2013-07-25

『Team Geek』が面白い


Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

さっそく『Team Geek』読みました。200ページ程度と分量が多くなく、わりと気楽にさっくり読めます。しかしこれは面白い。

ソフトウェア開発のチームやプロジェクトなどの運営にかかわるもろもろのエッセイ集、みたいなノリの本。内容はコーディングや実際の開発の細部には立ち入らず、むしろエンジニア同士の(あるいはエンジニアとエンドユーザの)関係のような「人間」にフォーカスを当てている。

いわく、ソフトウェア開発というのはチームプレイである。孤高の天才がひとりで作るようなモンじゃない。ユーザ=自分みたいなソフトウェアなら別だけれど、世間に広く使われるようなものというのは、一人で作るということはほぼないんじゃないかと思う。だから、個人個人の技量(技術力)とべつに、チームプレイをどうこなすか、という視点がないとうまくまわらないよね、というのが基本的な立脚点になる。

そこで、基本的な原理として、謙虚(Humility)、尊敬(Respect)、信頼(Trust)のみっつ(頭文字を集めてHRTと書き、ハートと読むらしい)が提案され、この原理にもとづいていろんなテーマが語られる。チームの文化について。いいリーダーとだめなリーダーの違い。だめな人をどう排除するか。などなど。

それぞれのテーマについて、ベストプラクティスがあったり、失敗事例が紹介されたりする。著者はGoogleでエンジニアをしているが、いろんな会社も渡り歩いており、また同時にSubversionの作者でもあり、Apache Foundationとも関わりがあるため、オープンソースコミュニティと社内のエンジニアリングチームの双方について、共通して言えるような部分をくくりだし、解説している。これがいちいち面白い。

読んでいるあいだの印象としては、高林さんがWEB+DB PRESSに書いていた連載のうちコーディングのテイストが薄いもの(プログラミングの光景 プログラマについてとか、バッドシグナル通信 チキンレースとか)とちょっと近いかなと思う。ただ、高林さんの文章はそれぞれが独立して読めるエッセイだったのに対して、この本はきちんとテーマ設定をして、構成を練ってあるといった違いがある。

……ところで、artonさんは本書をして「悪の教典」だと書いたけど、どうしてそう読めるのかよくわからないなあ。いや、すっとぼけないで書くと、本当はちょっとわかる。どういうことかというと……

本書の基本的な価値観は、謙虚・尊敬・信頼の HRT がけっきょく大事なんだ、ってこと。自分が一番デキるし頭もいい、とかいうことを内心そう思っていたとしてもそういう態度を取るべきではない、ということになっている。

でも、なぜそうなのか、というところに善であるとか、正義であるとか、そういう価値観や道徳を持ち出さないのだよね。著者の表現はエゴイスティックで、けっきょく自分が一番生産的であるためには、とか、チームがへんなことにならずにちゃんと進むためには、とか、そういう自己の目的達成のための道が、実は HRT なのだ、ということになっている。そのためには、ほんとうは俺が一番アタマいいと思っていても謙虚な態度を取るほうが有益であり合理的だ、ということになる。

HRT を目指すのはそれが善であったり正義であったりするからではないし、そうである必要もない。ほんとうはとても邪悪な人間でも、仕事を進めるためには HRT を実践しよう、という論調になるわけ。そういうふうにとると、まあ邪悪であるのかもしれない。

でもぼくはあんまりそうは思わない。行動心理学的には、内心がどうであるかなんてのはどーでもいいのだ。ふだんの人間がどういう人であっても、一緒に仕事をするときに謙虚であり、仲間を尊敬しているような態度であり、他人を信頼するような言動をしているのであれば、その人は HRT フルな人だ、といっていいのだし、それがきちんと維持できるのであれば、それはナイスなんじゃないかな、と思う。

そして、HRTを主軸にもってきたのは、やっぱり著者の価値判断だろうとぼくは思う。2章では、チームには文化がある、という。そしてHRTをきちんと実践して、変な文化が根付かないようにし、ナイスなチームを構成して物事を進めていこう、という論調になっている。

でもぼくらは、そういう「ナイスなチーム」だけが全てじゃないってことを知っている。Linuxカーネルのコミュニティは、よくリーナスの暴言が話題になっている。リーナスは露悪的に「ダークサイドに来い」とか言ったりするし、彼は暴言を吐くことによって変な奴の蔓延を防いでいる、といったことは真剣に考えているのではないかと思う。それでもLinuxカーネルコミュニティは(たまにトラブルがあるみたいだけど)きちんと回っているし、あれはひとつの文化かなと思う。

文化というのは相対的なものだから、チームの文化をどうするかという選択は当然、チームの構成員に委ねられるわけだし、HRTフルである必然性はない。この手法がベストだという合理的な理由もない。

