がする。しいて言うとしたらそんぐらい。楽しめました。

2015-08-27

『ファンタスティック・フォー』はなにが失敗だったのか

新作リメイクとして誕生した『ファンタスティック・フォー』を見てきた。IMdbが4、Rotten Tomatoesが8%というかなり酷いスコアの映画で、むしろこれは見ておかねばなるまいか……という謎の義務感に駆られたので。

で、見たすぐの感想としては……別にそんな酷くないですよ。いわゆる「地雷」のような強烈な駄作のようなものではまったくない。ちゃんとお金のかかった普通のハリウッド映画。

ただ、たいして面白くはない。そんなに酷いスコアになるほどではないとは思うが、確かに高いスコアにはならなさそう……。

で、見た後でIMdbのレビューなどを読んでみると、なるほどな、という感じがした。この映画はいろんな部分で小さな問題を抱えていて、いろんな人がいろんな部分で「ここはちょっと……」と思ったりする。だから高いスコアをつける人が少ないわけだ。

ダメな作品でも、いやそうであればこそごく一部の人は受け入れて評価が割れるということは、まああると思うのだけど(『ピクセル』とか、10点と1点ばっかりで平均スコアが5くらいという極端な事例もある)、この映画は高い評価をする人がいない。結果としてレビューサイトの評価としては最低最悪になってしまう。なるほどなぁと思いました。

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レビュアーが問題点として挙げている点を(個人的にはあまりどうでもよいところから個人的に大事だと思ったところの順に)挙げていこう。

1. 設定変更

『ファンタスティック・フォー』の原作はアメコミなんだけど、今回の映画はかなり設定が違う。原作では宇宙に出ているときに超常能力を得るのだけど、これは異次元世界へ移動する機械になっている。

メインの4人の設定がかなり違う。比較的年のいった天才科学者だったリードは学生になっており、ヒューマン・トーチが黒人に設定変更。そのためスー(本来はヒューマン・トーチと兄弟)は養子という設定が足されている。ベンはリードの子供の頃からの親友で、気弱なナードのような感じになっている。

どうでもいいけどリードが最初はメガネ男子だったのに超常能力を得てから何の説明もなくメガネしなくなったのはなんなのか。

2. 役者・配役の問題

設定変更にも関係しているけれど、4人の役者は原作のイメージとかなり違う。役者たちはそれほど悪くはない気がするけれど、なんでこんなイメージと違う人に……ってのはある。個人的にも、ベンはなんであんなひょろいナードだったのかなぁ、というのはよくわからない。

3. アクションの弱さ

アクションは悪くはないと思うんだけど、全般的にあっさりしていて短い。アクションを期待する向きにはつらい気がする。

4. ストーリー構成の難

アクションシーンが短いのだけど、どうも他のシーンが効果的でない気がする。こういうヒーローもののオリジンストーリーでは、ヒーローになる前の展開はその後の伏線になっているものだ。この映画でも、リードとスーの恋愛に発展しそうな展開や、リードとベンの関係、スーとジョニーの姉弟関係などが描かれるのだけど、それが後半の展開に生きてこない。せめてリードとベンはもう少しはっきりと和解を描かないとダメでは……。それにリードとスーの関係はドゥームも関係しているのに、そこがはっきりしないからドゥームの悪役としてのキャラ立てもあまり効いてこない。

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まあ、ただ、結論としてはあんまり見る価値ない映画だと思いますよ。なかったことになりそう。

2015-07-23

ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』精神病患者のたわごとが北欧最悪の連続殺人犯になるまで



ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』

すごい本を読んだ。

スウェーデンにある精神病院に収容されていたおとなしい精神病患者、トマス・クイックがある日、自分は昔殺人を犯したという告白をする。ふたつの事件の告白により犯人と警察しか知り得ない情報があると感じた警察は起訴を開始。そこからトマス・クイックは次々と過去の犯罪を告白しはじめ、最終的には30人以上の殺人を告白、うち8件の事件については確実に関与があったという検察の主張により有罪判決がくだされる。トマス・クイックはスウェーデンで最も知られた連続殺人犯となる。

だが……。

著者はテレビのジャーナリストで、トマスの取材をはじめたところ奇妙な点がいくつもあるのに気づく。というかこれ、本当にまともな供述と言えるのか……? それで体系的に調査を始めたところ、この事件がまともな証拠のない冤罪事件であることに気づく。

たとえば、実地検分の記録動画を確認しても、トマスの言動はまったくはっきりしていないのだという。告白を続けていたころのトマスは鎮静用の麻薬に中毒になっており、何かあれば麻薬を投薬され、不明瞭な言動しかしていない。起訴状ではトマスが警察を犯行現場に案内したことになっている場合も、実際には右往左往していて「君はあそこをじっと見ているがあそこに何かあるのか?」「うむ」といった会話を繰り返しながら移動していく。あるいは過去のつらい記憶からの逃避のため意図的に視線を向けない方向こそが目的地だとされる。

トマスの供述は当初はなにもかも間違っていたとされる。犯行現場には不案内だったり、自転車を盗んだといったあとでバスに乗ったと言い(そしてバスに乗ったという村は廃村状態になっていて人口たったの一人というしまつ)、襲撃の手順を実演して見せても現場に残った証拠と矛盾するようなことをする。そもそも当時の住所と犯罪現場は何十キロ、何百キロと離れており、しかもトマスは当時運転免許を持っていなかった。

トマスの環境では絶対に知り得なかった内容(ノルウェーの犯罪など)も実は知りうる環境にあったことがわかってくるし、警察も知り得なかった事実にしても、曖昧な発言→警察の調査→誘導的な質疑により調査結果が導かれる(右手に傷があったという発言→両手に発疹があったなど)。

こういう情報をひとつひとつ検証していくことにより、トマスの犯罪の根拠とされているものがことごとく薄弱な根拠しかなかったり誘導されているということを見出していく。そして著者は8件の有罪判決がすべて冤罪であると証明していく。

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本としての面白さは、深層に切り込んでいく著者の描写にある。様々な情報が入り乱れる供述のひとつひとつを解きほぐし、当初の供述がいかにでたらめであったか、根拠とされるものがいかに薄弱だったかを明らかにしていく。

また一方で本書のキモとなるのは、トマスがどのように告白をはじめ、それがどのように受け入れられていったか、という背景や過程でもある。トマスの捜査や告白した事件に関わった人間(トマス本人も含めて)への取材から、その背景が次第に明らかになっていくのだが、これがなんとも言えない読後感なのである。

たとえば、トマスはトマスで虚偽の告白をしたわけだが、愉快犯的な性向があったわけではないようだ。むしろ、精神分析系の影響の強いカウンセラーのもとで、精神病の遠因は過去のトラウマにある、患者は記憶に閉じ込めているだけで他の事件を犯していることもある、といった信念があり、病院側に迎合するために告白を始めているような向きもある。鎮静用の麻薬のこともあり、著者はこの事件を医療過誤だと断じている。

