2012-03-26

ブルース・シュナイアー "Liars and Outliers"

忙しくて文章を書く暇があまりなかったが、ブルース・シュナイアーの新作 Liars and Outliers: Enabling the Trust that Society Needs to Thrive を読み終えていた。
本書は "Beyond Fear" (邦訳:『セキュリティはなぜやぶられたのか』)の続編に当たる本だと思う。シュナイアー先生がふたたび、社会を相手に自らの知見を述べるといった体裁の本だ(実際には、この間に書かれた他の本を読んでないので、もうちょっと流れがあるのかもしれないが)。
"Beyond Fear"では、9.11以降のアメリカ社会、とくに空港のセキュリティチェックが厳しくなってきた現実を踏まえ、それがいかに形骸化して効果をもたらさなくなっているかを指摘していた。そして、セキュリティというのはプロセスであり、常に人の手で運営され、見直される必要があることを提言していた。
この本は、そのもっと前提部分に立つ。社会がなぜ、どのように成り立っているのか、セキュリティはその中でどういう地位を占めるのか。
本はこういうシーンから始まる。まさに今日、見知らぬ人間が家の前に来て水漏れを直しに来たと伝える。著者はその人のIDを確認することもなく家に招き入れ、その人物もまた、ふつうに修理をする。修理が終わればお金を払う。家のものを盗もうともしないし、家主も勝手に奪ったり、支払いを拒否したりしない。そんなことがあるだろうと気に病むことすらない。
なぜか。それは信頼があるからだ。その水道工との信頼関係ではない。なんせその人とは初めて会ったところだ。でも社会への信頼がある。互いに同じ社会に属し、その行動規範に則っているという信頼がある。

これがこの本のテーマである。
たとえば囚人のジレンマという問題がある。二人の容疑者がいる。互いに別々の部屋に入れられ、相手を告発するかどうか持ちかけられる。互いに黙秘していれば、1年間投獄される。相手が黙秘して自分が告発すれば、自分は釈放されて相手は10年間の投獄をされる。両方ともが告発すれば、両者とも6年の刑に課せられる。
このとき、相手がもし黙秘しているのだとすれば、自分は黙秘をしていれば投獄され、告発すれば釈放される。もし相手が告発をするのだとすると、やはり告発したほうが自分の刑期は短くなる。したがって、どんな場合でも告発するのが合理的となる。
ここでシュナイアーがユニークなのは、いわゆる繰り返し囚人のジレンマ問題に持ち込まなかったところだと思う。よくある「しっぺがえし戦略」はここでは扱わない。囚人のジレンマの問題を1回だけ行うとして、どうなるだろう。
実際の問題で似たようなシチュエーションを考慮すると、そうするのが合理的であっても告発してばかりの殺伐とした状況にはならない。なぜか。僕たちはどうやって信頼を構築するのだろう。
というのがこの本のテーマである。
以降、様々なシチュエーションを考慮しながらいかにして社会的な圧力(societal pressure)が構築され、人々にとって協調的に行動することが合理的になるか、ということを示していく。倫理観、評判、社会システム。そしてセキュリティはそれらの仕組みを支えるためのテクノロジーとしてのみ存在する。
だが、社会の仕組みとしていかにうまく協調的な行動を導こうとしても、完全にはうまく行かないことも強調する。嘘つき(Liar)や例外(Outlier)は必ず存在してゼロには決してできない。むしろ、ゼロは目指すべきではない。それを目指すことで不必要な社会圧力や仕組みが生まれ、社会は高いコストを払い続け、失敗に追い込まれるのだ。

シュナイアーが"Beyond Fear"を書いたのは、9.11への反動ともいうべきアメリカ社会の反応に感じるところがあったからだろう。基本的に本書の姿勢もそこに立脚しているようで、多少は9.11に関係するポイントもある(だが、その扱いは注意深い)。いずれにせよ、日本人の読者としてはやはり震災後の原発をめぐる議論について思わざるをえない面もある。
久々の力作ということもあって、たぶんこの本もすぐに邦訳が出ると思う。そのときにでも是非読んでみて欲しい。
おすすめ。