2014-06-08

地上最後の刑事。おすすめ



ベン・ウィンタース『地上最後の刑事』

1年ほどまえに発見された小惑星マイアは、やがてその軌道が地球とまじわり、つまり衝突することが明らかになり、その結果、人類は滅亡するか、すくなくとも文明が崩壊するレベルの破滅が起こることが確実になった。

衝突の予定日は、約半年後。

自暴自棄になる人もいる。有り金をはたいて最後の贅沢をしたがる人もいる。人々は仕事をしなくなるのでインフラが崩壊しつつある。もちろん、自殺をする人もいる。

そんななか、アメリカのごく平凡かつ平穏な街のマクドナルドのトイレで、男の死体が発見される。ベルトで首を吊ったのだ。生真面目というきらいのある保険屋の男。だれもが、当節ならありふれた自殺だと思う。そもそも今日び犯罪捜査なんてだれもやる気がない。どうせ半年経てば同じなのだ。

それでも主人公は、わずかな引っ掛かりをもとに、これを殺人事件として捜査しはじめる。

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いやーこれは面白いね。

破滅することがわかった社会をリアルに描く、となると、破滅もののSFになってしまうんだけど、この本はそこのリアリティや社会を描くということに拘泥せず、あくまでも警察小説の線を保っている。つまり、一部におかしい人はいるけれども、概ねの人はまあまあそれなりに生きようとしている。けれども、小惑星の存在は誰もの心の上に、いつも重くのしかかっていて、行動に影響を与えないはずがない。そういう社会に生きるそういう人々の機微を、警察小説・犯罪小説という面からうまく描いているように思う。

破滅ものをSFとしてしまうと、どうしても人類全体を描くような大きな物語になるか、人類全体の行く末と個人の運命が奇妙に結びつくセカイ系になっちゃう。そういうところに陥らずに面白いポジションをキープしているのがこの本の面白さだ。

警察も総じて士気が低く、そもそも人材が枯渇しており(放蕩生活をすると決めていなくなってしまった人も多いので)、しかもみんなどうせこの件は自殺だろうと決めてかかっているため主人公が孤軍奮闘するという展開になるのだけど、結果的にここがノワールぽい雰囲気になっているという解説の指摘はひざポン。でも主人公はぜんぜんタフじゃないんだよね。読んでいて俺のイメージは線の細い新米くんな感じ。なぜ刑事を続け、なぜ事件捜査をするのか、本人もうまく説明できていない。

物語としての構成はさらに複雑で、警察小説として犯罪の謎を解くという物語の筋と平行して、主人公の妹や妹の恋人、主人公の元恋人などがからんでくる謀略がじょじょに形を見せていく、といった体裁になっている。ただそちらのほうは本書だけでは完全には解決しない。本書は3部作だそうで、その辺のストーリーは続刊で絡んでくるのかな。

ただこの、いかにもSFっていうようなSFといった設定でありながら、その実わりと普通の警察小説でもあり、そうでありながらこのSF設定でないと成り立たない筋立てになっているという微妙なさじ加減がこの本の妙味だなあと思って読んだので、妹がらみのストーリーに主軸を移していくとあんがい平凡なSFになってつまんなくなる危険性は秘めているかも、という気もします。

とはいえ本書単品としてはとてもよい。おすすめ。

2014-06-02

盆栽プログラミング



Google+に限定公開で書いたらそこそこウケが良かったので一般公開してみる。

さいきん、趣味のプログラミングでテキストエディタを作っている。HTML/JS/CSSでPolymerを使って書くというのを特徴ということに定めて、ちまちま書いているところ。まだシンタックスハイライティングやモードなどが存在しないので未完成もいいところ。

で、エディタなんて簡単でしょ、と思うわけだし、実際のところものすごく難しいということはそんなに多くない。大枠は単純きわまりないものであって、キー入力から編集コマンドを実行してビューを適切に保つというだけのはなし。大枠の部分は、まあそれほど苦労しなくてもある程度動くところまではできる。