連続殺人犯の精神状態に興味がある心理学者や、必ず同じ捜査官や検察が捜査をしていたことも問題を引き起こしていたようだ。とくに捜査官は(おそらく無意識的に)誘導的な尋問を行っていた。だが、功名心はあったとしても、胡乱な精神病者に罪を押し付けてやろうとか、そういった意識はなかったのではないか……と思わせられる。著者の取材にも、怪しい面もあるかもしれないが、少なくともいくつかの事件についてはトマスがやったのは間違いないと断言をしている。

ひとことで言えば「ボタンのかけ違え」的な、本来ならたわごととして処理されるべきことが、ちょっとしたきっかけでどういうわけか皆の無意識の加担により北欧最悪の連続殺人犯がつくりあげられてしまう、という不可思議かつ残念な事案のようである。

したがってこの部分、読んでいてもどうも納得がいかないというか、スッキリしない面もある。特にトマスの有罪判決にかかわった人々は著者とは立場が違うということもあり、著者の取材にはあまり好意的ではないという面もある。だが、この納得のいかなさ、というのがこの本の大事なところでもあり、こういう表現が適切かはわからないが魅力でもあるのだった。

なんともはや、という本であった。

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なお著者はスウェーデンのジャーナリストであるが、本書は英訳からの重訳。トマスについて何にも知らなくても詳しく解説してあるので普通に読めます。

2015-07-21

"Silicon Valley" season 2

シリコンバレーのスタートアップを描いたHBOのテレビドラマシリーズ "Silicon Valley"、シーズン2がGoogle Playに来てたので見てました。感想書いてないけどシーズン1も楽しんで見てたので。

シーズン1は資金調達、会社設立、ロゴの設定、といった話や、旧職Hooliが対抗製品の開発に着手、そんななかでのTechCrunch Disruptでの発表、といったあたりを描きつつ、まあ基本はコメディというか、理不尽な状況や無茶苦茶な人たちにリチャードが振り回されるドラマ。小ネタがいろいろ面白くて見ていて笑うところが多くて、まあ良かったかなと。主人公達の会社、Pied Piperがいちおうコアテクノロジーを持ってる会社だけどいろんな面がまだまだこれから、というステージなのがよかったかなと思いました。

で、シーズン2では、ついにHooliはPied Piperに対して訴訟を起こす……といった展開なんだけど、とくに序盤はあんまし笑えない気がする。かといって真面目なのかというと、そのわりに敵役であるHooliが無茶苦茶すぎて、うーんこれはどういう表情で見たらいいドラマなんだろうか……ってなった。

まあシーズン2も第6話Homicideは面白かったし、タバコのシーンは(まあ絶対そういうオチだよねとわかっていても)笑うけれども、そういうわけで個人的には少しトーンダウンした印象。ただIMdbとかでもシーズン1より評価高いですね。そういうもんか。

すごいヒキで終わるしシーズン3確定らしいんで、まあたぶんシーズン3も見ることになる気がします。続きを見るくらいには好きかな。

2015-07-20

『アントマン』


アントマン』見に行った。

前知識ゼロだったので、主人公がハンク・ピムじゃないという時点で驚いている始末。映画内世界ではハンク・ピムはすでにアントマンとして活躍していて引退済、映画自体は2代目アントマンであるスコット・ラングのオリジンストーリー、てのはちょっと珍しい構成かも。

全般的にコメディ要素が強くて子供向けだなー……と思ってたらPG-13なんで子供は見られないのか。小さくなってアリを操る(原作通りですが)設定とか、子供部屋でのバトルとか、小さくなっての戦いなので客観的に見るとしょぼいところとか、子供向けな気がするんですが……大人じゃないと逆に笑えないかな。

小さくなるという能力は破壊工作向きではあるんだけどいまひとつ派手な方向には向かないよな、という問題点はそれなりに頑張っていたという認識。縮小と元に戻るを繰り返して敵を翻弄する戦闘スタイルはなかなか見応えはあった。そういう意味で戦闘シーン的な一番の見どころはvsファルコン戦かな。

まあ総合的には悪くはないですね、という感じか。

ところで設定的に原子の間の距離を短くするとか言っていた気がするけれどそれだと質量が保存されるので人間がつまみ上げたりアリに乗ったりとかできないんじゃ、ていうか床に穴が開くんじゃ、とか思ったけど些事です。まあそんなこと言ったらハルクとかどうなってんねんて感じなんでいいんですけど。

なおスタン・リーは全然出てこないので見逃したか?と不安になったりしたけどエンドクレジット直前に出てきます。

2015-07-13

グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

これはつまんないんでは。

第1章は執筆時には近未来だった2012年のイランの社会問題を、オーストラリアからの特派員であるひとりめの主人公と、イランからアメリカに渡った学生であるふたりめの主人公の立場から描いていて、いまひとつ接点が見えない状態のまま続く。ふたりめの主人公ことナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトという人間の脳のマッピングに関わる研究をしたいと思っていている。

第2章になって舞台をテヘランにほぼ固定し、ストーリーは動き出す。ひとりめの主人公であるマーティンはそのままイラン人女性と結婚して子供ができ、そこに住んで書店経営している。いっぽうナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトは追わずにイランに帰国し、「ゼンデギ」というヴァーチャルリアリティ系のゲームの運営に携わるようになる。そこでナシムが始めた「サイドローディング」という技術と、マーティンの身を襲う不幸から、物語が動き始める……。

……のだけど、「物語が動き始める」までに半分ぐらい読み進めないといけない。それまでの展開はSF味はうすくて、しかも残念ながら話としては全く面白くないと思った。イーガンは良い意味で「人間が描けていない」SF作家だったと思うけれど、そうであるということがこの話の場合、悪く出ている気がする。

サイドローディングからSF的には動き始めるのだけれど、物語の焦点はあくまでも倫理観であるように思う。それも、AIを意のままに操ったり生成・削除したりするのは倫理的と言えるのだろうか?という、なかなかややこしい問題を扱っていると言える。

ゼンデギに登場するNPCはもちろん、ただのプログラムであって意識ではない。どんな高い知的能力を与えても、それは意識にはなりえない。だけど……というところにこの倫理問題のややこしいところがある。それは、わかる。イーガンはこれまでも「クリスタルの夜」や「ひとりっ子」などで、そういうややこしい倫理問題を扱ってきたけれども、これを読んで、そういう話を俺はイーガンには期待していないなあ、とつくづく思ったことであった(もっとも、それらの作品に比べると遥かにわかりやすい倫理問題を扱っており、理解がしやすいのは確か)。

なんとなく最後に「3章」が出てきてぶっ飛んだ展開になるんじゃないか、と7割ぐらいまで読んだ段階では期待していたんだけど、そういう展開にはならず、言ってみれば「地味に」終わる。そういう話じゃないからねえ、というのはわかるんだけど、うーん、という感じ。「ゼンデギ」内の描写(『シャーナーメ』をベースにしたおつかいゲーム風のもの)もつまんないし、ちょっとこれはダメですな、と思いました。『白熱光』のときとは別な意味で自分には合わなかった。

2015-06-08

金になるプログラミングと金にならないプログラミング

http://blog.practical-scheme.net/shiro?20150606-boring

ツッコミのツッコミというか余談の余談といった体ですが、ベン図の構造がちと気になったもので。

「金になるプログラミング」でありかつ「役に立たないプログラミング」(黄色エリア)というのはありうるだろうか?

