2015-11-21

ふたつのジョブズ映画と伝記映画のありかたについて


"Steve Jobs" を見てきた。2年前の "Jobs" と同じく、ウォルター・アイザックソンのジョブズの伝記をもとにした映画だ。

だが、映画としての方向性はかなり異なる。そして今回のほうが圧倒的に面白い。面白いのだが、批判も大きいみたいだ。

今回の映画では場面を極端に制限している。どれも製品発表のプレゼンテーションの直前。ひとつめはマッキントッシュ、ふたつめはNeXT、みっつめはiMac。こうしたプレゼン直前の準備の舞台裏で、いろんな人がジョブズに会いに来ていろんな話をする。マッキントッシュは予定していた音声合成ができず、ジョブズは開発チームのハーツフェルドにキレる。奥さんはジョブズが認知しない娘のリサの養育費で揉めるし、ウォズニアックがやってきてはしつこくApple IIの話を持ち出す(iMacでの発表会でも論点はApple IIだったけど、そこまで拘ってたっけ?)。スカリーはわざわざNeXTの発表会にやってきて、あと何分でプレゼン始まるから急いで、とか言われているのに「あの日、中国への出張にたつ直前に密告があった……」とか言い出す。こんなタイミングでそんな話すんのかよ!? ちょっと笑う。

言うまでもなくこういうのは演出なのであって、こんな話があるわけがない。それはさすがに見ればわかるとしても、では時と場所が違ったとしてもあのような会話がありえただろうか?というのは、よくわからないところで、「ジョブズ本人からはかけ離れている」という批判はそこを指している。

ウォズニアックに「君が何をしたっていうんだ? 君はエンジニアじゃないしデザイナーでもない。釘の一本打ち込んですらいないじゃないか」と問いつめられ「演奏家は楽器を演奏する。ぼくはオーケストラを演奏するのさ」と答えるジョブズ。4歳の娘にいきなり「偶然の一致なんだ。LISAってのはlocal integrated software architectureの略であって偶然の一致だから」となぜか説明しはじめるジョブズ(それにしてもひどいヤツだな)。ハーツフェルドにはとにかくマッキントッシュを直せとだけ詰め寄り、NeXTの発表会の段階ではぜんぜん完成していないのに平然としているジョブズ。

こうした物事が、かりに事実から再構成していたとしても、こんなのばっかりなこの映画は歪曲で満ちている、という主張に異論はない。

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いっぽうアシュトン・カッチャーの "Jobs" は、正直つまんない映画だった(わたしは飛行機の中で見た)。

この映画は、アイザックソンの伝記をかなりそのまま映画にしている。裸足で闊歩していた学生時代とか、インドを放浪していたとか、ウォズニアックに会って、アップルIを作りはじめて……というのを順番に、そのまま映像にしている。

でもまあ、だったら伝記を読めばいいよね、となってしまう。伝記も伝記で刊行当時は少し批判があったように記憶しているが、とはいえかなりの長さであり、とにかくいろんな要素がある。それを全部ちゃんとした深度で描いていたらとても2時間では収まりきらない。

結果として、詰め込みすぎてそれぞれが浅すぎることになる。そういう映画だったように記憶している。余談だけど個人的には "Jobs" のハイライトはエンディングクレジット(笑)。主なキャストは本人の写真とキャストの顔を並べて紹介していて、アシュトン・カッチャーだけじゃなくて誰も彼もみんなほんとうによく似ていた(それに比べて今回の映画では、見た目はまったく似てない。最初しばらく誰がジョブズなのかわからなかったぐらいだ)。

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「伝記映画」というものがあるとして、そのあり方を考えてみると、しかし、つまんなくても "Jobs" のほうが「正しい」とは思う。いろいろある要素をあまり削らず、手際よく紹介しているからだ。 "Steve Jobs" は映画としては面白いが、実際問題としては伝記でもなんでもないだろう。スティーブ・ジョブズという人間や、その人生や、その人が成し遂げたことについては、あまりフォーカスしない映画だ。

