2015-04-27

損失かどうかはさておいて

Facebookに軽くコメントを残していたが、言行一致させるためにここにも書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20150426/1430059628

これはあると思う。公開してよい内容ならブログに書いて各SNSに流すほうが実はいろいろ良い。他のが良いとは言わないけれどfacebookはかなり残りづらい。life eventとかみたいなイベントはきちんと残るけれど、ノートや文章は再発見しづらい。

「画像を貼ったりとか、リプライで書き足していったりとか」みたいなUXの部分は悩ましいところでしょうが。その辺がラクなサービスはあんまり多くはないよな。あーtumblrとかになるんかな?

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いろいろ考えた結果、面倒ではあるけれどもやっぱりブログが一番マシで、ブログに書いて各SNSにスレを生やす方式が良いのではないかという気がする。以前はいろんな転送サービスを調べてみたんだけど、転送サービスを使うぐらいなら自分のブログから転送するほうがマシなんではないかという気がしている。

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ただまあブログはやっぱり敷居が高い。画像の貼り付けやすさといったUXの問題もあるだろうし(リンクもリンク先のタイトルやサムネイルを抽出したりできると本当はうれしい)、タイトルをひねり出す面倒さみたいなのも個人的にはあるな。その辺がラクになると良いのだけれど。

Mediumはデザインはかっこいいんだけど、その辺はどうかなぁ。

2015-04-20

issueをどう数えるか

誰かの何かのブログで「なんかあったらissueを立ててください」と書いてあって、お、と思った。イシューとは立てるものであったか。

英語では "file an issue" などと言うと思う。これはたぶんファイルにとじるというのが原義で、申請書とかを提出しておくというのと同じである……と思ったけどそれは submit an application だな。まあ事件を立件する、とか、そういう意味合いがある。事件もファイルするしイシューもファイルする。日本語では事件は立件するしイシューも立てる。

ところでissueはどう数えるのだろうか。「ひとつ、ふたつ」か。「一件、二件」か。

他人のブログを読み返していて助数詞に関するエントリー(面白いのでおすすめ)を読んでいて気づいたのだが、issueはおそらく一本二本なんじゃないか。企画もプロジェクトも一本二本と立てていくものだ。イシューも一本ずつ立てていくことになる。ある程度の長さを持ち、理論的には何らかの形で完了するものだからね。理論的にはね……。

ところで、かなり同じものなのに「チケット」という名詞で呼ぶと、これは「切る」ような気がする。「領収書を切る」のと同じような感覚だろうか。数詞も準拠して一枚二枚かな。「バグ」は「ファイルする」気もするが、サ変名詞でないとすると同じく「切る」かなあ……「バグを三枚切っときました」とか言うと駐禁を切っているおまわりさんみたいだが……。「タスク」の場合も切る気がするが、これはスケジュールを切るのと似ているかもしれない。余談だがスケジュールは切るものだが予定は立てるものだな。なぜだ。

プルリクエスト

仕事でよくコードレビューを処理する。githubでならプルリクエストってことになるか。リクエストだから単純に「送る」ということになる。コードレビューも送るものだ。でもその前段階として立件する場合はどうだろうか。コードレビューやプルリクエストも、イシューのように立てるのだろうか。立てない気がする。まあ作る、だろうか。だが「ああそれについてはプルリク立てときましたよ、ちょっと直したいので、まだ送ってませんけどね」とか言うとプロっぽい(なんのだ)。

プルリクエストは一件、二件だろうか。一本二本でも良さそうな気がする。自分でもこのあたりはよくわからない。そういえばとある同僚はコードレビューを一枚、二枚、と数えている。これは、レビューごとにページが作られるからなのか、それともコードというのはチェンジリストが層状に積み重なっていくからなのか、はたまた別の理由なのか、聞いてないけれどいささか興味深い。

ブランチ

そういえばブランチは「切る」ものだ。英語でもbranch cutとか呼んでいる。考えてみれば不思議で、ふつう、枝を切るといえば伐採のことであってブランチカットと呼ばれる作業とはだいぶ趣が異なる。

ブランチカットというのは、過去から未来へと流れていく変更履歴の流れを途中で切り分けてふたつの流れにすることであるから、これをもって切るとするのだろう。しかし木のアナロジーでブランチ(枝)などと呼ぶならば(メイントランク=幹という表現もあるね)、別な表現もあるのではないか。こう、芽吹く、とか。と思ったがブランチを生やす、という表現はある気もする。

流れであるにせよ枝であるにせよ、ブランチは一本二本で数えるのは自然かなと思う。

ところでブランチの総体であるツリー(木)はなんと呼ぶか。バージョン管理の文脈ではこのツリーのことはたいていレポジトリと読んでおり、レポジトリ(倉庫)はひとつふたつがまあ自然だろう。いくら倉庫とはいえ「レポジトリは五部屋ですね」とか言われたらぎょっとする(し、そもそも倉庫って「部屋」で数えるのかわからん)。データ構造一般のツリーも、一本二本とはまず呼ばないような気がする。