ありそう。たとえばスパムブログを大量生成するプログラムとか、そういうヤツは役には立たないが金を生む可能性はある。

それから「金になる」かつ「楽しい」けれども「役には立たない」エリアを除外する構成になっているけれども、本当だろうか? なんかないだろうか。

なんかないか考えてみたところ、「賞金付きプログラミングコンテスト」のようなものは(楽しいかどうかは人それぞれだろうけれども)ここに当てはまりそうな気がする。

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他のエリアについて。

楽しいし役には立つけれどもお金にならないもの。リサーチ系や先端的な分野があるだろう。楽しいけれども役にも立たずお金にもならないもの。趣味プログラミングですな。いっぱいありそう。

役に立つが楽しくなく、お金にならないもの。そんなものあるだろうか? 友達に頼まれてちょっとウェブサイトを作ってあげたりとか、そういうやつだろうか? こんなに広い領域はない気がする。

2015-05-20

湊慎一『超高速グラフ列挙アルゴリズム』

湊慎一『超高速グラフ列挙アルゴリズム-〈フカシギの数え方〉が拓く,組合せ問題への新アプローチ-』

フカシギの数え方のこの動画。
この動画で一躍有名になった列挙の問題を高速に解く「最新のアルゴリズム」ことZDDの解説書がこの本なんだけど、これは良い本でした。

ZDDの基本的なアイディアはこういうもの。「フカシギの数え方」ではグリッドの左上から右下への全経路を調べるわけだけれど、これの問題をまず「経路に使われたエッジの集合」の数え上げと定式化する。で、「辺1を使う・使わない」という選択肢によって分岐し、次に「辺2を使う・使わない」で分岐し……とやっていくと、高さが辺の数に相当する巨大な二分木ができる。ここから有効なもの(使うエッジの集合が実際にスタートからゴールまでをつなぐ一本の経路になってるもの)だけを使うような制約条件をかければ数え上げられるのだが、もちろんこのままだと巨大な二分木なんでどうしようもない。ただ制約条件の下では木を非常に簡潔なかたちに縮約できますよ、というのがZDD。もちろん、最初に巨大な木を作ってから縮約していくのでは意味がないので、初めからZDDを作っていく。

この本ではまず前半でこうした問題の概略を説明し、コアとなるデータ構造であるZDDと、その構成方法が説明される。さらに作者の作ったGraphillionというライブラリの簡単なサンプルコードもついている。このデータ構造は知らなかったので、ここがまず面白かった(ZDDやBDDはTAOCPの4Aでも触れられているらしい)。

本の後半は、パズル(ナンバーリンクやスリザーリンクなど)、電力図、路線図などの経路問題への応用の説明。こちらもGraphillionを使ったサンプルコードつき。いじわるな見方をすれば解法に応じた問題設定とも見えなくもないけれど(路線図の問題など)、全体的になかなか応用できる場面がいろいろありそうな雰囲気を醸し出している。

最後のアドバンストな話になると、一般的なZDDからフカシギの数え上げ方に向けての(定数倍の)最適化手法の説明や、頻出アイテムマイニングや文字集合の表現方法などのトピックにも触れられている。文字集合はトライ木をベースにしたDAWG (directed acyclic word graph)と本質的には同じになるらしい。でもZDDベースだと木の演算(合成や差分)が自然に表現できるから良いんだとか。うーんこれは本当なのかな(つまり、合成や差分はこの分野でできると嬉しいことなのか、DAWGでは難しいのだろうか)。まあこの辺はあまり追えてません。

良い本だなと思ったのは、まず(自分は)知らないデータ構造・アルゴリズムに関する話を解説していて、応用事例も含めて説明があるので、なかなか学びの多いから。ただ今んとこ自分は表面的に書いてあることを眺めただけなので、より細かい話は参考文献を読んだりサンプルコードを動かしてみたりといったことが必要かな、という感じですかね。

2015-05-10

アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン


公式サイト
見たよ。

総評としては……そんなでもないかなぁ。アベンジャーズ第二期は全般的に低調という気がした。まあ単独映画で少しずつクロスオーバーが明らかになっていって集結という第一期の盛り上がりにはさすがにかなわない。あと今回の敵であるウルトロンが、またこういう感じか、ってなってしまう。

とはいえアクション映画としてはやっぱり見応えはあって、とくにソウルでのバトルはトリッキーな構成で面白かったかな。ブラックウィドウの活躍や、キャップの盾を使ったアクションが面白い。新キャラ二人もキーとなって活躍するし。新キャラ二人はアベンジャーズキャラではあるけれど、もとはX-MENなんですね。でもX-MENとマーベル・シネマティック・ユニバースは交わらないので、二人はX-MEN設定はなし。

ラストバトルは例によってわらわら出てくるロボット軍団との戦いだけど、一作目との違いは一般市民を避難誘導に優先順位を置いているところ。これでストーリー展開もアクション映画としての展開も幅が出ている。しかもウォー・マシンが参戦! これは燃える。逆になぜファルコンは来ないのか納得がいかない。これ絶対ファルコンが活躍する場面ですよ。パーティには来てたのに……。あとこういうロボ軍団と戦うとなるとブラックウィドウはちょっと無理があるような。他の活躍シーンを作れば良かったのに。

全体的にブラックウィドウまわりのストーリーは今ひとつというか、そういうのはこの映画で望んでいるものなのだろうかという疑問がわく。ハルクの暴走もアクションとしてはすごいんだけど、ちょっと白けるんだよな……。アフリカあたりの展開は個人的にはちょっと今ひとつ。あれを大胆に削って2時間ぐらいにまとめたほうが良いような……。

なお今回のホークアイさんの見どころは矢を掴んで直接敵にぶっ刺すところ。射てよ!

あとどうでも良いツッコミですが、ウルトロン、しゃべるときに口がぐねぐね動くのが謎。お前ロボットだろ! とツッコむのもまあ野暮なことですが……ロボがしゃべるときに目がチカチカ光るという映像表現を発明したサンライズは偉大だなと思いました。

2015-05-08

アマゾンにKindle Singlesが来てる

なんかいつのまにやらKindle Singlesが日本にも来てるみたいですね。キンドルで短編〜中編程度の長さのものが読める。99〜399円くらいぽい。

4本ほど読んでみた。

パイオニア・アノマリーは、宇宙機パイオニアの軌道データを調べていた科学者が説明のつかない加速を観測し……という事件を追ったノンフィクション。
オチはちょっとガッカリだったけど、科学ノンフィクションとしてはなかなか面白かった。ノイズの多い大量の生データから、いかにして必要な情報を取り出して意味を見出すか、という統計処理的な話は、よくある科学のおはなしでは無視されがちだけれどけっこう大事な話なんだよなあ、というあたりもなかなか良いかな。
リスを実装する、は円城塔の短編小説。ヴァーチャル世界に生きるリスを実装する男の話。円城塔としては普通の話という気がする。まあまあ。短いのですぐ読めます。
私はヒゲ女は、自身の体毛の濃さにコンプレックスを感じている女性記者の人が女性の剃毛についていろいろ書いたエッセイみたいな話。ちょっと自分の体験談が長くて、うーんどうなんだろう……と思ったが女性だったらそこが読みどころなのかな。もう少し歴史的な話や異文化の話も盛り込んだほうが個人的には好みだったかと思う。訳は良いけど、個人的にはあんまり好きではないタイプ。でもオチはちょっと良かった。表紙がちょっと強烈です。
この街からは本谷有希子の短編。まあ普通に文学。こういうのに対する感度がないからかわからんが、可もなく不可もなく。

