2013-09-09

シリコンバレーの外国訛り

+Yoshifumi YAMAGUCHI の翻訳で「英語は私にとって15年にわたって悩みの種です」を読み、原文とPaul Grahamの問題の文章をざっと眺め、id:yomoyomo氏のPGの文章の訳も読んで、こころに浮かんだモヤモヤを書き下しておきたい。

シリコンバレーへのニューカマーであり、英語が得意というわけではない(婉曲表現)自分ではあるが、正直なところ、ぼくはあんまりこの Antirez 氏の文章には共感できない。PGの言わんとしていることのほうがよくわかる。

本題に入る前に、ざっと自分がどう読んだかを書くと、PGの文章はスタートアップのファウンダーにとっては強い外国訛りが不利になる、という話である。その理由として、周囲の人間が何を言っているかすぐに理解できないというのは、周囲にアピールすることの多いファウンダーにとってはけっして好条件ではないからだ。

いっぽう Antirez は、15年かけて英語もなんとかなってきたけど、やっぱりしんどいのは確かで、外国訛りで聞き取りにくいとかそんな理由で閉じこもるのはまずいと言う。そして、そういうふうに発音という面で崩壊している英語っていう言語はどうにかならないのか、というか、どうにかすべきなんじゃないか、と言う。

ぼくはPGの文章に理解を示したので、個人的にポイントだと思うところを強調してある。言うまでもなく、PGが拠点としているシリコンバレーはものすごく外国人が多い。ビザ持ち、グリーンカード持ち、市民権は取得したけど外国生まれ、そういう人たちで溢れている。サンノゼ市の人口統計によれば最大多数の人種はアジア人(中国などの東アジア系とインドなどの南アジア系を含む)だそうだし、サンノゼで一番人数の多い姓はベトナム系だと聞いたこともある。そういう環境なのだ。

ぼくはPGとは会ったこともないから断言はできないが、そういう環境では、相手が多少は訛っているぐらいはどうっていうことはない。アメリカ生まれのネイティブ・スピーカーのほうが会う率は低いかもしれないレベルだ。正直、自分の英語はかなりひどいと思うが、それでもある程度やっていけるのはこの環境だからというのがある。

だが、そういう環境だからこそ、尋常じゃないほど訛りのきつい人というのもけっこういる。自分の周囲にも、かなり訛りのある中国人もいるし、前はマネージャーがフランス人で、フランス訛りの英語は正直たまに何を言ってるのかわからないこともあった(単語の発音がことごとくフランス風なので……第二外国語がフランス語でちょっと助かったと本気で思った。いい人なんだが)。それでも、従業員である分には、まあなんとかなっていると思う。だが、ファウンダー、しかもあちこちにアピールしなければならないような(PGが相手にするような)初期のスタートアップでは、まあ、しんどいというのは確かなのではないか。スタートアップをやろうという熱意ある若者では、言語の学習がおろそかになっている人も多かろう。

そして Antirez 自身も書いているが、慣れていない第二言語を使うときは、ときに性格すら変わってしまう(ように見える)こともある。どんなに外向的な人でも、うまく言葉にできないというのに他人に話しかけたりはできない。それもまた、ファウンダーとしては不利なポイントになる。言いたいことは母語ではあるんだけど、英語でなんていうかわからなくなったりする。難しい概念や婉曲表現、こみいった言い回しをうまく英語でしゃべれないので、深い話ができない。こういうのは、 instead のあとに of を入れ忘れるとか、そういう可愛い話じゃない。

Antirez はイタリア在住だそうだが、ぼくの勝手な推測では、中国人やインド人と英語で仕事をした経験があまりないのではないか。たとえ外国語として英語をしゃべっていても、同じような文化の人間のしゃべる英語と、まったく違う文化圏の人のしゃべる英語はかなり雰囲気が違うものだ。多くのイタリア人が他のイタリア方言を聞き取るのがさほどしんどくないと言うが、話者人口とそのダイバーシティは関係していないか?

また実際問題として、ネイティブであるほうが聞き取り能力も高いと思う。インド英語も、ぼくにとってはちょっときついというか異質すぎるなあと思っていても、英語ネイティブな人はさほど問題なく聞き取れていたりする。そういうもんである。そしてシリコンバレーの人々は、かなり外国の訛りには寛容なほうだとぼくは思う。むしろ、そういう人ですら「これはちょっとまずいかも」と思わせられるようなレベルの人、というのがゴロゴロしていてそういう人の話なのだ、というのが、わかってないんじゃないかな、と思ったのだった。

これは英語という言語の問題というより、むしろそれがリンガフランカとして発達しているから、すなわち世界中あちこちの、まったく異なる文化の人々が学んでいるから、という点と関係がある。だから仕方ないとも言えるのではないかと思う。こういう多文化な人々が話す言葉が、ひとつの発音大系に収束するなんて、そんなのありえなくね?というのが個人的な雑感。

あと、彼の論点には、綴りと発音がまったく対応していないという問題が含まれている(というか、 accent と単語の発音の問題を混同している)。確かにその面で英語は壊れた言語なのだが、訛りの問題とそれとは、別の話だろうと思う。

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