2015-07-23

ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』精神病患者のたわごとが北欧最悪の連続殺人犯になるまで



ハンネス・ロースタム『トマス・クイック‐北欧最悪の連続殺人犯になった男』

すごい本を読んだ。

スウェーデンにある精神病院に収容されていたおとなしい精神病患者、トマス・クイックがある日、自分は昔殺人を犯したという告白をする。ふたつの事件の告白により犯人と警察しか知り得ない情報があると感じた警察は起訴を開始。そこからトマス・クイックは次々と過去の犯罪を告白しはじめ、最終的には30人以上の殺人を告白、うち8件の事件については確実に関与があったという検察の主張により有罪判決がくだされる。トマス・クイックはスウェーデンで最も知られた連続殺人犯となる。

だが……。

著者はテレビのジャーナリストで、トマスの取材をはじめたところ奇妙な点がいくつもあるのに気づく。というかこれ、本当にまともな供述と言えるのか……? それで体系的に調査を始めたところ、この事件がまともな証拠のない冤罪事件であることに気づく。

たとえば、実地検分の記録動画を確認しても、トマスの言動はまったくはっきりしていないのだという。告白を続けていたころのトマスは鎮静用の麻薬に中毒になっており、何かあれば麻薬を投薬され、不明瞭な言動しかしていない。起訴状ではトマスが警察を犯行現場に案内したことになっている場合も、実際には右往左往していて「君はあそこをじっと見ているがあそこに何かあるのか?」「うむ」といった会話を繰り返しながら移動していく。あるいは過去のつらい記憶からの逃避のため意図的に視線を向けない方向こそが目的地だとされる。

トマスの供述は当初はなにもかも間違っていたとされる。犯行現場には不案内だったり、自転車を盗んだといったあとでバスに乗ったと言い(そしてバスに乗ったという村は廃村状態になっていて人口たったの一人というしまつ)、襲撃の手順を実演して見せても現場に残った証拠と矛盾するようなことをする。そもそも当時の住所と犯罪現場は何十キロ、何百キロと離れており、しかもトマスは当時運転免許を持っていなかった。

トマスの環境では絶対に知り得なかった内容(ノルウェーの犯罪など)も実は知りうる環境にあったことがわかってくるし、警察も知り得なかった事実にしても、曖昧な発言→警察の調査→誘導的な質疑により調査結果が導かれる(右手に傷があったという発言→両手に発疹があったなど)。

こういう情報をひとつひとつ検証していくことにより、トマスの犯罪の根拠とされているものがことごとく薄弱な根拠しかなかったり誘導されているということを見出していく。そして著者は8件の有罪判決がすべて冤罪であると証明していく。

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本としての面白さは、深層に切り込んでいく著者の描写にある。様々な情報が入り乱れる供述のひとつひとつを解きほぐし、当初の供述がいかにでたらめであったか、根拠とされるものがいかに薄弱だったかを明らかにしていく。

また一方で本書のキモとなるのは、トマスがどのように告白をはじめ、それがどのように受け入れられていったか、という背景や過程でもある。トマスの捜査や告白した事件に関わった人間(トマス本人も含めて)への取材から、その背景が次第に明らかになっていくのだが、これがなんとも言えない読後感なのである。

たとえば、トマスはトマスで虚偽の告白をしたわけだが、愉快犯的な性向があったわけではないようだ。むしろ、精神分析系の影響の強いカウンセラーのもとで、精神病の遠因は過去のトラウマにある、患者は記憶に閉じ込めているだけで他の事件を犯していることもある、といった信念があり、病院側に迎合するために告白を始めているような向きもある。鎮静用の麻薬のこともあり、著者はこの事件を医療過誤だと断じている。

連続殺人犯の精神状態に興味がある心理学者や、必ず同じ捜査官や検察が捜査をしていたことも問題を引き起こしていたようだ。とくに捜査官は(おそらく無意識的に)誘導的な尋問を行っていた。だが、功名心はあったとしても、胡乱な精神病者に罪を押し付けてやろうとか、そういった意識はなかったのではないか……と思わせられる。著者の取材にも、怪しい面もあるかもしれないが、少なくともいくつかの事件についてはトマスがやったのは間違いないと断言をしている。

ひとことで言えば「ボタンのかけ違え」的な、本来ならたわごととして処理されるべきことが、ちょっとしたきっかけでどういうわけか皆の無意識の加担により北欧最悪の連続殺人犯がつくりあげられてしまう、という不可思議かつ残念な事案のようである。

したがってこの部分、読んでいてもどうも納得がいかないというか、スッキリしない面もある。特にトマスの有罪判決にかかわった人々は著者とは立場が違うということもあり、著者の取材にはあまり好意的ではないという面もある。だが、この納得のいかなさ、というのがこの本の大事なところでもあり、こういう表現が適切かはわからないが魅力でもあるのだった。

なんともはや、という本であった。

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なお著者はスウェーデンのジャーナリストであるが、本書は英訳からの重訳。トマスについて何にも知らなくても詳しく解説してあるので普通に読めます。

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