ところが、ものすごく細々したどうでもいい細部が、案外いろいろあるのだった。たとえば……などと書き始めるときりがないのだけれど、些細なことも実装しないと動かなかったりするわけで、まあめんどい。ここ数日は画面のスクロールやpageup/downあたりをいろいろ作っていた。そういうものが山ほどある感じ。

で、趣味でこんなことをやってると、これはなんかこう盆栽だなーと思うわけですよ。

こう、ちまちまと細かいところを直して、しばらくしたら遠くから眺めて「うんうんいいかんじ」ってなるところが盆栽っぽいかなと。……いや、盆栽やったことないのでイメージで言っているわけで、本当のところ全然そんなんじゃなくても驚かないんだけど……。

敷衍すると、ソフトウェア業界には盆栽仕事がけっこうある気がするのだった。いまの自分の本業もわりとそういう面はあるかなと思う。

ただ、わたしは盆栽仕事はけっこう好きだな。世の中的には、ズバンとでかいことをやるほうが華やかだし、好きな人も多そうだけど。そしてそれは否定しないながらも、そういう大きな仕事やハックに付随する形で、盆栽仕事が量産されていく。仕事では、polish(磨く)という単語をよく使うけど、これもまあ近い概念かなと思う。骨董品を隅々まで磨いているかんじ。

ただ、盆栽って単語を持ちだしたのは趣味性の高い活動だからなんだけど、こういうちまちま作業を趣味プログラミングでやるのが良いことなのかどうかはよくわかりませんな。

Photo: Picea abies bonsai / Weetrees contest entry by Chris Guise, CC-BY-NC-SA

2014-05-25

ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』。まぁSFファンなら当然好きなんですが……




ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』上・下

「ファージング」三部作の著者によるファンタジー……の皮を被ったSFマニア小説。

母と仲違いをし、双子の妹を失った少女モリはウェールズの片田舎からイングランドに住む離婚していた父親のもとに引き取られるが、父の異母姉となる三人の伯母のゴリ押しで全寮制の学校に入れられてしまう。というのを、事故で体をうまく動かせず、SFやファンタジーの読書が趣味の主人公の書いた日記として描く。

また主人公はフェアリーが見える体質で、魔法も使える。といっても、ここで描かれる魔法というものは、見た目に派手な効果を見せたり直接的に働きかけたりするようなものではなく、偶然や巡りあいを引き起こして有利な状況が結果的に引き起こされるといった、ささやかな効果しかない。主人公に言わせれば、仲違いした母親は悪い魔女で、いろんな魔術を使って自分を攻撃してくる……。

ジャンル分類的には日記文学の体裁を取った妖精物語、ということになるんだと思うんだけど、魔法の効果はきわめてささやかであって、妖精譚を期待すると肩透かしと感じる気がする。日記という体裁であることもあり、読者としては、魔法というのは主人公の妄想ないしは創作なのかな、と疑いつつ読んでいくことになる。っていうか、そんな内容の日記を書いちゃうって中二病というか不思議ちゃんというか……。描かれている内容として、妄想なのか作品内の現実なのか、ということが読んですぐわかるものではないバランスの妙はあるのであるが。

どちらかといえば、特殊な出自で周囲とうまくなじめず、妖精が見えるとか言い出しかねない孤立した不思議ちゃんが周囲と折り合いをつけつつ生きていく、といったことを描いた作品として読むべきなのだろう(原題の among others というのも、やっぱりそっちが主題だからついたタイトルだ)。

そういうわけで、本書の見どころはやはり周囲にうまくなじめない孤立した学校生活、と同時に主人公が読んだSFのタイトルや作家名、感想などがばんばん出てくるところであろう。日記の日付は1979年から80年にかけて、ティプトリーやル=グウィン、ディレイニーなどの傑作タイトルをどんどん読んでいるわけでして、コレを読んで悪い印象を持つSFマニア読者はいないんじゃなかろうかw SFマニアはこういうふうに周囲から孤立した青春を送った人も多いと思うんですよね……。