といったラインナップ。ラノベもあるし、エンタメもあるし、ノンフィクションもある。そこそこ良いような気がする。

ところで、いったいこのラインナップはどこから来ているのだろうか。少なくとも初期ラインナップで頼まなくても作家が書くということはないだろうから依頼して書いて(提供して)もらったのだろうけれど、誰が選んでるのか。校正みたいな編集業務は誰がやってるんだろう。

あとノンフィクションについては何故か日本の書き手はいまのところおらず、すべてアメリカからの翻訳のようだ。日本の作家については最悪作家から提供されたデータをそのまま流し込めば作れるのかもしれないけれど、翻訳の場合は、誰かが翻訳権を取得や作品選定、翻訳者のコーディネートのような仕事をしないといけないはず。アマゾン社内か委託の編プロでそういうのやってるのかな。そっちの仕組みのほうが興味深いな……。

2015-05-06

GOTHAM シーズン1完結

公式サイト, Google Play, amazon

『バットマン』世界の前日譚を描いたテレビシリーズ "GOTHAM" シーズン1が完結。全22話。いやー面白かった。

バットマン世界のことをよく知っているとマニアックな楽しみがあるんでしょうが、そうでなくてもちゃんと面白い。悪徳の支配するゴッサム・シティを舞台にしたギャングものとして話が成立している。

とにかくペンギンがいい。当初ギャング世界の下っ端っていうところから、殺されそうになってゴッサム・シティを追い出されながらも、なんとか舞い戻って知略と謀略でうまく立ち回りながらだんだん出世していくという展開。しかも当人は体を傷めつけられてちゃんと歩けないほどなので、ギャングの世界でも自分自身は強くなく、むしろ弱々しい感じであなどられている。そのわりに妙な愛嬌のあるキャラもいい味だしているし、演じているロビン・ロード・テイラーも良いなあ。ほとんどこいつ主人公じゃん、といった感じであった。

ほんとの主人公のはずの駆け出し刑事のジム・ゴードンも、まあ良いのですが、ペンギンのストーリーラインと比べると大きな筋立てがあまりなくて弱いかなあという感じ。ガールフレンドのバーバラの話とか、いろいろあるんですが……。

序盤はあんまり活躍しない、まだ子供のブルース・ウェイン(のちのバットマンね)も、シリーズ後半に行くにしたがって活躍の場が増えてくる。いかにもお坊っちゃんといった雰囲気があるのが良いところ。軍隊上がりで謹厳実直、ブルースを Master B と呼ぶアルフレッドもかっこよくてうまいコンビになっている。ただあんまりメインのストーリーとの絡みが薄いあたりは難点かな。

そういえばメインのストーリーには関わりが薄いけれどもバットマン世界では実はこいつは、みたいなのはけっこうあり、特にエドワード・ニグマ(のちのリドラー)などはちょくちょく話が出てくるわりにはいっこうにメインに絡まないので、見ていてもなんなんだろうなあという人はまあいるやもしれず。ぐぐればだいたいわかりますが。

まあ面白かった。おすすめです。

2015-04-27

損失かどうかはさておいて

Facebookに軽くコメントを残していたが、言行一致させるためにここにも書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20150426/1430059628

これはあると思う。公開してよい内容ならブログに書いて各SNSに流すほうが実はいろいろ良い。他のが良いとは言わないけれどfacebookはかなり残りづらい。life eventとかみたいなイベントはきちんと残るけれど、ノートや文章は再発見しづらい。

「画像を貼ったりとか、リプライで書き足していったりとか」みたいなUXの部分は悩ましいところでしょうが。その辺がラクなサービスはあんまり多くはないよな。あーtumblrとかになるんかな?

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いろいろ考えた結果、面倒ではあるけれどもやっぱりブログが一番マシで、ブログに書いて各SNSにスレを生やす方式が良いのではないかという気がする。以前はいろんな転送サービスを調べてみたんだけど、転送サービスを使うぐらいなら自分のブログから転送するほうがマシなんではないかという気がしている。

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ただまあブログはやっぱり敷居が高い。画像の貼り付けやすさといったUXの問題もあるだろうし(リンクもリンク先のタイトルやサムネイルを抽出したりできると本当はうれしい)、タイトルをひねり出す面倒さみたいなのも個人的にはあるな。その辺がラクになると良いのだけれど。

Mediumはデザインはかっこいいんだけど、その辺はどうかなぁ。

2015-04-20

issueをどう数えるか

誰かの何かのブログで「なんかあったらissueを立ててください」と書いてあって、お、と思った。イシューとは立てるものであったか。

英語では "file an issue" などと言うと思う。これはたぶんファイルにとじるというのが原義で、申請書とかを提出しておくというのと同じである……と思ったけどそれは submit an application だな。まあ事件を立件する、とか、そういう意味合いがある。事件もファイルするしイシューもファイルする。日本語では事件は立件するしイシューも立てる。

ところでissueはどう数えるのだろうか。「ひとつ、ふたつ」か。「一件、二件」か。

他人のブログを読み返していて助数詞に関するエントリー(面白いのでおすすめ)を読んでいて気づいたのだが、issueはおそらく一本二本なんじゃないか。企画もプロジェクトも一本二本と立てていくものだ。イシューも一本ずつ立てていくことになる。ある程度の長さを持ち、理論的には何らかの形で完了するものだからね。理論的にはね……。

ところで、かなり同じものなのに「チケット」という名詞で呼ぶと、これは「切る」ような気がする。「領収書を切る」のと同じような感覚だろうか。数詞も準拠して一枚二枚かな。「バグ」は「ファイルする」気もするが、サ変名詞でないとすると同じく「切る」かなあ……「バグを三枚切っときました」とか言うと駐禁を切っているおまわりさんみたいだが……。「タスク」の場合も切る気がするが、これはスケジュールを切るのと似ているかもしれない。余談だがスケジュールは切るものだが予定は立てるものだな。なぜだ。

プルリクエスト

仕事でよくコードレビューを処理する。githubでならプルリクエストってことになるか。リクエストだから単純に「送る」ということになる。コードレビューも送るものだ。でもその前段階として立件する場合はどうだろうか。コードレビューやプルリクエストも、イシューのように立てるのだろうか。立てない気がする。まあ作る、だろうか。だが「ああそれについてはプルリク立てときましたよ、ちょっと直したいので、まだ送ってませんけどね」とか言うとプロっぽい(なんのだ)。

プルリクエストは一件、二件だろうか。一本二本でも良さそうな気がする。自分でもこのあたりはよくわからない。そういえばとある同僚はコードレビューを一枚、二枚、と数えている。これは、レビューごとにページが作られるからなのか、それともコードというのはチェンジリストが層状に積み重なっていくからなのか、はたまた別の理由なのか、聞いてないけれどいささか興味深い。

