2014-02-17

シリコンバレー史跡めぐり

唐突に思い立って行ってみました。

1. ヒューレット・パッカード創業の地
ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードのふたりがヒューレット・パッカードを創業したのが1935年。パロアルトにあったパッカードの家のガレージでの創業でした。現在はnational register of historic placesとして登録されている史跡ということになるようです。

所在地はパロアルトのダウンタウンであるUniversity Avenueから数ブロック先。ダウンタウンらしさがなくなり、閑静な住宅街だなーと思って歩いていると見つかるといった具合です。
1枚目の写真の奥にある小屋が創業時のガレージなのだそうですが。

なお、1枚目の写真の茂みの奥に小さなプレートがあると思いますが、そこにも「私有地です」といった但し書きがあります。今なお、この家には誰かが住んでいるわけで、その前を勝手に史跡としてプレートが立っちゃってる状態なわけですね。いい迷惑かもしれない……。

さて、堂々と「シリコンバレー誕生の地」と書かれておりますし、確かにシリコンバレーの形成にHPが重要な役割を果たしたことは間違いではないでしょうが、この時点でのHPというのは計測器を作ってる会社だったわけですね。電気製品ではあるものの、シリコンや半導体とは無関係でした。

シリコンバレーという名称が出てくるまでには、ほかの2つの会社が大きく関わってきます。

2. ショックレー半導体研究所跡地
そもそもトランジスタの発明自体が1940年台のこと。ベル研究所で発明されたとのことでした。この発明に大きく関わったウィリアム・ショックレーは、1956年に世界で最初の半導体機器の会社であるショックレー半導体研究所を立ち上げ、所長となります。写真は、その跡地。研究所自体は現存しません。

場所はこの辺(注:ストリートビューへのリンク)。この辺に住んでいる人たち向けに書くと、マウンテンビューのサンアントニオショッピングセンターの北のはずれのほう。今となってはちょっとうらぶれたあたりですね……。奥の看板はハラールを売っているスーパー。ストビューだと営業中ですが、行ってみたらつぶれていました。

さて、ショックレーの研究所じたいは現存もしないし、今となっては「世界で初の半導体の会社」というぐらいでしかないかもしれません。せっかくの看板もなんかショボイし。でも、歴史的には大きな意味がありました。

ショックレーさんはノーベル物理学賞も受賞した偉大な研究者だったのですが、人間的にはいろいろめんどうくさい人だったようです。そういうこともあってか、8人の若手の研究員が裏切って相次いで辞めてしまうという事件を引き起こします。そして……。

3. フェアチャイルドセミコンダクター創業の地
辞めた8人の中には、ムーアの法則で知られるゴードン・ムーアなどもいました。彼ら8人はフェアチャイルド・カメラ・アンド・インストルメントという会社の出資を受け、フェアチャイルドセミコンダクターを創業します。
のちに親会社と折り合いが悪くなり、8人のうちゴードン・ムーアとロバート・ノイスはフェアチャイルドセミコンダクターを退職し、新しい会社を創業します。それがインテルです。こうした流れのなかに「シリコンバレー」という名前があるのでした。

フェアチャイルドセミコンダクターの創業の地は、ここ。ストリートビューでもプレートの存在は確認できますね。建物自体は今では別の会社のオフィスになっているようです。

なんとなくまとめ

この後、せっかくなのでアップル創業のガレージ(アシュトン・カッチャーの映画でも使われていたアレ)も見物に行ってみたんですが、あまりにも普通の住宅街だったので気が引けるなあと思っていたら「監視カメラ使ってるから変なことするな」みたいな看板まで立っていたので、通り過ぎるだけにしました。ストリートビューでは看板立ってないけど、やっぱり映画で話題になったし、ここを史跡にするという運動もあったりするので、いっぱい人が来たんでしょうね(人のことは言えないが)。住民にとってはいい迷惑なのかも。

それにしても、シリコンバレーなんて、たかが半世紀かそこらの歴史なんですよね。無理やり広く考えてHPの創業から考えても100年もない。それより前は、この辺りには農家しかいなくて、一面の農園とか果樹園であった(らしい)んですよね。さらに言えば、そもそも西洋人の入植じたい、この辺ではサンフランシスコがゴールドラッシュで盛り上がった1849年以前は相当細々としていたわけです。

なんとなく、そういう歴史に思いを馳せる週末でした。

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