伝記映画であるには、まずおらくはジョブズという人間や、その人のやったことを紹介できてないといけないだろう。この映画は、映画として面白いエピソード(重役会で追い出された話とか娘との確執とか)を使うためにジョブズという題材をとっているが、それだけだ、とも言える。

ただここは瑕疵でもある。たとえばウォズニアックの指摘に対して「オーケストラを演奏する」と平然としていたり、ハーツフェルドに怒ってばかりのジョブズはむしろ、技術に興味はない詐欺師のようですらある。ジョブズ信者ではない自分でも、さすがにこれは偏ってるんでは、と思ったりもする。

それにたとえば、 "Steve Jobs" というタイトルではなく、あくまでも架空のキャラクターで話を作ったら良かったのではないか? 実在の人物を対象にした映画でこれはないんじゃないの? と言われると、それもそうではあるよなあ、とは思うわけですが……。

本作は残念ながら興行的にまったくふるわなかったらしく(私も日曜の午前中の回という人の少ないときに言ったというのはあるが、いたのは自分を含めて5人だけだった。そもそも私もつまんなそうだなと思ってて、 rebuild.fm で @chibicode さんが褒めていなかったら絶対に見に行かなかった)、早々に上映が終わりそうなのだけど、日本でもやったらいいんじゃないかなぁ。まあ面白いですよ。

あとそういえば個人的な感想だけど、のちのiPhoneに繋がりそうなセリフとのちのiPodにつながりそうなセリフが最後の方に出てくるんだけど、あれはちょっと興ざめだと思ったな。

2015-10-25

The Martian

映画版の The Martian 見てきた。原作(『火星の人』早川書房)も邦訳が出る前だったので原書にて既読。

宇宙開拓における植物学者の地位を高める名作でしたが、これをわりとそのまま映像化。ひとり火星に取り残された主人公のサバイバル、地球側の状況、火星ミッションチームなどを手際よく描いて、二転三転する展開もそのまま、とぼけたユーモアも健在。

原作にあったような細かい数値の計算や細部の設定はさすがに出てこないですし、細かい部分はスキップしているんだと思いますが(だいぶ前に読んだので覚えてない)、全体的にはたいへん良い映画化だと思いました。ただまあちょっと長いな。

わりとあっさり終わった原作だったのでラストは蛇足感があるかなぁ。Gravityみたいな感じで終わらせておけばよかった気がする。しいて言うとしたらそんぐらい。楽しめました。

2015-08-27

『ファンタスティック・フォー』はなにが失敗だったのか

新作リメイクとして誕生した『ファンタスティック・フォー』を見てきた。IMdbが4、Rotten Tomatoesが8%というかなり酷いスコアの映画で、むしろこれは見ておかねばなるまいか……という謎の義務感に駆られたので。

で、見たすぐの感想としては……別にそんな酷くないですよ。いわゆる「地雷」のような強烈な駄作のようなものではまったくない。ちゃんとお金のかかった普通のハリウッド映画。

ただ、たいして面白くはない。そんなに酷いスコアになるほどではないとは思うが、確かに高いスコアにはならなさそう……。

で、見た後でIMdbのレビューなどを読んでみると、なるほどな、という感じがした。この映画はいろんな部分で小さな問題を抱えていて、いろんな人がいろんな部分で「ここはちょっと……」と思ったりする。だから高いスコアをつける人が少ないわけだ。

ダメな作品でも、いやそうであればこそごく一部の人は受け入れて評価が割れるということは、まああると思うのだけど(『ピクセル』とか、10点と1点ばっかりで平均スコアが5くらいという極端な事例もある)、この映画は高い評価をする人がいない。結果としてレビューサイトの評価としては最低最悪になってしまう。なるほどなぁと思いました。

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レビュアーが問題点として挙げている点を(個人的にはあまりどうでもよいところから個人的に大事だと思ったところの順に)挙げていこう。

1. 設定変更

『ファンタスティック・フォー』の原作はアメコミなんだけど、今回の映画はかなり設定が違う。原作では宇宙に出ているときに超常能力を得るのだけど、これは異次元世界へ移動する機械になっている。