ブランチ

そういえばブランチは「切る」ものだ。英語でもbranch cutとか呼んでいる。考えてみれば不思議で、ふつう、枝を切るといえば伐採のことであってブランチカットと呼ばれる作業とはだいぶ趣が異なる。

ブランチカットというのは、過去から未来へと流れていく変更履歴の流れを途中で切り分けてふたつの流れにすることであるから、これをもって切るとするのだろう。しかし木のアナロジーでブランチ(枝)などと呼ぶならば(メイントランク=幹という表現もあるね)、別な表現もあるのではないか。こう、芽吹く、とか。と思ったがブランチを生やす、という表現はある気もする。

流れであるにせよ枝であるにせよ、ブランチは一本二本で数えるのは自然かなと思う。

ところでブランチの総体であるツリー(木)はなんと呼ぶか。バージョン管理の文脈ではこのツリーのことはたいていレポジトリと読んでおり、レポジトリ(倉庫)はひとつふたつがまあ自然だろう。いくら倉庫とはいえ「レポジトリは五部屋ですね」とか言われたらぎょっとする(し、そもそも倉庫って「部屋」で数えるのかわからん)。データ構造一般のツリーも、一本二本とはまず呼ばないような気がする。

ファイルとフォルダ

若かりし頃、ディレクトリを「掘る」という表現に出会って新鮮な面白さを味わったものだ。だがこの掘るという表現は感覚的にはわかる。ファイルのツリー構造は、「ツリー」とはいうもののたいてい根っこが一番上にあって葉っぱが一番下にある。これを蟻の巣のように地上から下に掘り進めていくイメージなのだと理解している。

ところで同じものなのに「フォルダ」を掘る人は見たことがない。フォルダは作るものだ。ファイルも作ることが多いように思う。この辺、「フォルダ」や「ファイル」は物理的な実体になじみがある(逆に言えば「ディレクトリ」にはなじみがない)ことが関係しているのでは、という気がする。「ディレクトリー」と「フォルダー」の画像検索の格差たるや。

物理的な実体になじみがあるというが、一般的に物理的なフォルダやファイルは一冊二冊と数えるものなのに(ファイルは一枚二枚か?)、コンピュータ上のフォルダやファイルにこの助数詞を使う人は、これまた見たことがない。ふつうは一個二個、ひとつふたつ。なぜだ。

ただ画像ファイルについては一枚二枚、音楽ファイルや動画ファイルは一本二本、となるような気がする。ファイルは実態ごとに助数詞が異なるのだろうか。テキストファイルはひとつふたつだが中身が小説になれば一本二本と変化するのかもしれない。でもだとするとなおさらフォルダが一冊二冊でない理由はよくわからなくなる。

ウィンドウとタブ

ウィンドウは薄っぺらいものということで一枚二枚と数えるだろうか。自分はあまり経験はないが、そういう人がいてもおかしくない。自分は一個二個と数えているように思える。

タブ切り替えが普及しているがタブの数詞はいまだ一個二個である気がする。「Chromeではウィンドウはせいぜい二枚ぐらい、ウィンドウ一枚あたりタブは多くてもせいぜい十枚ですね」などと言いたいものだ……が、両方が枚だと数えにくいな。タブ化したウィンドウ=冊というのはどうか。いやたぶん使いませんが。

ログとエントリ

そういえばログはどうだろうか。個別のログエントリは一件二件だろうが、総体としてのログは一本二本……となりそうだ。十万件ごとにログファイルをローテートしていてファイル数は十本、とか。いや十個かな……。うーむ。

エントリといえば、「一つのファイルの中に複数の要素が含まれる」場合は件、だろうか。アカウントが10件、設定ファイルのなかに17件の設定が、とか……うーむ言わないかな。だが「パスワードファイルにアカウントが10件ある」とは言うようだ。パスワード漏洩事件で被害のあったアカウントの数はだいたい「件」で数えられている。

ところで、「一つのファイルの中に複数の要素が含まれる」といえばフォルダも同じはずだ。であれば「このフォルダの中にはファイルが五件ある」などと言っても良さそうなものだが、言わないなあ。困ったもんだ。ところが、プログラムを書いている時に「ここにはdirentが一件もないから……」という表現には納得ができる。「エントリ」と「件」の結びつきが強いということか。

コネクション

ネットワーク接続などはコネクションを確立して行われたりする。コネクションは電話と同じで一本、二本。コネクションは三回やってぜんぶリジェクトされた、となるとコネクションが張れなかったんだなと思うが、コネクションが三本あってぜんぶリジェクトされた、となると、すくなくともackが返ったあとでアプリケーションレイヤなどで失敗したイメージがある。この辺も電話のアナロジーですな。

ログインセッションなんかも同じ扱いで一本、二本となるだろう。とはいえ「同時接続数」が何本であるか、というのは自然だが、「今サーバで何本セッションが走ってる?」とか言うだろうか。言う気もするな。

リンク

ちょっと話題がずれるけど、ウェブページのリンクは「はる」ものだが、これは「貼る」のか「張る」のか?というのが一時期気になったことがあった。

コネクションというのは基本的には張るものだ。ふたつのエンティティの間に線を渡すイメージ。とりわけワールドワイドな「ウェブ」(蜘蛛の巣)の話なんだから「張る」が正しかろう。ただリッチエディタで編集していると、文章の特定部分にリンクという修飾を貼り付ける、というイメージはよくわかり、「貼る」はそこから来ているのではないか、という気がする。というかリンクをはる、という表現がすでに死語な気がしてきた。

リンクも一本二本と数える、なぜならこれもウェブ上の線というアナロジーがあるからだ、と思っているが、そんじゃ「貼る」な人はひとつふたつなのか。はたしていったいどうだろう。

まとめ

いろいろ強引に助数詞を割り当ててみたが、実際のところどうだろうか? けっこう人によって使うものもあるしそれなりに自然なものもあるだろう。

が、一方でコンピュータの中の概念はおおむね一個二個と数えておけば問題ない気もする。余計なものがないほうが海外の学習者にもやさしいことだろうから、無理に考えないほうが良いのかも。むしろ積極的にそういう数詞を採用していき、日本語の謎な部分を過去のものにしておくのも悪くはない。のかもしれない。

2015-02-16

神々廻楽市『鴉龍天晴』楽しく読んだのだがまとまりは悪い



神々廻楽市『鴉龍天晴』

第2回ハヤカワSFコンテスト最終候補作。

関ヶ原の戦いで小早川秀秋が日和見を決め込み、結果として徳川の支配する東国と豊臣の支配する西国に別れたまま200年の太平の世が過ぎた後、ペリー来航から日米修好通商条約あたりまでの「幕末」を描いている。

東国は三種の神器に由来する技術を受け継いだ鬼巧というメカがいて、西国は古来の妖怪たちが味方する、という異世界的な設定と、幕末の史実通りの人と史実にはいない人間とが虚実ないまぜで跳梁する歴史ファンタジーというかスチームパンクというか、といった風情。

