2014-04-28

石黒達昌「アブサルティに関する評伝」。論文捏造を扱ったSF



そういう作品もあったか、と石黒達昌「アブサルティに関する評伝」(『冬至草』所収)を読み返す。

アブサルティは優れた実験手腕を持つ若手研究者で、画期的な新理論を提唱し、優れた成果でノーベル賞も近いと思われていた。だがふとしたきっかけで、実験データはすべて捏造であるということが発覚する。

アブサルティは不思議な自信家で、捏造が露見しても、衆人環視の元では実験が再現できなくても、余裕は崩さない。
むしろ主人公に、「実験などということに意味はあるのか」と問いかける。真実こそが重要だったのではないか。実験は、正しさを説得するための余計な作業なのではないか……。

結果的にはアブサルティは経歴詐称も発覚し、研究室を追われる。天才と言われたことさえある彼の所業は業界に知れ渡る。

……だが、実験結果は捏造であったけれども、その結果から導いたとされる彼の提唱した理論じたいは正しかった(整合的な実験結果が出た)ことがのちに明らかになる。

もちろん、主人公への彼の問いかけは、自信過剰な狂人のたわごとだったのだろう。本人は再現に失敗したのだし。だが……。

本作は文学作品であり、アブサルティの言動もきわめて文学的だ。だが、創作だからこそありうる文学的な割り切れなさが素晴らしいと思う。現実の問題に向き合うのではなく、この種のテーマでモヤモヤしたいならおすすめの佳作だ。まったく不思議な、割り切れない結末になっている。

実際の世の中のふつうの捏造はもっとどうしようもないものなのだろう。複雑なプロットのコンゲームに対して現実の詐欺はもっとほんとしょーもないものだ、というのに、似ているのかもしれない。

---

石黒達昌はアメリカで医療系機関で(たぶんいまでも)勤務しつつ小説を書いていた人で、本書『冬至草』は理系的なテーマの作品を集めた短篇集(これをSFと呼ぶかどうかは人によるかも)。渋い作家だが個人的には面白い作品を書いていたと思った。とはいえ、刊行当初はいまひとつピンときていなかったので、そこのところはどうなのか昔の自分。

たとえば表題作の「冬至草」は北海道の田舎にあった不思議な生態の絶滅した植物を追う物語、「希望ホヤ」は死に至る病に冒された娘を助けるために必死の努力をする弁護士の父が、結果的に生物一種を絶滅に追いやってしまうという話。など。

なお、「アブサルティに関する評伝」は2001年に小説すばるに発表された短編。

ところであとがきには Vertical から英訳の刊行が決まったとあるのだけど、探しても出てこない。どこにあるのだろう……。

2014-04-07

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』見ましたよ。

いや、うーん、期待しすぎた感もありますが、タイトルのわりにはウィンター・ソルジャー自身はあんまりこう、作中では大事な役割じゃないですね……。けっきょく敵の尖兵のひとりじゃん的な。

ストーリーも原作とは大幅に異なっています。今回の敵も一本目の映画とおなじくヒュドラで、ウィンター・ソルジャーも秘密裏にヒュドラによって回収され利用されてきたという設定。そのヒュドラは前作ではナチス・ドイツを隠れ蓑に活動してきたということになっていますが、今回はなんと S.H.I.E.L.D. 自身に潜んでおり、そのために S.H.I.E.L.D. 自体が割れて大混乱になるという筋立て。このストーリー自体は非常に面白かったし、しかも、安全保障のために強い力を持つことの是非や、ヒュドラの思想は平和のために自由を抑圧するものであるということに説得力を感じる層の存在などは、アメリカの現状をうまく捉えたストーリーになっていると思います。

いっぽうで、ウィンター・ソルジャーの原作は、過去の自分との対峙という面があったかなと思うんですが、そういう面は薄いかなぁーとも思いました。まあ実際、映画一作目は氷漬けになる前の話で、実質的な現代における活躍は『アベンジャーズ』だけですから、過去と対峙するというほどの「現在」が、この映画版キャップにはあまりないんですよね。

まあ細かいことを考えずとも空中巨大空母を舞台に戦う映像はむやみにカッコイイですよ。出動シーンも水路が割れるというお約束の展開だしね!(笑)

笑えるのはキャプテン・アメリカ博物館みたいなのが出来ているということでして、まあ当然あるだろうなーと思うわけですが完成度高い。あれはちょっと行きたい。

登場サブキャラとしては、ブラック・ウィドウはほとんど準主役。スカーレット・ヨハンソン出っぱなしでした。それから、空飛んでる人がいてすごいなーと思ってたんですが、ファルコンていうキャラがいるのね。いやー知識ないとわかりませんな……。ファルコンはかなりの活躍ぶりで、かっこよかったよ。

