2014-08-06

東浩紀『弱いつながり』ーーイングレスをやるべき、という本

東浩紀『弱いつながり』を読んだ。

ネットは自分の趣味関心に強く縛られる。情報であふれているがその情報まで到達できない(本人に到達する気がないので)。だから世界を物理的に旅をして、観光をして、新しいものを見て、自分を変えていくのが大事だ、という本。

本の内容について細かい部分には疑問がある。たとえばウェブ上の言語の問題についていろいろ書いてあるのは、どちらかといえばただの技術的な課題ではないか、とか。旅行は時間がかかることが良いのだ、というのはほんとうか、とか。が、どうでもいい詳細だと思うのでそこは措く。

些事以外に読んでいてずっとモヤモヤしていたのが解決しなかった点がある。旅に出よーーでもどこに? どう選べばいい?

著者はこの本で再三、旅行をすすめる。環境を変え、違う世界を見ることで自分を変えることをすすめる。しかし、じゃあ、どこに行きゃいいの? 何が旅で何が旅でないのか? それが一番難しい問題なんじゃないか?

もちろん「どこにでも行けばいい、変えることが大事だ」というのが回答なのだろう。しかし、それは答えになっているのだろうか。どこかに行くという発想を持つこと、旅行というときに、思いもかけないところに行って思いもかけない経験をするにはどうしたらいいか、ということ。

だが、だとするとーー検索クエリが自分の環境に縛られているように、旅の行き先も、見聞の広める先もまた、自分の環境に縛られてしまうんじゃないのか。これについてももちろん、実際の旅行はすべてが事前の予定通りに進むものではないから、行ってみた先の予想外な事象が「弱いつながり」を生む、というのが正しい回答だろう。

でもそうなんだろうか。そうなんだけど……旅行はそれ自体がそういう性質を持つものでもないんじゃないだろうか。そして、「観光」という言葉で批判されがちな観光ツアーというのは、そういう弱いつながりをなるべく断ち、日常の延長のままに移動する様態であるからこそ批判されているのではないかなあ。いわゆるパック旅行ってやつ。

そもそも、ここで著者の言う旅行というのは、ようするに見聞を広めましょうということなんじゃないだろうか。多様な文化を眺めるには旅行は良いが、たとえば動物園や博物館でも文化ではなく違うジャンルについてではあるが同じような効能はありそうな気もしている。それが旅行に限られているのは、著者がそういう人間だからであって、それはつまり本書の内容もやはり著者が環境に縛られているがゆえでしかないようにも思える。

---

さて、この本を読んでいてとにかくどこかで最近読んだような話だな、とずっと引っかかっていたのだが、あれだ、イングレスである。

イングレスというのはグーグルがやっている位置ゲーだが、中の人はけっこう面白いことを考えているようだ。日本人では川島優志がいまはイングレスチームに入っていて、いろんなところで何度か繰り返しイングレスのコンセプトについて語っているが、最近だとこのインタビューは詳しい。
せっかくインターネットが、
人と人をつなげるツールとしてあるのに、
今、実際に起こってることっていうのは、
同じ考えを持っている人との間だけに
コミュニケーションが閉じてしまう、
っていうことだと思うんです。

閉じたコミュニティーの中で
クラスター化されてしまう、っていうことですね。

でも、社会のあり方としては、
もうちょっといろいろなノイズが入ったり、
いろんな意見にさらされながらやっていくもんだと思うんですよね。
そういう意味では、クラスター化が進んだ先には、
あまりいい結果はないんじゃないかっていう気がします。 

(中略)

何を目指しているかというと、人が動くことなんですよね。
「Ingress」を始めたJohn Hankeという人は、
「Google Earth」を作った人なんですけど、
現代の人は外に出て行かなくなくなってしまった、
と彼は感じたんです。

家から一歩も出ることなく
世界中を巡れてしまうものを作った人が、
それと逆のことを目指したというのは、
なんだか面白いですね。

もう一度、人が外に出て行って、
街の中を自分の目で発見して、お互いに挨拶をしたりとか、
自分の身の周りを幸せにするものが作れないか、
と考えて、彼が始めたのが「Ingress」っていうもので。
ぼくなりの咀嚼では、イングレスの目的というのはみんなに世界を歩きまわってもらいたいということ、ポータルを探すという名目で自分の身の回りの環境の知らなかった部分を再発見することのようだ。「あなたの周りの世界は見たままとは限らない」というのは直接的にはゲームの設定なんだけど、そうやって身の回りの世界を再発見するということも含んでいるんだと理解している。

これは著者の言いたかった内容と重なるのではないか。

そして、ここは重要なのだが、イングレスをやるには、世界のいろんなところに行かないといけない。べつに行き先が海外旅行である必要はないし(そのほうが少ないだろう)、ゲーム内には、ここに行けとかいった指示があるわけでもない。でも、ゲームの構造そのものが「どこか違うところに行ってみる」というのをモチベートするようになっている。これは「旅行って行ってもどこに行きゃいいの、行き先ってのも自分に縛られるんじゃないの」という問題に対する一つの答えになっているのではないか。

というわけで、東浩紀はイングレスをやるべき。『弱いつながり』を読んで感心した人々も、まずはイングレスをインスコすべき。

と思いました。

なおぼくはイングレスやってません。