良い点をまず挙げると、キャラの描き方は魅力的なところ。ちょっとラノベっぽい感じでもあるが、読んでいるあいだは楽しいし魅力的だ。いろんな(裏)設定も見え隠れするし、それぞれにキャラが立っている。キャラクターの語り口調も江戸時代〜幕末っぽさと現代っぽさがいい塩梅で入り混じっており、読みづらさもないが変に現代っぽすぎず、楽しい。

悪い点は、良い点と表裏一体ではあるけれど、キャラクターも設定も詰め込みすぎてしまったところ。いろんなキャラクターのそれぞれの立場が次第に明らかになってくる中盤以降、さてこれをどうまとめるのかな、と思っていたら今ひとつまとまらずに終わってしまった感がある。

よく「アイデアを詰め込みすぎて話としては破綻している」っていうのはSFに対しては褒め言葉になっている(と思う)し、個人的にもそういうSFって好きなんだけど、残念ながら本作はそういうのとは少し違う。単に個別の要素がいまひとつうまく昇華されていないように思われる。もう一歩といった感がある。

そしてもう一つ、この架空の歴史においてこの物語が描いている事件とはなんだったのか?というところにもいささか疑問がある。日米和親条約が結ばれてから日米修好通商条約と将軍跡継ぎ問題のタイミングを描いているのだが、なぜこのタイミングのこのエピソードを描いたのか? いわゆる「歴史が動いた」タイミングはほかにもありそうな気がするのだが……まあそれは難癖みたいなものだけれど、少し気になるところでもある。

そういうわけで、面白いんだがもうひとつまとまりが悪いのが惜しい。ただ同作者の次回作が気になるほどには楽しんで読んだ。

# それとこのペンネーム……ちょっと読めないですよ。奥付にふりがなふってあるけど次に見ても読み方わすれてる自信があるな……

2015-02-07

ES6 Symbolとはなんなのか

なんか最近WebKit (JSC) に ES6 Symbol が実装されたようなんですが、Symbol とかそんなのあったのか……というレベルだったので調べてみました。調べてみたらけっこう知らない世界でした。ES6、いつのまにかこんなことができたのかって感じ。

シンボルとは何なのか

プログラミング言語におけるシンボルというのは……名前がついて区別可能なモノ、というのが一般的な理解である気がします。LISPでは多用されますね。たとえばメソッドの名前とか構造体のフィールド名、連想配列のキーやenumのようなものとして使ったりします。Rubyでもおなじみです。

まあこういう説明が必要な人はあんまりここを読んでない気もするのでwikipediaへのリンクで済ませたい。

ES6のシンボル

ES6のシンボルも似たような感じなんですが、いろいろ違うところもあって戸惑います。以下はおおむねMDNからもってきたものですが……

まず、シンボルは Symbol() で作ります。

a = Symbol()

引数に文字列も渡せます。

b = Symbol("foo")

ただ、この文字列はいわゆるシンボル名ではありません。

a == a // => true
a == b // => false
b == Symbol("foo") // => false

Symbol()が呼ばれるたびに毎回あたらしくシンボルが作られるという感じです(gensymと同じですかね)。Symbol()に渡す引数は仕様ではdescriptionと呼ばれています。

もちろん特定の名前と関連付けられたシンボル、というのも作ることができます。Symbol.forというのがそれです。Symbol.keyForによって名前を逆引きできます。

c = Symbol.for('foo')
c == Symbol.for('foo')  // => true
b == c  // => false
Symbol.keyFor(c)  // => 'foo'
Symbol.keyFor(b)  // => undefined

んでシンボルの用途ですが、オブジェクトへのキーにできます。

o = {}
o[a] = 1
o[a]  // => 1

まあ文字列と一緒ですね。ただし、文字列化しているわけではありません。

o[a.toString()]  // => undefined

そしてなぜか、oのキーとして、シンボルは通常見えなくなります。たとえばObject.keys()やfor...in構文などでは無視されるようになります。

Object.keys(o)  // => []
o[a]  // => 1

JSON.stringifyでも無視されます。

JSON.stringify(o)  // => "{}"

いちおう「キーのうちシンボルだけ」を取り出すAPIもあるので頑張れば持ってこれますが、基本的には見えてこないということですね。

ES6 シンボルの用途

さてこれなんに使うんだろうか……と不思議だったんですが、プライベートなフィールドを作るのに便利そうです。http://tc39wiki.calculist.org/es6/symbols/ の例……はモジュールを使ってますが、ふつうのJSっぽく書くと、

var Foo;
(function() {
  var sym = Symbol('foo');
  Foo = function() {
    this[sym] = 'foo';
  }
  Foo.prototype.bar = function() {
     // do something with this[sym]...
  }
})()

こんなふうに書くと、symのフィールドには外部からはわりと不可視になります。外部から不用意にアクセスできないようなフィールドには便利ですね。

もう一つとして、ある種の構文を提供できるようになるようです。というかたぶんこれが主な用途なんですかね。

たとえばSymbol.iteratorというシンボルが定義されていますが、これによって任意のオブジェクトを for...of構文に渡したりできます。

function Range(s, e) {
  this.start = s;
  this.end = e;
}
Range.Iterator = function(range) {
  this.range = range;
  this.current = range.start;
}
Range.Iterator.prototype.next = function() {
  if (this.current >= this.range.end)
    return {done: true};
  return {value: this.current++, done: false};
}

Range.prototype[Symbol.iterator] = function() {
  return new Range.Iterator(this);
}
for (var x of new Range(4, 10)) { console.log(x); }  // => 4, 5, 6, 7, 8, 9

こういう特殊なシンボル(Well-known symbols)は現行のES6において11個定義されているみたいですが、Chromeにはまだiteratorしかないようです。

2015-02-02

The Imitation Game

コンピュータの仕事をしていたらだれでも知ってる数学者のアラン・チューリング、その生涯のうち、とくに第二次大戦中にドイツのエニグマ暗号をやぶったくだりを中心に描いた映画。ベネディクト・カンバーバッチ主演。あんまし情報ないので日本上映は先なのかな、と思ったらトレイラーもありました。
映画はみっつの時代を行き来する。映画は1950年にはじまる。マンチェスター大学に赴任していたチューリングのもとに警察が訪れる。チューリングは軍籍があったが、その軍歴は極秘でありうかがい知ることはできない……。

そして時代は1940年、チューリングが「ラジオ工場」に赴任し、ナチスドイツの暗号分析にはいる。同僚は名だたる数学者やチェスチャンピオン。傍受した暗号の解読にいそしんでいたチームだったが、チューリングはまったく別のアイデアを構想する。暗号解読機械を構築し、人手を介さずに瞬時にして暗号を解くのだ。

最後は1920年代末、チューリングの少年時代。いじめられがちだったチューリングだったが、クリストファーという親友ができ、本で読んで覚えたばかりの暗号(映画ではよくわからないがおそらく単純なシーザー暗号)でメッセージをやりとりするようになる。同性愛者であったチューリングにとって、クリストファーへの思いはある種の恋愛感情をもったものであることが示唆される。