# しかし、こんだけ無茶なストーリーをやっておいて放映中の Agents of S.H.I.E.L.D. との整合性はどうなっておるのだろうか。大変そうだ。

2014-04-06

ロビン・スローン『ペナンブラ氏の24時間書店』。伝統とテクノロジーの混交



すっかり感想を書き忘れていましたが、縁があって『ペナンブラ氏の24時間書店』という本を読みました。今月末ぐらいに発売されるぽい。

結論を先に書いておくと、なかなか面白かった。とくにWeb系な人はわりと楽しめると思う。

サンフランシスコのスタートアップでウェブデザイナーというかフロントエンドまわりをいろいろやって働いていた主人公だが、会社はうまくいかなくなり潰れてしまう。残ったのは会社の備品だったMacbookのみ、次の仕事までのつなぎとしてひとまずバイトをすることにしたのが、ペナンブラ氏の24時間書店という、文字通り24時間営業の古本屋。この本屋の夜間バイトをして糊口をしのぐことにする。

ところがこの本屋、どこかおかしい。一見するとふつうなのだけれど、奥には謎の書架があって、そこには読めない言語で書かれた、ふつうには存在しないと思われる本がぎっしり。奥は会員制で、たまにくる不思議な連中だけが一冊ずつ借りてゆく。

ふとしたきっかけでGoogle社員の女の子と仲良くなった主人公が、コンピュータのパワーを使ってこの謎に挑んでいく、というのが主な筋立て。

先に難点を書いておくと、この本のコンピュータやテクノロジーの描写はちょっとアレ。エンジニアからするとさすがにそれは……という見過ごせない瑕疵があちこちにあるのは確かで、読んでいてあちこちでひっかかってしまう。行きがかり上気になるのはやはりGoogle関連の描写。主要登場人物のひとりがGoogle社員なので比較的いろいろ出てくるのだけど、これが非常にファンタスティックな会社になっている。まあ会社自体の描写はフィクションということでわざと過剰にしているのだろうけど、その影に隠れた技術的なディティールには、なるほど著者は全然詳しくないのだなあとわかるような変なところがいっぱいあるのだった。たとえば普通のGoogleエンジニアはHadoopは使わないはずで、なぜなら内製のオリジナルMapReduceがあるからなのだが、つまり作者はHadoopというのがMapReduceの論文から生まれたクローンだということを知らないのだなぁと思ったりとか、そういう部分。あと会社内のコンピュータの台数ってどれぐらいなのか想像もできてないんだろうなーとか。

物語の結末で解かれる謎についても……まあこれについてはネタバレしないように言及は避けるけれど、それって、暗号理論の教科書でもすぐ出てくるような、ものすごく単純なやつじゃね? コンピュータに解けないわけがないと思うんだけど。

などなど。長すぎた。

ただやっぱりこの本には否定できない魅力もあって、しかし、それは上の瑕疵と表裏一体なように思う。なんと書いたものか……アマゾンのレビューから引用してみると、それはつまり Past meets present and envisions future. ということになるのかもしれない(これは褒めすぎだと思うけど)。

つまり、この作品が描いているのは、過去と未来の混交なのだ。

舞台が「書店」であるということもあって、たとえば古い本であったり、たとえば書体……とくに実際の書体の金型といった物理的な実体であったり、そういった「古いもの」の魅力が、本書では存分に描かれる。ほかにもたとえば、古本屋には秘密主義の頑固ジジイがいるし、秘密結社は過去の伝統に縛られていたりする。

でもそれだけじゃない。主人公たち若者は、そういう謎や因習に、テクノロジーで挑んでいく。主人公は序盤でRubyはいい、とか書いていたりするし、本来は別な方法で解かれるべき謎も、コンピュータでデータをビジュアライズして飛び越えてしまったりする。

この「過去へのリスペクト」と「テクノロジーへの愛」の混交こそが、この本の魅力と言えるだろうと思う。だから過去の因習の描写もあるいっぽうで、テクノロジーについてもばんばん書かれているし、細かいところがおかしくても、この構造自体には否定できない魅力があるのだった。

ただ「混交」ということはもちろん「コンピュータテクノロジーですべてが解決される」といった単純な構造ではなく、もっと複雑な関係を描いている --- 少なくとも作者はそこを目指そうとしているようだ。なので、どちらか一方の視点しかない読者、つまりガチガチのテクノロジスト(まあぼくもある種コレなので上で論難しているわけだが)やテクノフォビアにはまったく響かないだろうとも思う。それと、「複雑な関係」というものについて作者はほんとうにうまく描いているか、とか、最終的にこれはどうなんだ、という批判はありえて、それは同意するけれど。

また、この道具立て自体が非常に現代的かなあと思っていて、テクノロジストの中心地であるシリコンバレーでも、伝統と格式の東海岸でもなく、両者が奇妙に入り交じるサンフランシスコを舞台に選んだのも、Twitter 勤務経験のあるらしい作者ならではという気もしている。

まあ悪くない本ですよ。