メインの4人の設定がかなり違う。比較的年のいった天才科学者だったリードは学生になっており、ヒューマン・トーチが黒人に設定変更。そのためスー(本来はヒューマン・トーチと兄弟)は養子という設定が足されている。ベンはリードの子供の頃からの親友で、気弱なナードのような感じになっている。

どうでもいいけどリードが最初はメガネ男子だったのに超常能力を得てから何の説明もなくメガネしなくなったのはなんなのか。

2. 役者・配役の問題

設定変更にも関係しているけれど、4人の役者は原作のイメージとかなり違う。役者たちはそれほど悪くはない気がするけれど、なんでこんなイメージと違う人に……ってのはある。個人的にも、ベンはなんであんなひょろいナードだったのかなぁ、というのはよくわからない。

3. アクションの弱さ

アクションは悪くはないと思うんだけど、全般的にあっさりしていて短い。アクションを期待する向きにはつらい気がする。

4. ストーリー構成の難

アクションシーンが短いのだけど、どうも他のシーンが効果的でない気がする。こういうヒーローもののオリジンストーリーでは、ヒーローになる前の展開はその後の伏線になっているものだ。この映画でも、リードとスーの恋愛に発展しそうな展開や、リードとベンの関係、スーとジョニーの姉弟関係などが描かれるのだけど、それが後半の展開に生きてこない。せめてリードとベンはもう少しはっきりと和解を描かないとダメでは……。それにリードとスーの関係はドゥームも関係しているのに、そこがはっきりしないからドゥームの悪役としてのキャラ立てもあまり効いてこない。

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まあ、ただ、結論としてはあんまり見る価値ない映画だと思いますよ。なかったことになりそう。

2015-07-23

ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』精神病患者のたわごとが北欧最悪の連続殺人犯になるまで



ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』

すごい本を読んだ。

スウェーデンにある精神病院に収容されていたおとなしい精神病患者、トマス・クイックがある日、自分は昔殺人を犯したという告白をする。ふたつの事件の告白により犯人と警察しか知り得ない情報があると感じた警察は起訴を開始。そこからトマス・クイックは次々と過去の犯罪を告白しはじめ、最終的には30人以上の殺人を告白、うち8件の事件については確実に関与があったという検察の主張により有罪判決がくだされる。トマス・クイックはスウェーデンで最も知られた連続殺人犯となる。

だが……。

著者はテレビのジャーナリストで、トマスの取材をはじめたところ奇妙な点がいくつもあるのに気づく。というかこれ、本当にまともな供述と言えるのか……? それで体系的に調査を始めたところ、この事件がまともな証拠のない冤罪事件であることに気づく。

たとえば、実地検分の記録動画を確認しても、トマスの言動はまったくはっきりしていないのだという。告白を続けていたころのトマスは鎮静用の麻薬に中毒になっており、何かあれば麻薬を投薬され、不明瞭な言動しかしていない。起訴状ではトマスが警察を犯行現場に案内したことになっている場合も、実際には右往左往していて「君はあそこをじっと見ているがあそこに何かあるのか?」「うむ」といった会話を繰り返しながら移動していく。あるいは過去のつらい記憶からの逃避のため意図的に視線を向けない方向こそが目的地だとされる。

トマスの供述は当初はなにもかも間違っていたとされる。犯行現場には不案内だったり、自転車を盗んだといったあとでバスに乗ったと言い(そしてバスに乗ったという村は廃村状態になっていて人口たったの一人というしまつ)、襲撃の手順を実演して見せても現場に残った証拠と矛盾するようなことをする。そもそも当時の住所と犯罪現場は何十キロ、何百キロと離れており、しかもトマスは当時運転免許を持っていなかった。

トマスの環境では絶対に知り得なかった内容(ノルウェーの犯罪など)も実は知りうる環境にあったことがわかってくるし、警察も知り得なかった事実にしても、曖昧な発言→警察の調査→誘導的な質疑により調査結果が導かれる(右手に傷があったという発言→両手に発疹があったなど)。

こういう情報をひとつひとつ検証していくことにより、トマスの犯罪の根拠とされているものがことごとく薄弱な根拠しかなかったり誘導されているということを見出していく。そして著者は8件の有罪判決がすべて冤罪であると証明していく。