だが一方、共感を呼ぶという点では、むしろあざといぐらいな設定がなされている本でもあります。運動は(事故の関係で)できないけれども成績は優秀で数学以外の全教科で優等生、でも周囲にはなかなかなじめずに孤立しているが一目置かれている、といった設定。近くの図書館で開かれている読書会(というかSFファングループの例会ですな)に顔を出すようになり……といった展開もねえ。で、SF大会の存在を知って感激する、とか、ここまでくるとオレですら「それはちょっと」という気分に。

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話がすこしずれた。

というわけで、どちらかといえば不思議ちゃんのSF読書日記として読むべき本ではないかと思う。で、この場合、良いか悪いかという評価よりは、こういうのが好きか嫌いか、主人公の読書遍歴や感想に共感できるか、といった個人的な趣向が大きな影響を与えるタイプの本だと思った。

オレはまあ好きです。

2014-05-19

野地秩嘉『イベリコ豚を買いに』



野地秩嘉『イベリコ豚を買いに』

ちょっと不思議な読後感のノンフィクションである。

本屋でたまたま見かけ、帯や出だしが面白そうだったので買ってみたのだが、おそらくその導入から期待されるような筋道に至らない。

帯にも書いてあるが、導入はこんな具合だ。東北の小さな飲食店でイベリコ豚のメンチカツを食べながら著者はふと疑問に思う。たしかにイベリコ豚というのがブランド化して流行っている。秋田の小さな店でも出るほど日本全国津々浦々に出回っている。でも、なんかどんぐりを食べる希少な豚じゃなかったんだろうか。そんなに大量消費されるほど、イベリコ豚とは出荷されているものなのか。本当のところ、いったいどんな豚で、ふつうの豚とどう違うのか。それで興味を持った著者が取材を申し込み、いろんな障害の末に実際に放牧されているイベリコ豚をスペインで目にするまでに2年かかったというのである。

だから、こういう出だしからして読者はたぶんこう思うのだ(というかオレはそう思ったという話ですが)。「ははあ、つまり、そもそもふつうの豚がどうやって生育され、流通しているのか、イベリコ豚はどこが特殊なのかを追ったルポタージュ的な本なのだろうな。実際の対面が本のクライマックスといったところだろうか」

はずれ。大ハズレです。

全10章のうち、イベリコ豚との対面は3章、スペイン取材は4章で終わっちゃうのだ。その段階で、ふつうの豚の生育方法やイベリコ豚との比較が手際よく解説され、読者としても事情はだいたいわかってしまう。

じゃあこの本の残りはどうなるのか?

その後は、著者がいかにイベリコ豚を使った新商品を開発するかの奮戦記がはじまってしまうのである。

というのが何故かというと、スペイン取材の段階で、「豚を買う」ということを口実にしていたからである。豚を買うと言っても家族や友だちに配ってふるまうわけじゃない。売るのだ、できれば利益を出すのだ。と、著者は決心する。

食にまつわるノンフィクションを書いているという著者は、業界関係者の知り合いも多いようで、そういった知り合いに助けを求める。そうした知り合いを巻き込みながら、いろんなトラブルをなんとかかんとか乗り越えつつ、商品企画を練り上げ、製品を作り、実際に売りに出す。しかも、本業はジャーナリストであるような、いわば「素人」である著者がそういう場に実際に立ち会い、食品を売る、新商品をつくるという過程においていかに自分が素人であり、いかに自分が新しいことを学んだかを率直に記す。

ようするに本の後半は、ある種のビジネス書なのである。素人が頑張って加工食品を作って売ってみた、と言葉で書くと単純だが、そこに至るまでの膨大な手間ひまと交渉と試食と……もろもろの過程を素人目線で書いている。