ファイルとフォルダ

若かりし頃、ディレクトリを「掘る」という表現に出会って新鮮な面白さを味わったものだ。だがこの掘るという表現は感覚的にはわかる。ファイルのツリー構造は、「ツリー」とはいうもののたいてい根っこが一番上にあって葉っぱが一番下にある。これを蟻の巣のように地上から下に掘り進めていくイメージなのだと理解している。

ところで同じものなのに「フォルダ」を掘る人は見たことがない。フォルダは作るものだ。ファイルも作ることが多いように思う。この辺、「フォルダ」や「ファイル」は物理的な実体になじみがある(逆に言えば「ディレクトリ」にはなじみがない)ことが関係しているのでは、という気がする。「ディレクトリー」と「フォルダー」の画像検索の格差たるや。

物理的な実体になじみがあるというが、一般的に物理的なフォルダやファイルは一冊二冊と数えるものなのに(ファイルは一枚二枚か?)、コンピュータ上のフォルダやファイルにこの助数詞を使う人は、これまた見たことがない。ふつうは一個二個、ひとつふたつ。なぜだ。

ただ画像ファイルについては一枚二枚、音楽ファイルや動画ファイルは一本二本、となるような気がする。ファイルは実態ごとに助数詞が異なるのだろうか。テキストファイルはひとつふたつだが中身が小説になれば一本二本と変化するのかもしれない。でもだとするとなおさらフォルダが一冊二冊でない理由はよくわからなくなる。

ウィンドウとタブ

ウィンドウは薄っぺらいものということで一枚二枚と数えるだろうか。自分はあまり経験はないが、そういう人がいてもおかしくない。自分は一個二個と数えているように思える。

タブ切り替えが普及しているがタブの数詞はいまだ一個二個である気がする。「Chromeではウィンドウはせいぜい二枚ぐらい、ウィンドウ一枚あたりタブは多くてもせいぜい十枚ですね」などと言いたいものだ……が、両方が枚だと数えにくいな。タブ化したウィンドウ=冊というのはどうか。いやたぶん使いませんが。

ログとエントリ

そういえばログはどうだろうか。個別のログエントリは一件二件だろうが、総体としてのログは一本二本……となりそうだ。十万件ごとにログファイルをローテートしていてファイル数は十本、とか。いや十個かな……。うーむ。

エントリといえば、「一つのファイルの中に複数の要素が含まれる」場合は件、だろうか。アカウントが10件、設定ファイルのなかに17件の設定が、とか……うーむ言わないかな。だが「パスワードファイルにアカウントが10件ある」とは言うようだ。パスワード漏洩事件で被害のあったアカウントの数はだいたい「件」で数えられている。

ところで、「一つのファイルの中に複数の要素が含まれる」といえばフォルダも同じはずだ。であれば「このフォルダの中にはファイルが五件ある」などと言っても良さそうなものだが、言わないなあ。困ったもんだ。ところが、プログラムを書いている時に「ここにはdirentが一件もないから……」という表現には納得ができる。「エントリ」と「件」の結びつきが強いということか。

コネクション

ネットワーク接続などはコネクションを確立して行われたりする。コネクションは電話と同じで一本、二本。コネクションは三回やってぜんぶリジェクトされた、となるとコネクションが張れなかったんだなと思うが、コネクションが三本あってぜんぶリジェクトされた、となると、すくなくともackが返ったあとでアプリケーションレイヤなどで失敗したイメージがある。この辺も電話のアナロジーですな。

ログインセッションなんかも同じ扱いで一本、二本となるだろう。とはいえ「同時接続数」が何本であるか、というのは自然だが、「今サーバで何本セッションが走ってる?」とか言うだろうか。言う気もするな。

リンク

ちょっと話題がずれるけど、ウェブページのリンクは「はる」ものだが、これは「貼る」のか「張る」のか?というのが一時期気になったことがあった。

コネクションというのは基本的には張るものだ。ふたつのエンティティの間に線を渡すイメージ。とりわけワールドワイドな「ウェブ」(蜘蛛の巣)の話なんだから「張る」が正しかろう。ただリッチエディタで編集していると、文章の特定部分にリンクという修飾を貼り付ける、というイメージはよくわかり、「貼る」はそこから来ているのではないか、という気がする。というかリンクをはる、という表現がすでに死語な気がしてきた。

リンクも一本二本と数える、なぜならこれもウェブ上の線というアナロジーがあるからだ、と思っているが、そんじゃ「貼る」な人はひとつふたつなのか。はたしていったいどうだろう。

まとめ

いろいろ強引に助数詞を割り当ててみたが、実際のところどうだろうか? けっこう人によって使うものもあるしそれなりに自然なものもあるだろう。

が、一方でコンピュータの中の概念はおおむね一個二個と数えておけば問題ない気もする。余計なものがないほうが海外の学習者にもやさしいことだろうから、無理に考えないほうが良いのかも。むしろ積極的にそういう数詞を採用していき、日本語の謎な部分を過去のものにしておくのも悪くはない。のかもしれない。