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本としての面白さは、深層に切り込んでいく著者の描写にある。様々な情報が入り乱れる供述のひとつひとつを解きほぐし、当初の供述がいかにでたらめであったか、根拠とされるものがいかに薄弱だったかを明らかにしていく。

また一方で本書のキモとなるのは、トマスがどのように告白をはじめ、それがどのように受け入れられていったか、という背景や過程でもある。トマスの捜査や告白した事件に関わった人間(トマス本人も含めて)への取材から、その背景が次第に明らかになっていくのだが、これがなんとも言えない読後感なのである。

たとえば、トマスはトマスで虚偽の告白をしたわけだが、愉快犯的な性向があったわけではないようだ。むしろ、精神分析系の影響の強いカウンセラーのもとで、精神病の遠因は過去のトラウマにある、患者は記憶に閉じ込めているだけで他の事件を犯していることもある、といった信念があり、病院側に迎合するために告白を始めているような向きもある。鎮静用の麻薬のこともあり、著者はこの事件を医療過誤だと断じている。

連続殺人犯の精神状態に興味がある心理学者や、必ず同じ捜査官や検察が捜査をしていたことも問題を引き起こしていたようだ。とくに捜査官は(おそらく無意識的に)誘導的な尋問を行っていた。だが、功名心はあったとしても、胡乱な精神病者に罪を押し付けてやろうとか、そういった意識はなかったのではないか……と思わせられる。著者の取材にも、怪しい面もあるかもしれないが、少なくともいくつかの事件についてはトマスがやったのは間違いないと断言をしている。

ひとことで言えば「ボタンのかけ違え」的な、本来ならたわごととして処理されるべきことが、ちょっとしたきっかけでどういうわけか皆の無意識の加担により北欧最悪の連続殺人犯がつくりあげられてしまう、という不可思議かつ残念な事案のようである。

したがってこの部分、読んでいてもどうも納得がいかないというか、スッキリしない面もある。特にトマスの有罪判決にかかわった人々は著者とは立場が違うということもあり、著者の取材にはあまり好意的ではないという面もある。だが、この納得のいかなさ、というのがこの本の大事なところでもあり、こういう表現が適切かはわからないが魅力でもあるのだった。

なんともはや、という本であった。

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なお著者はスウェーデンのジャーナリストであるが、本書は英訳からの重訳。トマスについて何にも知らなくても詳しく解説してあるので普通に読めます。

2015-07-21

"Silicon Valley" season 2

シリコンバレーのスタートアップを描いたHBOのテレビドラマシリーズ "Silicon Valley"、シーズン2がGoogle Playに来てたので見てました。感想書いてないけどシーズン1も楽しんで見てたので。

シーズン1は資金調達、会社設立、ロゴの設定、といった話や、旧職Hooliが対抗製品の開発に着手、そんななかでのTechCrunch Disruptでの発表、といったあたりを描きつつ、まあ基本はコメディというか、理不尽な状況や無茶苦茶な人たちにリチャードが振り回されるドラマ。小ネタがいろいろ面白くて見ていて笑うところが多くて、まあ良かったかなと。主人公達の会社、Pied Piperがいちおうコアテクノロジーを持ってる会社だけどいろんな面がまだまだこれから、というステージなのがよかったかなと思いました。

で、シーズン2では、ついにHooliはPied Piperに対して訴訟を起こす……といった展開なんだけど、とくに序盤はあんまし笑えない気がする。かといって真面目なのかというと、そのわりに敵役であるHooliが無茶苦茶すぎて、うーんこれはどういう表情で見たらいいドラマなんだろうか……ってなった。

まあシーズン2も第6話Homicideは面白かったし、タバコのシーンは(まあ絶対そういうオチだよねとわかっていても)笑うけれども、そういうわけで個人的には少しトーンダウンした印象。ただIMdbとかでもシーズン1より評価高いですね。そういうもんか。