本書のラストは、この新商品を携えてスペインにあるイベリコ豚の取材先をふたたび訪れるというものだ。そこで「お前はジャーナリストじゃない。いまや同業者だ」とまで言われてしまうのである。

いや……それ、ノンフィクション作家として、どうなのよ?? と、読者としては疑問符つきまくりになるくだりである。が、そのわりに不思議と読後感は悪くない。

一冊の前半がふつうのジャーナリスティックな調査とまとめなのに、後半はビジネス書というのは、なんとも不思議な構成である。だが、不思議な構成でありながら、決定的にダメだというわけでもない。ぼくはこの著者の本を読むのははじめてなのだけれど、著者のキャリアは長く、文章は的確だ。なんとも不思議な本である(僕自身はソフトウェアエンジニアだからさほどでもないが、商社のようなモノを扱う職の人にとっては、著者の「学び」はわりと基本的なしょーもないことのようにも思ったりもするが)。

イベリコ豚とは本当はどんな豚で……といった情報を知りたいというのであれば、あまりおすすめできる本ではない。だが、結果的にはユニークな本ではあるように思う。

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ちなみに本書についた一番はじめのアマゾンレビューはこんな感じのコメントであった。
5つ星のうち 5.0 楽しく読むことが出来ました。 2014/4/28
By 武部 太
検証済み購入品
陽の当たる方向へ人々を巻き込んで行く実話にのめり込みました。
投稿者名となっている武部太というのは後半の商品開発プロジェクトに関わる人と同名なので、ここまで「中の人乙」感のあるコメントもなかなかないものであろう。が、そこもまた、悪くない。これだけで武部氏の人柄や、プロジェクトの良好な雰囲気が伝わってくる(本そのもののレビューとしてはまるで役たたないけど)。

2014-04-28

石黒達昌「アブサルティに関する評伝」。論文捏造を扱ったSF



そういう作品もあったか、と石黒達昌「アブサルティに関する評伝」(『冬至草』所収)を読み返す。

アブサルティは優れた実験手腕を持つ若手研究者で、画期的な新理論を提唱し、優れた成果でノーベル賞も近いと思われていた。だがふとしたきっかけで、実験データはすべて捏造であるということが発覚する。

アブサルティは不思議な自信家で、捏造が露見しても、衆人環視の元では実験が再現できなくても、余裕は崩さない。
むしろ主人公に、「実験などということに意味はあるのか」と問いかける。真実こそが重要だったのではないか。実験は、正しさを説得するための余計な作業なのではないか……。

結果的にはアブサルティは経歴詐称も発覚し、研究室を追われる。天才と言われたことさえある彼の所業は業界に知れ渡る。

……だが、実験結果は捏造であったけれども、その結果から導いたとされる彼の提唱した理論じたいは正しかった(整合的な実験結果が出た)ことがのちに明らかになる。

もちろん、主人公への彼の問いかけは、自信過剰な狂人のたわごとだったのだろう。本人は再現に失敗したのだし。だが……。

本作は文学作品であり、アブサルティの言動もきわめて文学的だ。だが、創作だからこそありうる文学的な割り切れなさが素晴らしいと思う。現実の問題に向き合うのではなく、この種のテーマでモヤモヤしたいならおすすめの佳作だ。まったく不思議な、割り切れない結末になっている。

実際の世の中のふつうの捏造はもっとどうしようもないものなのだろう。複雑なプロットのコンゲームに対して現実の詐欺はもっとほんとしょーもないものだ、というのに、似ているのかもしれない。

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石黒達昌はアメリカで医療系機関で(たぶんいまでも)勤務しつつ小説を書いていた人で、本書『冬至草』は理系的なテーマの作品を集めた短篇集(これをSFと呼ぶかどうかは人によるかも)。渋い作家だが個人的には面白い作品を書いていたと思った。とはいえ、刊行当初はいまひとつピンときていなかったので、そこのところはどうなのか昔の自分。

