2015-07-13

グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

これはつまんないんでは。

第1章は執筆時には近未来だった2012年のイランの社会問題を、オーストラリアからの特派員であるひとりめの主人公と、イランからアメリカに渡った学生であるふたりめの主人公の立場から描いていて、いまひとつ接点が見えない状態のまま続く。ふたりめの主人公ことナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトという人間の脳のマッピングに関わる研究をしたいと思っていている。

第2章になって舞台をテヘランにほぼ固定し、ストーリーは動き出す。ひとりめの主人公であるマーティンはそのままイラン人女性と結婚して子供ができ、そこに住んで書店経営している。いっぽうナシムはヒト・コネクトーム・プロジェクトは追わずにイランに帰国し、「ゼンデギ」というヴァーチャルリアリティ系のゲームの運営に携わるようになる。そこでナシムが始めた「サイドローディング」という技術と、マーティンの身を襲う不幸から、物語が動き始める……。

……のだけど、「物語が動き始める」までに半分ぐらい読み進めないといけない。それまでの展開はSF味はうすくて、しかも残念ながら話としては全く面白くないと思った。イーガンは良い意味で「人間が描けていない」SF作家だったと思うけれど、そうであるということがこの話の場合、悪く出ている気がする。

サイドローディングからSF的には動き始めるのだけれど、物語の焦点はあくまでも倫理観であるように思う。それも、AIを意のままに操ったり生成・削除したりするのは倫理的と言えるのだろうか?という、なかなかややこしい問題を扱っていると言える。

ゼンデギに登場するNPCはもちろん、ただのプログラムであって意識ではない。どんな高い知的能力を与えても、それは意識にはなりえない。だけど……というところにこの倫理問題のややこしいところがある。それは、わかる。イーガンはこれまでも「クリスタルの夜」や「ひとりっ子」などで、そういうややこしい倫理問題を扱ってきたけれども、これを読んで、そういう話を俺はイーガンには期待していないなあ、とつくづく思ったことであった(もっとも、それらの作品に比べると遥かにわかりやすい倫理問題を扱っており、理解がしやすいのは確か)。

なんとなく最後に「3章」が出てきてぶっ飛んだ展開になるんじゃないか、と7割ぐらいまで読んだ段階では期待していたんだけど、そういう展開にはならず、言ってみれば「地味に」終わる。そういう話じゃないからねえ、というのはわかるんだけど、うーん、という感じ。「ゼンデギ」内の描写(『シャーナーメ』をベースにしたおつかいゲーム風のもの)もつまんないし、ちょっとこれはダメですな、と思いました。『白熱光』のときとは別な意味で自分には合わなかった。