すごいヒキで終わるしシーズン3確定らしいんで、まあたぶんシーズン3も見ることになる気がします。続きを見るくらいには好きかな。

2015-07-20

『アントマン』


アントマン』見に行った。

前知識ゼロだったので、主人公がハンク・ピムじゃないという時点で驚いている始末。映画内世界ではハンク・ピムはすでにアントマンとして活躍していて引退済、映画自体は2代目アントマンであるスコット・ラングのオリジンストーリー、てのはちょっと珍しい構成かも。

全般的にコメディ要素が強くて子供向けだなー……と思ってたらPG-13なんで子供は見られないのか。小さくなってアリを操る(原作通りですが)設定とか、子供部屋でのバトルとか、小さくなっての戦いなので客観的に見るとしょぼいところとか、子供向けな気がするんですが……大人じゃないと逆に笑えないかな。

小さくなるという能力は破壊工作向きではあるんだけどいまひとつ派手な方向には向かないよな、という問題点はそれなりに頑張っていたという認識。縮小と元に戻るを繰り返して敵を翻弄する戦闘スタイルはなかなか見応えはあった。そういう意味で戦闘シーン的な一番の見どころはvsファルコン戦かな。

まあ総合的には悪くはないですね、という感じか。

ところで設定的に原子の間の距離を短くするとか言っていた気がするけれどそれだと質量が保存されるので人間がつまみ上げたりアリに乗ったりとかできないんじゃ、ていうか床に穴が開くんじゃ、とか思ったけど些事です。まあそんなこと言ったらハルクとかどうなってんねんて感じなんでいいんですけど。

なおスタン・リーは全然出てこないので見逃したか?と不安になったりしたけどエンドクレジット直前に出てきます。

2015-07-13

グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

これはつまんないんでは。

第1章は執筆時には近未来だった2012年のイランの社会問題を、オーストラリアからの特派員であるひとりめの主人公と、イランからアメリカに渡った学生であるふたりめの主人公の立場から描いていて、いまひとつ接点が見えない状態のまま続く。ふたりめの主人公ことナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトという人間の脳のマッピングに関わる研究をしたいと思っていている。

第2章になって舞台をテヘランにほぼ固定し、ストーリーは動き出す。ひとりめの主人公であるマーティンはそのままイラン人女性と結婚して子供ができ、そこに住んで書店経営している。いっぽうナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトは追わずにイランに帰国し、「ゼンデギ」というヴァーチャルリアリティ系のゲームの運営に携わるようになる。そこでナシムが始めた「サイドローディング」という技術と、マーティンの身を襲う不幸から、物語が動き始める……。

……のだけど、「物語が動き始める」までに半分ぐらい読み進めないといけない。それまでの展開はSF味はうすくて、しかも残念ながら話としては全く面白くないと思った。イーガンは良い意味で「人間が描けていない」SF作家だったと思うけれど、そうであるということがこの話の場合、悪く出ている気がする。

サイドローディングからSF的には動き始めるのだけれど、物語の焦点はあくまでも倫理観であるように思う。それも、AIを意のままに操ったり生成・削除したりするのは倫理的と言えるのだろうか?という、なかなかややこしい問題を扱っていると言える。

ゼンデギに登場するNPCはもちろん、ただのプログラムであって意識ではない。どんな高い知的能力を与えても、それは意識にはなりえない。だけど……というところにこの倫理問題のややこしいところがある。それは、わかる。イーガンはこれまでも「クリスタルの夜」や「ひとりっ子」などで、そういうややこしい倫理問題を扱ってきたけれども、これを読んで、そういう話を俺はイーガンには期待していないなあ、とつくづく思ったことであった(もっとも、それらの作品に比べると遥かにわかりやすい倫理問題を扱っており、理解がしやすいのは確か)。

なんとなく最後に「3章」が出てきてぶっ飛んだ展開になるんじゃないか、と7割ぐらいまで読んだ段階では期待していたんだけど、そういう展開にはならず、言ってみれば「地味に」終わる。そういう話じゃないからねえ、というのはわかるんだけど、うーん、という感じ。「ゼンデギ」内の描写(『シャーナーメ』をベースにしたおつかいゲーム風のもの)もつまんないし、ちょっとこれはダメですな、と思いました。『白熱光』のときとは別な意味で自分には合わなかった。