たとえば表題作の「冬至草」は北海道の田舎にあった不思議な生態の絶滅した植物を追う物語、「希望ホヤ」は死に至る病に冒された娘を助けるために必死の努力をする弁護士の父が、結果的に生物一種を絶滅に追いやってしまうという話。など。

なお、「アブサルティに関する評伝」は2001年に小説すばるに発表された短編。

ところであとがきには Vertical から英訳の刊行が決まったとあるのだけど、探しても出てこない。どこにあるのだろう……。

2014-04-07

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』見ましたよ。

いや、うーん、期待しすぎた感もありますが、タイトルのわりにはウィンター・ソルジャー自身はあんまりこう、作中では大事な役割じゃないですね……。けっきょく敵の尖兵のひとりじゃん的な。

ストーリーも原作とは大幅に異なっています。今回の敵も一本目の映画とおなじくヒュドラで、ウィンター・ソルジャーも秘密裏にヒュドラによって回収され利用されてきたという設定。そのヒュドラは前作ではナチス・ドイツを隠れ蓑に活動してきたということになっていますが、今回はなんと S.H.I.E.L.D. 自身に潜んでおり、そのために S.H.I.E.L.D. 自体が割れて大混乱になるという筋立て。このストーリー自体は非常に面白かったし、しかも、安全保障のために強い力を持つことの是非や、ヒュドラの思想は平和のために自由を抑圧するものであるということに説得力を感じる層の存在などは、アメリカの現状をうまく捉えたストーリーになっていると思います。

いっぽうで、ウィンター・ソルジャーの原作は、過去の自分との対峙という面があったかなと思うんですが、そういう面は薄いかなぁーとも思いました。まあ実際、映画一作目は氷漬けになる前の話で、実質的な現代における活躍は『アベンジャーズ』だけですから、過去と対峙するというほどの「現在」が、この映画版キャップにはあまりないんですよね。

まあ細かいことを考えずとも空中巨大空母を舞台に戦う映像はむやみにカッコイイですよ。出動シーンも水路が割れるというお約束の展開だしね!(笑)

笑えるのはキャプテン・アメリカ博物館みたいなのが出来ているということでして、まあ当然あるだろうなーと思うわけですが完成度高い。あれはちょっと行きたい。

登場サブキャラとしては、ブラック・ウィドウはほとんど準主役。スカーレット・ヨハンソン出っぱなしでした。それから、空飛んでる人がいてすごいなーと思ってたんですが、ファルコンていうキャラがいるのね。いやー知識ないとわかりませんな……。ファルコンはかなりの活躍ぶりで、かっこよかったよ。

# しかし、こんだけ無茶なストーリーをやっておいて放映中の Agents of S.H.I.E.L.D. との整合性はどうなっておるのだろうか。大変そうだ。

2014-04-06

ロビン・スローン『ペナンブラ氏の24時間書店』。伝統とテクノロジーの混交



すっかり感想を書き忘れていましたが、縁があって『ペナンブラ氏の24時間書店』という本を読みました。今月末ぐらいに発売されるぽい。

結論を先に書いておくと、なかなか面白かった。とくにWeb系な人はわりと楽しめると思う。

サンフランシスコのスタートアップでウェブデザイナーというかフロントエンドまわりをいろいろやって働いていた主人公だが、会社はうまくいかなくなり潰れてしまう。残ったのは会社の備品だったMacbookのみ、次の仕事までのつなぎとしてひとまずバイトをすることにしたのが、ペナンブラ氏の24時間書店という、文字通り24時間営業の古本屋。この本屋の夜間バイトをして糊口をしのぐことにする。