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映画にはふたつのテーマが隠されている。

ひとつは暗号解読チームの成功物語だ。

チューリングの同僚たちはプライドも高く、はじめはチューリングのやり方に納得できずに去ってしまう。やがて和解し、一丸となって機械の構築に挑むが、機械はなかなか動かない。どうしても最後の一手に欠ける。いっぽう、なかなか成果の出ないままわけのわからない機械を作っているチューリングに業を煮やした将軍は強制的に停止しようとするが……。

チームものとしてはおあつらえ向きの展開だ。はじめは対立するがやがて和解するのはチェスチャンピオンでもあるヒュー・アレクサンダー。対立して去ってしまった人手を埋めるために採用した女性、ジョーン・クラークとチューリングは親密さを増していき、あるときチューリングはジョーンに求婚するまでになる(この辺、実在の人物なのかよくわからんな……と見ながら思ってたのだが主要登場人物はちゃんと実在だし、チューリングが求婚したのも本当のことらしい。知らなかった)。

だがチューリングを語る上で大事なもうひとつの軸は、彼が同性愛者だということであり、1950年台の物語も、20年台の物語も、そちらが主要なテーマとなる。そして彼が同性愛者だということ(そして当時のイギリスではそれは違法だということ)は物語に深刻な影を落とし始める。

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よくできた映画だと思う。

チームの成功物語としてもなかなかよくできているし、何かあるとしどろもどろになってしまうしコミュ障にもほどがあるチューリングもキャラが立っている(しかし、あんなわかりやすくコミュ障な人だったんだろうか。序盤のランチのくだりは笑ってしまった)。

構築したマシンのかっこよさも格別で、ついに解析に成功して機械が停止するシーンとかも良いかんじ。

でもそういう脳天気な話にはならない。戦時下の厳しさ、チューリングの性的傾向の問題、スパイ嫌疑の問題などが重くのしかかる。そんななか、ジョーンとの友情とも愛情ともつかない不思議な関係の描写も面白い。

タイトルの "imitation game" というのは、直接的には作中で語られるチューリングテストのことだ。機械による人間の模倣のゲーム。だがそれは同時に暗号のモノマネでもあるし、同性愛者が異性愛者のふりをすることでもあるように思われる。ほとんど社会不適合者なチューリングが頑張って普通の人のふりをすることでもあるだろう。

まあ見ると良いと思いますよ。

2015-01-20

芝村裕吏『宇宙人相場』。オチはよい



芝村裕吏『宇宙人相場』

一部にコアなファンのいる芝村裕吏の早川のSF3本目。

子供の頃からずっとオタクでその業界で頑張ってきた結果、35歳にして小さなアニメ関連グッズ会社の社長をやっていた主人公が、でもそろそろ結婚したいなと思っていた矢先にふと出会った病気がちな女性と結婚することになり、だが病気がちな妻といっしょに過ごすために、義父の手ほどきを受けてデイトレーディング(スキャルピング)を始めることになるが、いっぽうなぜか質問ばかりしてくるスパムメールの主は自分が宇宙人だと主張をはじめ……

といったあらすじ。意味わからんと思ったかもしれませんがわりと適正なあらすじかと思います。オタク、デイトレーディング、宇宙人ファーストコンタクトというだいぶ無理な組み合わせの三題噺といった風情。ただ、この三要素は作中でうまく絡み合っているとは思えず、またそれぞれの書き込みというか内容についても、ディープな向きからは不満も残るもののようす。

たとえば株についてみると、主人公がふつうに勝ちすぎという点がレビューなんかで指摘されている……ってまあそれはそういう話だと思って読むべきかなと思ったし、「オタクであればあるほど現実と虚構の区別はつく」という作中の主人公の述懐を引くまでもなく、こんなの読んで株やろうという阿呆はおらんと思うので別に良いのでは、とは思うけれど。それに主人公も失敗して死にそうになったりしてるし。

ただ言い方を変えると、いわゆる経済小説としての完成度はべつに高くない。素人がいきなりはじめて大儲けしました、反射神経と判断力が鍵なのですが頑張りました、という話なので、だからなにっていう感じはある。

オタク方面については個人的にもにょるところがあって、主人公がコミュニケーション能力の薄いオタクだということがあって、いささか身につまされる面もある一方、主人公が嫁とトレーディングにのめり込んでいくうちにアニメとかどうでもよくなってくるのを見るのは悲しい気分になってくる(降って湧いたように嫁が登場する展開だからか、願望充足的という指摘も見た気がするけれど、ふつうのオタクの願望充足はこういうものではないでしょう)。後半の主人公はほとんど嫁かわいいに終始しており(あとは嫁の実家の問題に気に病むぐらいであり)、アニオタというアイデンティティはこの小説に必要なのか?というのは疑問を抱かざるをえない面はある。まあ結婚してオタクをやめるってのは、ある意味リアルだとは思うけれど……(そういう意味でエピローグでの元社員の反応なんかはリアルに思える)。

ただオタクを描く芝村の手つきは非常に手慣れており、主人公のオタクらしい言動や考え方や周囲との噛みあわなさというのは読んでいて楽しく、この作品を豊かにしているとも思える。

まあさっくり読めて総合的にはよろしいんじゃないでしょうか。ただ宇宙人、どうなの、この話にいるの、ってのはよくわからんですね……。

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と思ったけど最後の宇宙人のセリフで設定が明らかになるわけですね。最初すごい雑に読み飛ばしてしまったが、ああなるほどね、ってなる。

きちんと伏線を張って回収するのが良い向きにはあまり好まれないかもしれませんが、あんまり溜めずに、さりげなく一言で世界をひっくりかえすというのは、個人的には好き。一種のギャフンオチですね。

2015-01-13

tarを解凍しつつキャッシュに展開するService worker

というのを書いてみました。なんかたくさんアセットのある例、ってことで emojify.js という絵文字系のJSライブラリのデモページを使ってます。

https://googledrive.com/host/0B8b5YMw-yJleQ3N4bkxrNVlfYjA/

このページはemojify.jsのデモページである http://hassankhan.github.io/emojify.js/ とほとんど同じです。タイトルと注意書きと、service workersの登録を除けば。

ただ、もとのデモページと違って images ディレクトリを消してるので画像ロードが盛大に失敗します。画面スクロールするとサンプル絵文字が読み込み失敗になっていくのが見えるはずです。

ところがChrome 40以降であれば、この時点でservice workerが登録され、動き始めます。service workerは画像ファイルをアーカイブしたimages.tarを取得し、なかのファイルを取り出してキャッシュに突っ込みます。

なので、数秒待ってから(この処理が完了してから)リロードすると、さっきは読み込み失敗してた画像が突然表示されるようになります。しかもキャッシュから取ってくるので速い!という。

書いていて途中で「まあでもコネクションを減らす目的だったらpipeliningしたりspdy使ったりしたほうが効率いいよな……」とふと我に返るタイミングもありましたが、あまり気にしないことに。

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tarってしょせんヘッダとコンテントが並んでるだけのデータ構造でしょ、って思ってて、詳細しらんけどそれぐらいJSでも読めるんじゃないかなぁ、ということで思いついたのがこのデモのきっかけです。tarのパーサはGNUのマニュアルを見ながら超適当に書きました。

tarは512バイトごとのブロック単位になっており、512バイトのヘッダブロックにそのファイルのメタデータを記述し、必要ならそのファイルのコンテンツを保持したブロックが続きます(ディレクトリやシンボリックリンクなどはコンテントは存在しないのでいきなり次のブロックが続く)。