でも、じゃあ、なんで、著者がその主軸にHRTを選んだのかというと、けっきょくそういうコミュニティがいちばんいいのだ、と思っているからだろう。ただ、その結果を得るにあたって、かならずしも全員に同じ価値観を共有してもらう必要はない。ちゃんとしたエンジニアは合理的なので、合理的に考えてHRTが現在のシチュエーションではベストだ、と判断するだろうし、それによってナイスな組織が達成されるだろう、と考えているのではないだろうか。

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もうひとつの本書のたのしみは、オープンソースコミュニティ運営に関するものだ。会社とちがって誰でもメーリングリストに参加できるから、オープンソース界隈にはそういう文化衝突というかよくわからない摩擦がしょっちゅう起きている。そういう問題をきちんと取り扱った本というのはぼくはあまり読んだことがなかったし、自分もオープンソースのコードをちょびっと書いたことぐらいはあるから、たいへん面白かった。

おすすめです。

2013-07-22

メカが嫌いな男子なんていません!『パシフィック・リム』

To fight monsters, we created monsters
パシフィック・リム』、最高でした。(日本語版公式サイト

ええっとなんていうか、ここで「最高」という場合、ストーリーの良し悪しというのは、問いません。でもなんというかこう、ああーこういうシーンが撮りたかったんだろうなというか、こういうシーンが好きなんだろうなというか、そういうシーンがてんこ盛りの2時間であります。っていうか、ほぼそれしかない。

太平洋の海底のどこかから突如として怪獣たちが出現しはじめ、それが kaiju (カイジュウ)と呼ばれるようになり、人類は総力を結集して巨大人型ロボット、イェーガーを作り出して怪獣に対抗することになった。マスタースレーブ方式で操作するのだが、単独で操縦するのは脳に対する負荷がかかりすぎるため、二人一組となって一体のイェーガーを操作する……といった基本的な設定の紹介は、開始5分ほどでナレーションで紹介されておしまい。あとはまあ、基本的にはイェーガーとカイジュウたちとの戦闘また戦闘、たまに設定紹介、そして戦闘、といったノリであります。

そういうわけで、見どころはやはりタンカーを手にカイジュウをぶん殴るシーンであったり、「まだ方法は残ってる!」で剣を抜いたり、そんなかんじだと思うわけです(しかもこのソードがまた、いわゆる蛇腹剣なんですよ。鞭状態では武器にしないけど)。でも剣もってたら最初からそれ使えよタンカーとかじゃなくてさ……いやいやいや。そういうことではない。たぶん。

じっさい、ストーリーとか設定とかのアラはいろいろある気がするんですよ。電力を止めるカイジュウが最強すぎじゃないかとか、いくら核エネルギーベースだからって主人公機も内部駆動は電力だし出撃できないだろ、っていうかハンドシェイクは基地の設備でやるじゃん、とかなんとか。どうでもいいけど、中国製イェーガーとかロシア製イェーガーが思わせぶりに登場したわりにまったく活躍しなさすぎて残念とか。棒術で訓練するのってそんなに意味あんのかとか(まあタンカーの伏線だと思いますけど)。

そういえば、中国機(クリムゾン・タイフーンというらしい)が機敏で4本腕のトリックスター系なのに対してロシア製(チェルノ・アルファ)が鈍重だが分厚い装甲による高い防護力、みたいなステレオタイプイメージはどうしてそうなのかよくわからんけど面白いなーとか。

ま、よかれあしかれ、そーゆー映画であります。ウィキペディアのページから批評をいくつか拾い読みすると、心理描写が弱いといった批評があるようですが、そういうことを言う奴はなにもわかっちゃいない。そもそもそんなものを期待してこんな映画見に行くやついない。誰もがなんかすごいメカが怪獣と戦うシーンを見に行くわけで、その期待は確実に満たされるといっていいと思います。むしろそれ以外は何も期待をするなと言いたい。精緻なSF設定ではないので、心理描写以外にもヘンなところはいっぱいあると思いますが(そういえばイェーガーって格納時にはそのまま保管されてるのになんで出撃時にだけわざわざ頭部をパイルダーオンするんだろ?とかそういう)、まあそれも味わいというやつです。

そういえばヒロイン役の菊地凛子の回想シーンでの日本のシーンがちょっと微妙にヘンだった(笑)。わざとやってるのかあれは、「萌&健太ビデオ」とか(町山智浩さんもツイートしてた。やっぱみんな気づくよな)。ナンバープレートも日本のじゃなかったしなー。

ところで、タイトルは元ネタと語調をあわせるために「メカ」としましたが、デル・トロ的にはやっぱり怪獣映画ということなんだと思います。BGMもカイジュウ登場シーンにはなんか怪獣映画っぽいテイストのが使われていたし、スタッフロールの最後でも、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎へ献辞が捧げられていました。

というわけで、いまさら言うことでもないですが、この手の映画好きはマスト見るべしですよ!

さっそく Play Store All Access で入手したサントラを聴きながら。