ところがこの本屋、どこかおかしい。一見するとふつうなのだけれど、奥には謎の書架があって、そこには読めない言語で書かれた、ふつうには存在しないと思われる本がぎっしり。奥は会員制で、たまにくる不思議な連中だけが一冊ずつ借りてゆく。

ふとしたきっかけでGoogle社員の女の子と仲良くなった主人公が、コンピュータのパワーを使ってこの謎に挑んでいく、というのが主な筋立て。

先に難点を書いておくと、この本のコンピュータやテクノロジーの描写はちょっとアレ。エンジニアからするとさすがにそれは……という見過ごせない瑕疵があちこちにあるのは確かで、読んでいてあちこちでひっかかってしまう。行きがかり上気になるのはやはりGoogle関連の描写。主要登場人物のひとりがGoogle社員なので比較的いろいろ出てくるのだけど、これが非常にファンタスティックな会社になっている。まあ会社自体の描写はフィクションということでわざと過剰にしているのだろうけど、その影に隠れた技術的なディティールには、なるほど著者は全然詳しくないのだなあとわかるような変なところがいっぱいあるのだった。たとえば普通のGoogleエンジニアはHadoopは使わないはずで、なぜなら内製のオリジナルMapReduceがあるからなのだが、つまり作者はHadoopというのがMapReduceの論文から生まれたクローンだということを知らないのだなぁと思ったりとか、そういう部分。あと会社内のコンピュータの台数ってどれぐらいなのか想像もできてないんだろうなーとか。

物語の結末で解かれる謎についても……まあこれについてはネタバレしないように言及は避けるけれど、それって、暗号理論の教科書でもすぐ出てくるような、ものすごく単純なやつじゃね? コンピュータに解けないわけがないと思うんだけど。

などなど。長すぎた。

ただやっぱりこの本には否定できない魅力もあって、しかし、それは上の瑕疵と表裏一体なように思う。なんと書いたものか……アマゾンのレビューから引用してみると、それはつまり Past meets present and envisions future. ということになるのかもしれない(これは褒めすぎだと思うけど)。

つまり、この作品が描いているのは、過去と未来の混交なのだ。

舞台が「書店」であるということもあって、たとえば古い本であったり、たとえば書体……とくに実際の書体の金型といった物理的な実体であったり、そういった「古いもの」の魅力が、本書では存分に描かれる。ほかにもたとえば、古本屋には秘密主義の頑固ジジイがいるし、秘密結社は過去の伝統に縛られていたりする。

でもそれだけじゃない。主人公たち若者は、そういう謎や因習に、テクノロジーで挑んでいく。主人公は序盤でRubyはいい、とか書いていたりするし、本来は別な方法で解かれるべき謎も、コンピュータでデータをビジュアライズして飛び越えてしまったりする。

この「過去へのリスペクト」と「テクノロジーへの愛」の混交こそが、この本の魅力と言えるだろうと思う。だから過去の因習の描写もあるいっぽうで、テクノロジーについてもばんばん書かれているし、細かいところがおかしくても、この構造自体には否定できない魅力があるのだった。

ただ「混交」ということはもちろん「コンピュータテクノロジーですべてが解決される」といった単純な構造ではなく、もっと複雑な関係を描いている --- 少なくとも作者はそこを目指そうとしているようだ。なので、どちらか一方の視点しかない読者、つまりガチガチのテクノロジスト(まあぼくもある種コレなので上で論難しているわけだが)やテクノフォビアにはまったく響かないだろうとも思う。それと、「複雑な関係」というものについて作者はほんとうにうまく描いているか、とか、最終的にこれはどうなんだ、という批判はありえて、それは同意するけれど。

また、この道具立て自体が非常に現代的かなあと思っていて、テクノロジストの中心地であるシリコンバレーでも、伝統と格式の東海岸でもなく、両者が奇妙に入り交じるサンフランシスコを舞台に選んだのも、Twitter 勤務経験のあるらしい作者ならではという気もしている。

まあ悪くない本ですよ。