ファイルの終端は0クリアされたブロックが2つ続くとか、フォーマットやチェックサムの項目があるとか、そういう細々したのがいろいろあるのですが、今回はそういうのは完璧に無視し、ファイル名とファイル長だけを取ってくる単純な仕様にしました。ArrayBufferを使って512バイトごとに区切り、特定のオフセットにアクセスするだけなので簡単でした。

ちょっと驚いたのはサイズのフィールドはASCIIの数字で8進数表記ということですかね。なんでそんな仕様なんでしょうか。

2015-01-07

ウィリアム・ソウルゼンバーグ『ねずみに支配された島』



ウィリアム・ソウルゼンバーグ『ネズミに支配された島

面白かったけれど、『捕食者なき世界』ほどの面白さはないかな、と思いました。著者のソウルゼンバーグはこういった著書など生態系に関するテーマに強い科学ジャーナリスト。

本書の指摘は単純明快。ねずみに代表される害獣によって多くの固有種が絶滅の危機に瀕しています。害獣駆除の試みが始まって、いちおう成功を収めつつあります。以上。

著者も指摘するように、「野生動物の絶滅」とかというと、多くの人が思い浮かべるのは、毛皮や角などを求めて(多くは西洋文明の)人間によって根絶させられるというものかも。ですが、多くの絶滅は孤立した島の固有種に対して起こり、それは西洋文明とはあまり関係なく、人間の移住や、それにともなうねずみなどの害獣によって引き起こされると著者は書く。

主な舞台はニュージーランドとアリューシャン列島。ニュージーランドの飛べない鳥カカポやアリューシャン列島の海鳥たちはねずみによって絶滅の危機に瀕しているとされます。ねずみは空腹でなくても獲物を狩れるうちには狩ってしまう習性があり(過剰な分はためこんで腐らせてしまったりする)、そういう獲物が生態系に存在しなかった島では少数であってもおそるべき効果を発揮してしまうとか。あるところではネコが、またあるところではキツネが、ヒツジやブタが、生態系を崩壊させてしまう。

イースター島の文明崩壊、ヤシの木を刈りつくしてしまったのも、住民がみずからすべて伐採したというジャレド・ダイヤモンドの説(『文明崩壊』)よりも、住民が持ち込んだねずみにむしろ原因があることが示唆されるのだとか。

こういう問題への対抗策は、そういう外来種の害獣たちを一匹残らず駆除すること。駆除というのはつまり、ねずみの場合は毒を含んだ餌をばらまいて殺し尽くすこと。ねこなら罠や銃で狩り尽くすことを意味します。ですが多くが絶海の孤島であるこうした島において、駆除のプロジェクトは簡単なものではありません。ここにねずみ根絶に向けた一大プロジェクトが発足するわけですが……

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著者はどちらかといえば野生動物の保全という目的に疑問を抱いていないけれども、個人的にはいささか割り切れない面もあります。野生動物というのはねずみがいなくても、勝手に滅んでいたものかもしれません。その地に適応してしまったねずみを殺すのは、ねずみがありふれた種であり、よそにいくらでもいるからですが、それは命の比較なのでは。ねずみを殺すにしても、もっと人道的な方法はないのだろうか……などなどの指摘は本書でも一応取り扱われています。ほかにも、複雑な因果関係がきちんと議論されないまま、動物を根絶させるという点から反対運動が起こるということもあるようで、ブタを根絶させようとして反対運動が起こった事例なども紹介されています。

また、毒餌によって根絶させるという場合、ねずみだけがターゲットになるともかぎりません。毒餌はほかにも効いてしまうでしょうし、ねずみの死骸を食べた野生動物が犠牲になるケースもあるのだとか。複雑な生態系の話なので、問題はそうそう簡単でもありません。

でも、そういった問題を抱えつつも、総合的にはいろんな問題が実際に解決されているのは事実であり、ともかくも先に進めていく、というのが本書の結末であり、ある種感動的ではあります。

個人的に前作より劣るかなと思ったのは、「害獣によって生態系が破壊される」というテーマが、『捕食者なき世界』のテーマほどの意外性がなく、予想よりはるかにすごいとはいえ「まあそうなんだろうな」というものであることと、毒餌のような対応策の単純さにあるのかもしれません。

2015-01-02

ベン・ウィンタース『カウントダウンシティ』。『地上最後の刑事』の続編。わるくはないが……



ベン・ウィンタース『カウントダウンシティ』

地上最後の刑事』の続編(→感想)。

『地上最後の刑事』では、小惑星の衝突による人類滅亡まであと半年という時期において、とある片田舎の街のふつうの刑事が事件を追う、という話だった。いわゆる破滅ものだけれど、あまり真剣にSFしてなくて、あくまでも警察小説としての体裁を保つことで、そこからかいま見える人類社会を描いているところがユニークで面白かった。

続編の本作は、衝突までもう3ヶ月を切ったある日。警察組織自体がほぼ崩壊していて退職した主人公が、知り合いの女性に頼られて失踪した夫を探す、という筋立て。

前巻の感想の最後に、続刊はつまらなくなるかも、という懸念を書いておいた。人類滅亡の日は決まっているけれどもそれはまだ半年先で、人によってはいろいろ好き勝手なことが始まっているけれども、社会は崩壊しきっていなくて、警察も士気は低いけれどもいちおう組織としては残っていて、みたいな奇妙なバランスが妙味だと思ったので、破滅が近づくとこのバランスが崩れちゃうっていう気もしたので。

この懸念はある程度あたっていた。滅亡までのカウントダウンは始まってしまい、社会はいろんなレベルで壊れている。食品配給制度が始まっていて、インフラは壊れ、電気や水道が使えなくなることもあり、主人公は警察をクビになっている。主人公が捜査の必要からあちこちに赴いた結果として、そういう社会の有り様が明らかになっていく小説手法は健在で、そこは面白かったのだけれど、前巻のような奇妙なバランスはもうない。これはほとんど破滅SFといってよく、そのわりに失踪者を探すという事件の「大したことなさ」はもうバランスが取れていない。それに最終的な事件の解決もあっさりしていて、なぜこの設定とこの展開にたいしてこんな事件なのか?というのが謎めいている。

前巻は士気の下がりきった警察組織のなかで何故か捜査を行う主人公というのがノワールっぽくなっている、という指摘があったけれど、その点で言うと今巻では主人公はもうクビになっているので、ある種「元警察の探偵」風味になっているところは面白くはある。でもまあそれは些事かな。

前巻でも奇妙に空虚だった主人公の捜査への動機はいっそう空白になり、一人称小説なのに主人公が何を考えて行動しているのか疑問と言わざるをえない話になっている……というのはまあ、主人公が実質的に狂言回しだからなのだけれど、そういう構成が読者にあからさまになってしまうのは残念感もある。

ここまで来たら最後まで読みたいところだし、個人的には面白く読んだけれど、まぁ前巻ほどではないかな。前巻を読んですごく気に入った自分みたいな人は読むべきですね。