2012-12-24

『会社神話の経営人類学』



これを眺めてへえ、と思って手に取った本。たしかに、着眼点がめっぽう面白い。が、一方でうーん?となるところもあった。

著者たちは、会社にまつわる様々なポイントを人類学的に研究するという研究プロジェクトの人たちで、本書はそのうち、「神話」に焦点を当てた論考を掲載している。
会社にまつわる内部のことばがいろいろある。これを人類学における神話である、と見做した、というのが本書のひとつの成果だ。たとえば「社史」というものがあったりするわけだが、そこで語られている創業に至る過程はある種の創世神話であり、活躍する初期の社員たちの物語は英雄神話となり、受容されていくと指摘している。

この着眼点はめっぽう面白くて、↑の山形浩生の紹介文や、本書の序文などを読むとそれだけで「これは面白そうだ!」という気分になる。
が、一方で、個別の論考については、だからどうなんだろう、というのがもうひとつわかったようなわからなかったような気分になるものもあった。ひとつには、自分は門外漢なので細かな問題意識や前提となる用語の定義からしてよくわかっていない、というのがあるのかもしれない。「神話」というのは一般名詞でもあるため、定義には慎重であるべきだが、よくわからないまま話を進めてしまっているものもある。何を神話と呼ぶか、といった定義づけをやっている章も多く、それはよいのだが……。会社の創業にまつわるエピソードが、これは創業神話だ、ということが言えたとして、だからどうなんだろう、という先に踏み込んでおらず、エピソードをピックアップして、神話との類似性を指摘しただけの論考もわりとあったように思う。たとえば「オーケストラの神話」は、ウィキペディアによくある雑多な事例の箇条書きから踏みでた部分がすごく少ないと思う。

もちろん、神話であるからどうなのか?というところに踏み込んだ論考もちゃんとある。神話というのは、共同体のあいだで共有され、真実であるとみなされ、行動規範になったり、様々な風習……たとえば社内行事であるとか、社内の独自の研修であるとか、文化であるとか、そういったものを形作る役割を持つ。誰それがこう言った、というエピソードは、長い歴史のなかで現実から離れ、類型化し、あるいは言い直され、社内の価値観や文化に影響を及ぼす。

そもそも「社史」を神話の典拠とみなすというのは、それほど自明な話じゃなくって、なぜなら社史というのはそもそも事実を記載していくものである……だが実際には社史には様々な言葉がはいっていて、実際に神話的な影響を社員に及ぼしている、なんてことを言ってのける。

安い本でもないのでおすすめ、というほどでもないですが、まあ面白い本ですよ。

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しかし、いちゃもんを上でつけたけれども、実際、この着眼点から自分の周囲を見渡してみると、ちょっと違った風景に見えてくるのも確か。自分の勤務先も、それなりにおもしろい神話をいくつも持っている。勤務先はアメリカの会社で、社史とかそういうもんはないけれど、外部からジャーナリスティックに、たまにおもしろ半分に、取り上げられる言葉がそういう神話を形作っている。

……まあ、勤務先の話ばっかりするのはあれだが、こんなものはもっと言えば会社に限った話でもないのではないか? たとえばハッカーコミュニティは、さまざまな英雄たちの神話に彩られているといえるのではないかなあと思ったりする。様々な先達たちの活躍はどちらかというと英雄神話の彩りを帯び、それ以外の人間の行動規範となっている。

そうやって素人的にあれこれ拡大解釈していくのは、実際どうなのかなあとも思うわけだけれども、それはそれで素人なりに楽しい。本に書かれている内容それ自体よりも、そうやってあれこれ考えることのほうがむしろ面白いとさえ思える本だった。

2012-12-04

チューニョを作ってみた

前に高野豆腐を作ったときに最後に言及したチューニョという食材を作ってみました。どうでもいいことですが、前に書いたときは微妙にいい間違えをしてました。
スープで煮込んだ。詳細は下記

ところで今回は写真をあんまり撮ってませんでした。使えねーな俺……。

さて、チューニョとは何かというと、じゃがいもを冷凍して脱水することで作るヤツのことです。東北地方でも凍みイモといって似たような食い物があるのだそうな。

高野豆腐は豆腐を凍らせて解凍してを繰り返してスポンジ状の食感を作り、ギュッと絞って脱水し、乾燥させて作ります。チューニョも基本の製法は一緒です。原産地(?)では、冬にその辺に放置しておくと凍結し、朝になると自然解凍し、ということになります。解凍したイモを足で踏んづけて脱水していくのだそうです。

北カリフォルニアは年中あったかいので、その辺に放置しても凍ることはないため、普通に冷凍庫に入れて凍らせ、朝になるとその辺に取り出して自然解凍させ、というのを実施しました。足で踏むのはさすがに抵抗があるので、手でぎゅっと絞ったり、上に皿をかぶせて膝立ちみたいな感じで体重をかけたりして、脱水をしていきました。これは確かにちょっと楽しい。

ある程度の脱水が済んだら、絞ってももうあんまり水分は出て来なくなります。そうしたらその辺に放置して、1週間ほどしたらかなり乾燥していました。

などと書いていますが、実はこれ、いっぺん失敗しました。なんか上に重しをして放置したら脱水が進むかなと思って試してみたところ、絞って出てきた水分に漬け込むかっこうになってしまい、漬物臭を発する物体となってしまい、泣く泣く捨てました。そういう余計なことはせずにその辺に放置するのがよいと思われます。

とにかく手で絞って乾かしてを繰り返すと、本体はシワシワになり、握り込むときの関係で皮がめくれてベロベロになります。皮がめくれて空気が触れている表面部分は黒く変色します。大してうまそうには見えない。
シワシワで黒い
こうなると完成ですが、食べる前にはまず、これを水に一晩ほど漬け、戻す行程が必要です(↑の写真は一瞬水につけた後、「写真いちおう撮っとくか」と撮ったもの水滴がちょっと見えるのはそういう理由です)。脱水したのに戻す……まあ乾物とはだいたいそういうものですかね。
戻したあと。あんまり変わってない
さて、戻すとどうなるかというとこうなりました。大きさ、あんまし変わってない……。写真を見比べるとシワは減ってるような気がします。ただ、水分を含んでいるものの、瑞瑞しさもさっぱりありません。じゃがいもらしさもありません。切った断面など、強いて言うとバナナに似ている感じ。なんかねっとりしてるし。あんまり戻ってないんじゃないかなあこれ……という気分。

でもまあヤバイ臭いはしないし食えそうだ。というわけで、炒めるよりは煮込む感じかなーと、ベーコンとキャベツとコンソメの素で煮込んでみました、というのが上の写真となります(やたら黒いですがそういうスープの素なのです。でもちょっと濃すぎた)。

適当に煮たあとでしばらく冷まして含め煮、ということにしましたが、冷ましている間に急激にスープを吸い込んだらしく、いきなりほぼ元と同じぐらいのサイズにまで肥大化しててビビりました。スープは中まで染み込んでおり、まあまあうまい。スープにしてからもすぐ食べず、一日ぐらい置いておくといっそう美味しかったかもしれない。確かに煮崩れることはなさそう。

イモっぽい食感もありつつ、ねっとりともしていて、独特っちゃ独特だし、スープを吸うので美味しいといえば美味しい。

けどまあ、わざわざ手間暇かけるほどの食いもんじゃないのは確かです。たぶんもう二度とやらん気がしますが、実験としては楽しかったので良しとしましょう。スーパーとかで売ってたら買ってもいいんでしょうが……まぁでもわざわざ買うほどでもないか、戻すのめんどいし。